2009年02月13日
カリフォルニア料理「ラ・ホヤ」
京都のカリフォルニアレストラン「ラ・ホヤ」がOPENして長い歴史が刻まれてきた。
私は52歳。私が生まれた頃に、京都にエスニックの草分けのインカ料理『森繁』が誕生した。
京都のカレーのジャワやインディアン スペイン料理の嵐山の「ボデゴン」や「ナガサキヤパティオ」が誕生したが、強すぎるスパイスやシャバシャバなカレー。オリーブオイルは当時一般の日本人には受け入れられなかった。
今、オリーブオイルにガーリックが入って、パンと食べたらおいしそう。なんて、当時誰も思わなかった。当然イタリアンや本格的インド料理。エスニックはまだなかった。
パスタはケチャップ味からはじまり、バター味、マヨネーズ味、カレー味?そしてようやく本格的なトマトソースの到来。本格的ホワイトソースがグラタンから普及して、かなりしてから、オリーブオイルが受け入れられるようになった。
アメリカ南部の州は、元メキシコ。料理にも残ってる。そのアメリカンとメキシカンが融合しているのが、ラ・ホヤのいいところ。
スキューバーダイビングに毎年行っているうちに、そのミックス文化が気に入って開いた小さなお店。ある意味そこがいい。
しかし、この店を見つけるのが大変。私は、4回目に発見した。
1番わかり易いのが、二条城の北の堀に面した車道の北側を堀川から西向きで入り、歩道の北側を西へ歩いていくと看板が出ている。その路地を西向いて歩いていこう。看板発見すれば発見できます。
私は52歳。私が生まれた頃に、京都にエスニックの草分けのインカ料理『森繁』が誕生した。
京都のカレーのジャワやインディアン スペイン料理の嵐山の「ボデゴン」や「ナガサキヤパティオ」が誕生したが、強すぎるスパイスやシャバシャバなカレー。オリーブオイルは当時一般の日本人には受け入れられなかった。
今、オリーブオイルにガーリックが入って、パンと食べたらおいしそう。なんて、当時誰も思わなかった。当然イタリアンや本格的インド料理。エスニックはまだなかった。
パスタはケチャップ味からはじまり、バター味、マヨネーズ味、カレー味?そしてようやく本格的なトマトソースの到来。本格的ホワイトソースがグラタンから普及して、かなりしてから、オリーブオイルが受け入れられるようになった。
アメリカ南部の州は、元メキシコ。料理にも残ってる。そのアメリカンとメキシカンが融合しているのが、ラ・ホヤのいいところ。
スキューバーダイビングに毎年行っているうちに、そのミックス文化が気に入って開いた小さなお店。ある意味そこがいい。
しかし、この店を見つけるのが大変。私は、4回目に発見した。
1番わかり易いのが、二条城の北の堀に面した車道の北側を堀川から西向きで入り、歩道の北側を西へ歩いていくと看板が出ている。その路地を西向いて歩いていこう。看板発見すれば発見できます。
Posted by こやまあきゆき at
23:50
│アメリカ・オセアニア料理
2009年02月13日
カリフォルニア料理「ラ・ホヤ」
京都のカリフォルニアレストラン「ラ・ホヤ」がOPENして長い歴史が刻まれてきた。
私は52歳。私が生まれた頃に、京都にエスニックの草分けのインカ料理『森繁』が誕生した。
京都のカレーのジャワやインディアン スペイン料理の嵐山の「ボデゴン」や「ナガサキヤパティオ」が誕生したが、強すぎるスパイスやシャバシャバなカレー。オリーブオイルは当時一般の日本人には受け入れられなかった。
今、オリーブオイルにガーリックが入って、パンと食べたらおいしそう。なんて、当時誰も思わなかった。当然イタリアンや本格的インド料理。エスニックはまだなかった。
パスタはケチャップ味からはじまり、バター味、マヨネーズ味、カレー味?そしてようやく本格的なトマトソースの到来。本格的ホワイトソースがグラタンから普及して、かなりしてから、オリーブオイルが受け入れられるようになった。
アメリカ南部の州は、元メキシコ。料理にも残ってる。そのアメリカンとメキシカンが融合しているのが、ラ・ホヤのいいところ。
スキューバーダイビングに毎年行っているうちに、そのミックス文化が気に入って開いた小さなお店。ある意味そこがいい。
しかし、この店を見つけるのが大変。私は、4回目に発見した。
1番わかり易いのが、二条城の北の堀に面した車道の北側を堀川から西向きで入り、歩道の北側を西へ歩いていくと看板が出ている。その路地を西向いて歩いていこう。看板発見すれば発見できます。
私は52歳。私が生まれた頃に、京都にエスニックの草分けのインカ料理『森繁』が誕生した。
京都のカレーのジャワやインディアン スペイン料理の嵐山の「ボデゴン」や「ナガサキヤパティオ」が誕生したが、強すぎるスパイスやシャバシャバなカレー。オリーブオイルは当時一般の日本人には受け入れられなかった。
今、オリーブオイルにガーリックが入って、パンと食べたらおいしそう。なんて、当時誰も思わなかった。当然イタリアンや本格的インド料理。エスニックはまだなかった。
パスタはケチャップ味からはじまり、バター味、マヨネーズ味、カレー味?そしてようやく本格的なトマトソースの到来。本格的ホワイトソースがグラタンから普及して、かなりしてから、オリーブオイルが受け入れられるようになった。
アメリカ南部の州は、元メキシコ。料理にも残ってる。そのアメリカンとメキシカンが融合しているのが、ラ・ホヤのいいところ。
スキューバーダイビングに毎年行っているうちに、そのミックス文化が気に入って開いた小さなお店。ある意味そこがいい。
しかし、この店を見つけるのが大変。私は、4回目に発見した。
1番わかり易いのが、二条城の北の堀に面した車道の北側を堀川から西向きで入り、歩道の北側を西へ歩いていくと看板が出ている。その路地を西向いて歩いていこう。看板発見すれば発見できます。
Posted by こやまあきゆき at
23:50
│アメリカ・オセアニア料理
2009年02月13日
タイのラオス料理?トルコのアルメニア料理?・・
あるお店の看板を見て、入ってメニューを見ると別の国の料理がある。
なぜに?理由解明編。
タイ料理店「キンカーオ」のラオス料理・・・これは、もともとメコン川流域が1つの料理文化圏だったため。店じまいしたが、西浜さんの「333」もメコン料理店だった。東南アジアは、タイ・マレー・カンボジアなどの原住民と中国・インド料理が入り込んでいる。もともと南インドにいた民族を、インドアーリアン系が支配したときも、かなり東南アジア方面へ移住している。
トルコ料理店「カッパドキア」のアルメニア料理・・・厳密には、この地域の住民としては、アルメニア人が先住民。シルクロードの民族大移動の中、トルコ系民族が東から来て、ぺルシャ系と融合したり、そんな中でアルメニアも支配された歴史もある。ただアルメニアは常に独自性を守り通した為に、やや移動している。「アララット」はノアの箱舟伝説のある山で、古代キリスト教徒(コプト)である彼らは、かなり苦難の道を歩んで来た。
バリをイメージした『楽園アジア』に、タイ料理があるのは、最初にバリで大谷高校出身のオーナーが出会ったのが、タイ料理店勤務だったから。
ロシア料理「キエフ」にグルジア料理やウズベキスタン料理があるのは、旧ソビエトユニオン時代の名残。150民族国家。
なぜに?理由解明編。
タイ料理店「キンカーオ」のラオス料理・・・これは、もともとメコン川流域が1つの料理文化圏だったため。店じまいしたが、西浜さんの「333」もメコン料理店だった。東南アジアは、タイ・マレー・カンボジアなどの原住民と中国・インド料理が入り込んでいる。もともと南インドにいた民族を、インドアーリアン系が支配したときも、かなり東南アジア方面へ移住している。
トルコ料理店「カッパドキア」のアルメニア料理・・・厳密には、この地域の住民としては、アルメニア人が先住民。シルクロードの民族大移動の中、トルコ系民族が東から来て、ぺルシャ系と融合したり、そんな中でアルメニアも支配された歴史もある。ただアルメニアは常に独自性を守り通した為に、やや移動している。「アララット」はノアの箱舟伝説のある山で、古代キリスト教徒(コプト)である彼らは、かなり苦難の道を歩んで来た。
バリをイメージした『楽園アジア』に、タイ料理があるのは、最初にバリで大谷高校出身のオーナーが出会ったのが、タイ料理店勤務だったから。
ロシア料理「キエフ」にグルジア料理やウズベキスタン料理があるのは、旧ソビエトユニオン時代の名残。150民族国家。
Posted by こやまあきゆき at
02:21
│無国籍・多国籍・エスニック料理
2009年02月13日
ヤク&イエッティーと京都のネパール料理
こやまあきゆきの本。最終段階にさしかかりました。
基本的内容は予告しますが、京あ都のエスニック料理店の集大成的な本です。
その背景に、食べ歩きの大好きな「京都くいしんぼうの中間達」と食文化研究の「京都食文化研究会」と「京都国際料理店ネットワーク」の中間達の3つの連携が実現しているからです。
食べる人・研究する人・作る人が京都のエスニックでコラボしたら、最強ネットワークになります。
今回、このブログがサポート企業でもある『京都教材研究所』の会社を挙げてのご協力にて、最終段階まできました。
この本は、ガイドブックではありません。が、約200店舗の、エスニック料理が食べられるお店が協力してくださっています。
当然、その全店リストが掲載予定です。ただし、本文中に大きく掲載するのは、その一部です。あくまでも、世界の料理文化を、京都の料理店を食べながら理解していただく本になっています。また、カフェやバールを含めると、300店舗を超えるお店がすでに、私と仲間が寄せていただいた中から出てきます。このお店は、紹介すべきか?躊躇するお店は除外すべきでしょうが、単に行ってないだけの場合もあります。また、今回は東アジアとフレンチ&イタリアン色の濃いお店は除外しています。
それだけでも、膨大な数があるのみならず、その料理文化は、日本人にとって、エスニックと言いがたいほど、日本の食文化に入り込んでいる為、本格的専門店とカフェでその国の料理を出しているお店と、行ってみないと判断できない為に、かなりの時間を要すると思います。基本的に京都の全飲食店に食べに行きたいので、いつかまとめられるでしょうが、今は、まだ日本人の料理文化に、未知の部分が多いエスニック系を出しているお店に限定hしました。
ヤク&イエッティはネパール料理の京都の老舗。
寺町通りと御幸町の間の東西の路地に入り口がある。
京都のネパール料理店は、他に「アニル」と「ヒマラヤ」の2軒が、がんばってほしい。このお店を紹介してくれたモンゴルの歌姫
伊藤麻衣子さんが、以前お手伝いしていた。 モンゴル料理専門店はないが、「ヒマラヤ」でどうぞ。
更に、 川端通り正面を、東に入ると「マチャプチャレ」がある。ネパール料理はセットがある。ここはネパールの日本料理店を支援する山男の溜まり場。一乗寺の「ナマステ・キッチン」は、出来たばかりでもうファンがついている。
同じく「NAMASUTE TAJ MAHAL」は、3店舗。
急激に南西部で展開。
このお店、インド料理店なのにネパール料理がある。
これは、料理スタッフがネパール人だから。オーナーはインド人。
そこで、インド料理店にネパールセットがある。
基本的内容は予告しますが、京あ都のエスニック料理店の集大成的な本です。
その背景に、食べ歩きの大好きな「京都くいしんぼうの中間達」と食文化研究の「京都食文化研究会」と「京都国際料理店ネットワーク」の中間達の3つの連携が実現しているからです。
食べる人・研究する人・作る人が京都のエスニックでコラボしたら、最強ネットワークになります。
今回、このブログがサポート企業でもある『京都教材研究所』の会社を挙げてのご協力にて、最終段階まできました。
この本は、ガイドブックではありません。が、約200店舗の、エスニック料理が食べられるお店が協力してくださっています。
当然、その全店リストが掲載予定です。ただし、本文中に大きく掲載するのは、その一部です。あくまでも、世界の料理文化を、京都の料理店を食べながら理解していただく本になっています。また、カフェやバールを含めると、300店舗を超えるお店がすでに、私と仲間が寄せていただいた中から出てきます。このお店は、紹介すべきか?躊躇するお店は除外すべきでしょうが、単に行ってないだけの場合もあります。また、今回は東アジアとフレンチ&イタリアン色の濃いお店は除外しています。
それだけでも、膨大な数があるのみならず、その料理文化は、日本人にとって、エスニックと言いがたいほど、日本の食文化に入り込んでいる為、本格的専門店とカフェでその国の料理を出しているお店と、行ってみないと判断できない為に、かなりの時間を要すると思います。基本的に京都の全飲食店に食べに行きたいので、いつかまとめられるでしょうが、今は、まだ日本人の料理文化に、未知の部分が多いエスニック系を出しているお店に限定hしました。
ヤク&イエッティはネパール料理の京都の老舗。
寺町通りと御幸町の間の東西の路地に入り口がある。
京都のネパール料理店は、他に「アニル」と「ヒマラヤ」の2軒が、がんばってほしい。このお店を紹介してくれたモンゴルの歌姫
伊藤麻衣子さんが、以前お手伝いしていた。 モンゴル料理専門店はないが、「ヒマラヤ」でどうぞ。
更に、 川端通り正面を、東に入ると「マチャプチャレ」がある。ネパール料理はセットがある。ここはネパールの日本料理店を支援する山男の溜まり場。一乗寺の「ナマステ・キッチン」は、出来たばかりでもうファンがついている。
同じく「NAMASUTE TAJ MAHAL」は、3店舗。
急激に南西部で展開。
このお店、インド料理店なのにネパール料理がある。
これは、料理スタッフがネパール人だから。オーナーはインド人。
そこで、インド料理店にネパールセットがある。
Posted by こやまあきゆき at
01:54
│アジア・アフリカ料理