2010年09月03日
淡交社元編集長臼井先生がお亡くなりになりました。
淡交社の元編集長の臼井先生がお亡くなりになられた。
私もお手伝いしている「キエフ」で例会がある「バルカン会」は、いつも臼井先生のお話からはじまる。
そして数日前に開かれた時も、元気にお話してくださり、普段は途中でお帰りになるが、最後までいてくださった。
実は、最後に6階から1階までエレベーターでご一緒し、タクシーを呼んでお見送りをしたのが私である。
エレベーターの中でも、たくさんお伺いしたい事もあったが、いつもよりも長時間いてくださり、お話もたくさんしてくださったので、お疲れが出ないか心配だった。このお見送りが最後になるとは、不思議といううより天寿を全うされた事と確信している。
奥様にもお世話になっているだけに、今までの思い出が走馬灯のように頭をめぐる。
私の父が癌で入院した時、一番ショックを受けたのは祖父だった。
医療が進んで、3度の手術を受けながらも、最後の最後まで現役で仕事をしていた祖父。
まさか息子に先立たれるなんて、と、父よりもショックを受けていた。
結果、父は良性で、80過ぎた今も元気で働いているが、父の手術が無事終わった時、私は翌日まだ1歳の長女を連れて祖父に父が元気でもう心配ない報告に大阪まで行った。
このときエミシは2人も出産直前で入院していた。
1人目のときも立会い出産だったので、2人目も立ち会うと約束hしていただけに、父の生まれ変わりにならなくてよかった。
と、父が元気な事を喜んだ。
そしてエミシは無事年子を出産。
次女カエ誕生。
立ち会った私は、長女を家内の実家に預けての立会い出産。
明け方ようやく自宅に帰ると、祖父の訃報が留守番電話に入っていた。
翌日、父に次女の出産と祖父の訃報を報告。
すぐに母と大阪に飛んだ。
8人兄弟の長男の父に代わって私が喪主を勤めた。
遺骨を持って、親族の待つ部屋に入ろうとすると、部屋の名前は、
家内と決めたばかりの次女の名前だった。
大変な難産だった。
おじいちゃんが助けてくれたんや。
今でも、次女にはそういっている。
臼井先生が残された功績はあまりにも大きい。
しかし、そこには膨大な書物が残されている。
私の名付け親でもある父の師富本憲吉先生は、わが作品を墓と思うべし。と言い残した。
臼井先生には、膨大な墓が残された。
人の想いでは、時間と共に同じ時代を生きた人が姿を消して忘れられていく。
しかし、先生が残された多くの書物は、これから先の世代の人にも、多くのものを与えていくだろう。
私もお手伝いしている「キエフ」で例会がある「バルカン会」は、いつも臼井先生のお話からはじまる。
そして数日前に開かれた時も、元気にお話してくださり、普段は途中でお帰りになるが、最後までいてくださった。
実は、最後に6階から1階までエレベーターでご一緒し、タクシーを呼んでお見送りをしたのが私である。
エレベーターの中でも、たくさんお伺いしたい事もあったが、いつもよりも長時間いてくださり、お話もたくさんしてくださったので、お疲れが出ないか心配だった。このお見送りが最後になるとは、不思議といううより天寿を全うされた事と確信している。
奥様にもお世話になっているだけに、今までの思い出が走馬灯のように頭をめぐる。
私の父が癌で入院した時、一番ショックを受けたのは祖父だった。
医療が進んで、3度の手術を受けながらも、最後の最後まで現役で仕事をしていた祖父。
まさか息子に先立たれるなんて、と、父よりもショックを受けていた。
結果、父は良性で、80過ぎた今も元気で働いているが、父の手術が無事終わった時、私は翌日まだ1歳の長女を連れて祖父に父が元気でもう心配ない報告に大阪まで行った。
このときエミシは2人も出産直前で入院していた。
1人目のときも立会い出産だったので、2人目も立ち会うと約束hしていただけに、父の生まれ変わりにならなくてよかった。
と、父が元気な事を喜んだ。
そしてエミシは無事年子を出産。
次女カエ誕生。
立ち会った私は、長女を家内の実家に預けての立会い出産。
明け方ようやく自宅に帰ると、祖父の訃報が留守番電話に入っていた。
翌日、父に次女の出産と祖父の訃報を報告。
すぐに母と大阪に飛んだ。
8人兄弟の長男の父に代わって私が喪主を勤めた。
遺骨を持って、親族の待つ部屋に入ろうとすると、部屋の名前は、
家内と決めたばかりの次女の名前だった。
大変な難産だった。
おじいちゃんが助けてくれたんや。
今でも、次女にはそういっている。
臼井先生が残された功績はあまりにも大きい。
しかし、そこには膨大な書物が残されている。
私の名付け親でもある父の師富本憲吉先生は、わが作品を墓と思うべし。と言い残した。
臼井先生には、膨大な墓が残された。
人の想いでは、時間と共に同じ時代を生きた人が姿を消して忘れられていく。
しかし、先生が残された多くの書物は、これから先の世代の人にも、多くのものを与えていくだろう。
Posted by こやまあきゆき at 23:50
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