2008年02月18日
世界三大料理
世界三大料理については、以前も紹介したことがあります。
私自身、『民族芸術学会』に登録されている、「食文化」の数少ない会員ですが、大学での研究者ではなく、様々な料理を現場から調べていき、世界の料理の関係を、私なりに研究しています。
一般的に、世界三大料理とは、「フランス料理」「中国料理」「トルコ料理」とよく言われます。もちろん、皆さんにとっては、自分の育った環境の料理が1番でしょう。
しかし、客観的に私が考えているのは、どこの国の料理が1番か?という話ではなく、世界の料理って何?という事です。
世界の料理文化を考える上でやはり大きい変化は、ユーラシア大陸で起こってきました。
西の端に欧州文化圏。東の端に中国文化圏。中央にインド文化圏。です。
世界地図を開けて考えてみてください。
欧州文化圏の南は、地中海文化圏で北アフリカや西アジアともつながっています。ケルト文化・ギリシャ・ローマにエジプトやペルシャ・そしてトルコ。
北は、北欧・中欧にまたがるゲルマン文化圏。アングロサクソンもその仲間。ケルト文化との関係もありますが、やがて北米・オセアニアへ広がっていきます。
中国は、中国という巨大文明圏ですが、漢民族に代表される南の米農耕を中心とした文化と北や西の騎馬民族モンゴル・トルコ系のウイグルに代表されるシルクロードの遊牧民の牧畜文化圏が、融合して巨大な文化圏を形成しています。
秦の始皇帝から最後の清まで多くの王朝は、遊牧の民が皇帝になっています。しかし、ある意味彼らは、騎馬民族から定住を選び、漢民族の文化になじんでいった人々で、中国料理にも地域に分けるとその文化の違いが見えてきます。
インド文化圏という表現は、存在しません。元々彼ら自身が、インドと古くから自分達の事を呼んでいたわけではなく、英国からの独立の過程で、最初3つに更にパキスタンが分かれて独立していますが、タミール人は、インドにもバングラディシュにも住んでいますし、スリランカでイスラム系タミル人が独立運動していますが、南インドには、ヒンデゥー教徒のタミル人がたくさん住んでいます。州によって公用語もバラバラ。料理の文化もいろいろです。ただ、南に住むインド人は、かつてアフリカからインドネシア位にまで広がる勢力を誇っていましたし、支配民族といわれるマハラジャに代表される北部の人たちは、インドアーリアン系と呼ばれる人たちで、ペルシャやアフガンなどにも近い民族がたくさんいます。
ユーラシア全体の料理文化を理解する為に、西に欧州・東に中国・南にインドを置くと、この3つの地域を横に大移動してきた民族集団が3つあります。
その一つが、現在のモンゴル西部ぐらいに住んでいたトルコ系の人たちです。彼らは、モンゴル系に負われて西に大移動し始め、現在の中央アジアからブルガリアなどを経て現在のトルコまでやってきます。その間には、現在の中国にいるウイグルやキルギストルクメニスタンなどのトルコ系の国があり、現在のロシアにもタタールつまりタルタルソースやステーキに名が付くトルコ系の人々がいます。また現在のトルコが大変豊かな土地なので、世界3大料理の一つに数えられますが、やはり大帝国を作り豊かなバルカンなどを勢力下に置いたこと等と、文物交易の要を支配した事が大きいでしょう。
2つ目がモンゴル。中国の元もそうですが、一時ユーラシアは、モンゴルにほとんど支配されました。その名残が、たとえば、現在のヨーロッパロシア内にいるカルムイック共和国やブリヤート・オイラートの人たち。中国内モンゴルの人々とモンゴルの人々です。彼らは、チベット仏教徒が多いので、カルムイック共和国でもヨーロッパの仏教国です。ネパール・チベット・モンゴルが料理などの文化的面でも共通点が多いのも宗教的結びつきも関係しているでしょう。
3つ目がスラブ系の人々です。彼らは、現在のキエフという町からポーランド東部あたりにいたといわれ、元々ゲルマン系の北欧に近い民族ともいわれていますが、まだまだ不明な点が多いのですが、彼らのうちモスクワ公国から東進して太平洋までたどり着いたロシアが有名ですが、じっとしていたのがウクライナ。北に広がり北欧の支配を受けたこともあるベラルーシ(白ロシア)は、共に元々ギリシャ正教・キリル文字を受け入れた東スラブ系です。
西に広がったポーランド・チェコ・スロバキアなどは、ローマカソリックを受け入れローマ文字。
ブルガリア・セルビア・ボスニア・ヘルチェゴビナ・スロベニア・クロアチアなどは、南スラブの意味のユーゴスラビアを戦後形成し、それぞれに独立。コソボの独立宣言などは、アルバニアとの関係とか、いろいろ複雑な地域です。
整理しますが、3大文明圏に、東からトルコ系更にモンゴル系が西へ広がり、スラブ系が東へ広がり、ペルシャも現在のイランよりインド北部まで一時進行したので、アアゼルバイジャン・トルクメニスタンは、ペルシャ文化も色濃いのです。~スタンはその代表です。どちらも現在イスラム文化圏で、ペルシャはシーア派トルコはスンニ派が強いとか書かれてますが、イスラム文化発祥は、あくまでも現在のサウジアラビアのメッカ。アラブ人がイスラムの信者でした。湾岸諸国とイラク・シリアやがてエジプトから北アフリカパキスタンインドネシアと広がりますが、それとトルコ系・ペルシャ系が加わって、あわてたスラブ系が、ギリシャ正教や西はカソリックに改宗して、西欧諸国の仲間入りをします。ギリシャは結局イスラムに支配され、その時キエフに逃げ込んだ結果、キエフは教会のたくさんある宗教都市にもなります。
面白い事に、日本は仏教国ですが、教会の多い古い都キエフと姉妹都市です。
西欧列強のアメリカ進出で、中南米の産物がたくさんユーラシアの文化圏の料理に持ち込まれました。
その第1が、レッドペッパーです。辛いという料理文化は、アメリカ大陸との交易がなければ考えられなかった。インドカレー・タイカレー・韓国キムチ・皆さん昔の味想像できますか?
トマトもペルーなどの中南米原産。16世紀までは、観葉植物だったのです。野菜として改良され食べられるようになったのは、なんと19世紀のイタリア。だからトマトソースができるわけで、それまでイタリアンにトマトがない!
コーヒーや香辛料には、アフリカ原産もいっぱいですね。その点香辛料文明インドは、交易が古くからアフリカにまで及んでました。欧州の進出で本格的に栽培地に南米に持ち込まれたりで、世界の香辛料文明は、世界規模になるのです・・・
そうして考えると、世界3大料理って決める意味ありますか?私の3大料理は、お袋の得意の酢豚と2人の娘が1度だけ初めて作ってくれたバレンタインケーキとキエフのスタッフが忙しい中毎日作ってくれる裏メニューのまかないかもしれません。
私自身、『民族芸術学会』に登録されている、「食文化」の数少ない会員ですが、大学での研究者ではなく、様々な料理を現場から調べていき、世界の料理の関係を、私なりに研究しています。
一般的に、世界三大料理とは、「フランス料理」「中国料理」「トルコ料理」とよく言われます。もちろん、皆さんにとっては、自分の育った環境の料理が1番でしょう。
しかし、客観的に私が考えているのは、どこの国の料理が1番か?という話ではなく、世界の料理って何?という事です。
世界の料理文化を考える上でやはり大きい変化は、ユーラシア大陸で起こってきました。
西の端に欧州文化圏。東の端に中国文化圏。中央にインド文化圏。です。
世界地図を開けて考えてみてください。
欧州文化圏の南は、地中海文化圏で北アフリカや西アジアともつながっています。ケルト文化・ギリシャ・ローマにエジプトやペルシャ・そしてトルコ。
北は、北欧・中欧にまたがるゲルマン文化圏。アングロサクソンもその仲間。ケルト文化との関係もありますが、やがて北米・オセアニアへ広がっていきます。
中国は、中国という巨大文明圏ですが、漢民族に代表される南の米農耕を中心とした文化と北や西の騎馬民族モンゴル・トルコ系のウイグルに代表されるシルクロードの遊牧民の牧畜文化圏が、融合して巨大な文化圏を形成しています。
秦の始皇帝から最後の清まで多くの王朝は、遊牧の民が皇帝になっています。しかし、ある意味彼らは、騎馬民族から定住を選び、漢民族の文化になじんでいった人々で、中国料理にも地域に分けるとその文化の違いが見えてきます。
インド文化圏という表現は、存在しません。元々彼ら自身が、インドと古くから自分達の事を呼んでいたわけではなく、英国からの独立の過程で、最初3つに更にパキスタンが分かれて独立していますが、タミール人は、インドにもバングラディシュにも住んでいますし、スリランカでイスラム系タミル人が独立運動していますが、南インドには、ヒンデゥー教徒のタミル人がたくさん住んでいます。州によって公用語もバラバラ。料理の文化もいろいろです。ただ、南に住むインド人は、かつてアフリカからインドネシア位にまで広がる勢力を誇っていましたし、支配民族といわれるマハラジャに代表される北部の人たちは、インドアーリアン系と呼ばれる人たちで、ペルシャやアフガンなどにも近い民族がたくさんいます。
ユーラシア全体の料理文化を理解する為に、西に欧州・東に中国・南にインドを置くと、この3つの地域を横に大移動してきた民族集団が3つあります。
その一つが、現在のモンゴル西部ぐらいに住んでいたトルコ系の人たちです。彼らは、モンゴル系に負われて西に大移動し始め、現在の中央アジアからブルガリアなどを経て現在のトルコまでやってきます。その間には、現在の中国にいるウイグルやキルギストルクメニスタンなどのトルコ系の国があり、現在のロシアにもタタールつまりタルタルソースやステーキに名が付くトルコ系の人々がいます。また現在のトルコが大変豊かな土地なので、世界3大料理の一つに数えられますが、やはり大帝国を作り豊かなバルカンなどを勢力下に置いたこと等と、文物交易の要を支配した事が大きいでしょう。
2つ目がモンゴル。中国の元もそうですが、一時ユーラシアは、モンゴルにほとんど支配されました。その名残が、たとえば、現在のヨーロッパロシア内にいるカルムイック共和国やブリヤート・オイラートの人たち。中国内モンゴルの人々とモンゴルの人々です。彼らは、チベット仏教徒が多いので、カルムイック共和国でもヨーロッパの仏教国です。ネパール・チベット・モンゴルが料理などの文化的面でも共通点が多いのも宗教的結びつきも関係しているでしょう。
3つ目がスラブ系の人々です。彼らは、現在のキエフという町からポーランド東部あたりにいたといわれ、元々ゲルマン系の北欧に近い民族ともいわれていますが、まだまだ不明な点が多いのですが、彼らのうちモスクワ公国から東進して太平洋までたどり着いたロシアが有名ですが、じっとしていたのがウクライナ。北に広がり北欧の支配を受けたこともあるベラルーシ(白ロシア)は、共に元々ギリシャ正教・キリル文字を受け入れた東スラブ系です。
西に広がったポーランド・チェコ・スロバキアなどは、ローマカソリックを受け入れローマ文字。
ブルガリア・セルビア・ボスニア・ヘルチェゴビナ・スロベニア・クロアチアなどは、南スラブの意味のユーゴスラビアを戦後形成し、それぞれに独立。コソボの独立宣言などは、アルバニアとの関係とか、いろいろ複雑な地域です。
整理しますが、3大文明圏に、東からトルコ系更にモンゴル系が西へ広がり、スラブ系が東へ広がり、ペルシャも現在のイランよりインド北部まで一時進行したので、アアゼルバイジャン・トルクメニスタンは、ペルシャ文化も色濃いのです。~スタンはその代表です。どちらも現在イスラム文化圏で、ペルシャはシーア派トルコはスンニ派が強いとか書かれてますが、イスラム文化発祥は、あくまでも現在のサウジアラビアのメッカ。アラブ人がイスラムの信者でした。湾岸諸国とイラク・シリアやがてエジプトから北アフリカパキスタンインドネシアと広がりますが、それとトルコ系・ペルシャ系が加わって、あわてたスラブ系が、ギリシャ正教や西はカソリックに改宗して、西欧諸国の仲間入りをします。ギリシャは結局イスラムに支配され、その時キエフに逃げ込んだ結果、キエフは教会のたくさんある宗教都市にもなります。
面白い事に、日本は仏教国ですが、教会の多い古い都キエフと姉妹都市です。
西欧列強のアメリカ進出で、中南米の産物がたくさんユーラシアの文化圏の料理に持ち込まれました。
その第1が、レッドペッパーです。辛いという料理文化は、アメリカ大陸との交易がなければ考えられなかった。インドカレー・タイカレー・韓国キムチ・皆さん昔の味想像できますか?
トマトもペルーなどの中南米原産。16世紀までは、観葉植物だったのです。野菜として改良され食べられるようになったのは、なんと19世紀のイタリア。だからトマトソースができるわけで、それまでイタリアンにトマトがない!
コーヒーや香辛料には、アフリカ原産もいっぱいですね。その点香辛料文明インドは、交易が古くからアフリカにまで及んでました。欧州の進出で本格的に栽培地に南米に持ち込まれたりで、世界の香辛料文明は、世界規模になるのです・・・
そうして考えると、世界3大料理って決める意味ありますか?私の3大料理は、お袋の得意の酢豚と2人の娘が1度だけ初めて作ってくれたバレンタインケーキとキエフのスタッフが忙しい中毎日作ってくれる裏メニューのまかないかもしれません。
世界は、豚食で二分されている。
ペルー料理とペルシャ料理とインド料理
必見アフガン「バーミヤン」写真展
雛祭りを前に「京の味ごちそう展」高島屋で
京都食文化研究会事務局「いやいやえん」に
世界の料理はつながっている
ペルー料理とペルシャ料理とインド料理
必見アフガン「バーミヤン」写真展
雛祭りを前に「京の味ごちそう展」高島屋で
京都食文化研究会事務局「いやいやえん」に
世界の料理はつながっている
Posted by こやまあきゆき at 22:56
│食文化