京都 ALL ONE プロジェクト 11月1日から11日

こやまあきゆき

2016年08月24日 18:41

京都エスニック60周年を迎えるにあたり、今年から始めたいにが「京都オール1プロジェクト」です。
これは、「京都くいしんぼうの会」「京都食文化研究会」「京都国際レストランネットワーク」の共通の記念日である11月11日を含んだ、11月1日から11日の期間を京都と世界を結んで1つになる期間としていくプロジェクトです。

これまでにも、「ワールドミュージックフェスティバル」「世界平和ライブ」などミュージシャンの仲間たちとも連携して京都各地で様々なイベントが開かれてきました。

以前から申し上げている通り、11月11日は「西陣の日」「織物の日」であり、また五条を中心に陶磁器の盛大な「わんわん展」の日でもあります。

国際歴史文化都市京都を、この町で暮らす1人1人が、自分流に個性的に、自分の活動の場を舞台に、様々な国際交流イベントをどんどん仕掛けていってくださることを、こころより願っています。

今年5月にようやく「京都国際食文化研究室」が、一乗寺からこの活動の発祥の地である東山区泉涌寺東林町の黒門に里帰りいたしました。
昨年11月に『陽喜文庫』と名付けたこの地は、日本の近代陶芸教育を確立するうえで中心的な役割を果たした地でもあり、陽喜文庫コレクションも日本近代の祖富本憲吉先生ゆかりの品々。型染めの第一人者稲垣先生や近藤先生が美大の学生教育の為に作った作品。芸大一期生として、芸大や教育大学、京阪神各地の最大の陶磁器研究機関などの創設に取り組み2万人以上と教え子をもつ小山喜平。富本と唯一すべての美術団体で行動を共にした鈴木清。そして富本の師である6世乾山などから伝わった伝書。

この地は、戦後世界中から陶芸を学ぶ人々が集まってきた地であり、のちのアメリカ陶芸界のリーダーとなったフレッドオルセンもこの地で学んだ1りであります。

黒門でも暮らしは、私が生まれた昭和31年には、すでに国際的文化交流の場であり、あのロックフェラーファミリーをはじめ世界中から多くの方が日々出入りされていました。

京都には、このような場所がたくさんあります。みなさんにとってこの善意の活動がこれからも京都を舞台に、続いていくことを願います。

私、小山晶之は、今世界のパン生地を作る生地師として仕事をしています。
今日は、普通のパン生地180キロのほか、ソフトフランスやバゲットを作りました。
メロンパンの皮は神戸のお店の為に30キロつくりました。

今では、京都の系列店10店舗の生地以外に、京阪神他のホテルやベーカリーの生地も作っています。
1種類の生地から300種類以上のパンが作られます。

しかし私は生地だけでも通常15種類位作っています。
菓子生地・ミルキ生地・卵生地・バゲット・デニッシュ・ソフトフランス・フォカッチャ・チャパッタ・・・・

その生地を使ってパン職人達が腕を振るっているので、失敗は許されません。

京都の飲食店の移り変わりはとても激しいのですが、幸い私のネットワークの仲間たちは、みんな頑張っているのがとてもうれしく思います。
ただ、私は約1年前からお酒をやめました。きのうも家族4人でご飯を食べに行きましたが、くいしんぼうだけはあいかわらずです。

京都の111軒のネットワークを大切にしていきます。自宅が本・資料が山のようになっていてなかなか整理がついてないので、もうすこし時間ください。またどんどん情報発信します。

ブログを休んでいた間も実に楽しい日々を送っています。

今年の陶器祭りは最高でした。また前後して15軒ぐらい「高等技術専門校」図案科で絵付けの勉強をしている長女と、陶磁器関係の友人宅を回りました。六兵衛さんや猪飼さん森里さん。仲良しの岡田夫妻。加古さんや高木さんや森さん藤平さん井上さん娘がお世話になっている五条青年会のみなさん。ものつくりの町京都が新しい世代のパワーを感じました。

リオ五輪は連日わくわく拝見し、数々の感動をいただきました。すっかり睡眠不足になりましたが、最後のマリオアベチャンまでの演出は、日本の新しいパワーを感じました。京都の町にも常に新しい変化ができています。歴史は今も作られています。

今日は、嵐山渡月橋を渡って、大覚寺前・広沢の池・佛教ミュージアム前・仁和寺・竜安寺・金閣寺・大徳寺・前を通りました。1番好きなドライブコースを仕事で毎朝通れるのも幸せです。(今の仕事は上賀茂。k系列店が紫竹・丸太町・常盤・梅津・千代原口・桂・長岡・醍醐・宇治にもある。)

これからもよろしく。

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