鵺(ぬえ)に新島先生の奥様は似ていた?

こやまあきゆき

2009年08月11日 20:55

烏丸通りから寺町まで、四条通りを一筋下がった綾小路通りの店舗を、再チェックしながら散歩していると、「神明神社」の前を通った。文子天満宮も祭られているこの神社。約850年前の平安末期の近衛帝が皇居としても使われた藤原忠通屋敷跡。邸内の鎮守あれt社の「神明神社」と書かれている。

この祠に祭られているのが、頭が猿・尾は蛇・手足は虎。「鵺」と呼ばれた怪獣。
これを退治した源三位頼政。この時の二本のやじりが宝物。

この「鵺」最近のNHKの番組で紹介されたのを偶然2度も見た。
番組は、同志社の創業者新島譲夫人が、当時「鵺」と呼ばれたほどの女傑。
最後は、「同志社の母」として卒業生に慕われる方だが、幕末会津藩の最後の戦いに最新式スペンサー銃で最後まで戦い、明治になると京都で新島夫人として同志社創立をサポート。更に夫他界のあとは、日赤の従軍看護婦として従軍、晩年は茶道教師として指導に当ると紹介されていた。

そんなこんなで、「鵺」は妖怪や怪獣よりも、多彩な顔を持ったキャリアの象徴の私の中ではイメージされた。「鵺」を退治した話と、「菅原道真公」を祭る信託を受けた文子天満宮が祭られている祠。

私には、時代を救った女性キャリアを祭った祠に思えた。

鵺退治の説明を読みながら綾小路通りを歩くと、ちょっと立ち寄りたい天麩羅屋さんや鱧料理店、新しい大型海鮮居酒屋さんなどの大漁旗を眺めながら、今でも戦ってる人たちがいるおかげで、美味しいものをいただいているんだなあと思いながらの綾小路散策だった。

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