焼肉いちなんで、パワー全開
京都で、大型の焼肉店
北の「南山」
西の「大将軍」
東の「天壇」
どこもお世話になってます。
「大将軍」は、高校生の時に、私がホールのアルバイトで、初めてバイトした喫茶「シャトー」が、「大将軍」グループで、四条大宮の大将軍の地下にありました。
北山の「南山」は、左京区に住んで、京都産業大学の学生でもあった私が、1番良く通った店です。一乗寺店ももちろん。
そこが、今は家族のように仲良くなった孫さんのい「いちなん」です。
http://www.ichinan.com/cgi-bin/ichinan/siteup.cgi
「天壇」は、四条川端下がるにあるので、「キエフ」のスタッフがよくご飯食べ会をした店。
他にも、仲良しのロイヤルホテル北側の「新羅」
「牛角」と「ほどり」は、子供が出来てから家族でよく行ったお店。
東天王町の「おおた」は、一時期家族づきあいしていた方と身内だったのと、無国籍料理「カプリチョース」の親会社の岡田社長とご近所だったので、行きました。
実は、南千里に「薩摩」というう超人気焼肉店があります。当時私の食べ歩きのパトロンの1人の奥野さんが、1押しのお店としていっしょに食べに行きました。神戸育ちの奥野さんは、いろんなご縁で奈良の王寺で、薬膳料理「岳陽楼」を開店。メニューの一つが、「薩摩」直伝の焼肉でした。何よりもタレが絶品。これを、更にアレンジして淡路島で開催された「くにうみの祭典」のタレに30種類以上エントリーされたタレの中で、「岳陽楼」のタレが1番になり、選ばれました。この店、OPENの1週間。私が住み込みで手伝いに行きました。秘伝のタレは、「薩摩」直伝が基本なので、極秘ですがリンゴがたくさん入っています。私もいっしょに作ってましたから。ただし、私の功績は、牛肉を切り分けた残りで、毎日80キロの和風ハンバーグを作って、店で飛ぶように売れたこと。隠し味にケチャップと胡麻油で練りこみました。ゴミバケツの大型を買ってきて、出来立てを生ハンバーグで販売しました。奥野さんが、留学生の大変優秀な中国人の奥様と結婚されたので、その後中国薬膳の要素の方がウエイトが高くなりましたが、最初の一歩は韓国薬膳ではなっかったかと思います。韓国人として1番思い出深い親友は、「京都国際学生の家」の同期の鄭さんです。同名の韓国留学生が2人いたので、ビッグジョントスモールチョンと皆は読んでましたが、スモールチョンは、気短だったので、呼ばれるといつも怒ってました。でも、それも半分ジョークでした。皆仲良かったのでどちらの部屋にもよく遊びに行きました。後にビッグジョンは韓国で結婚して研究生で来日した時には家族もいっしょでした。いつも家族のように迎えてくれて、よく奥様の韓国手料理をいただきました。
今では、日本料理に韓国料理は和洋中韓印伊西亜細亜という感じで(勝手に小山が作った。亜細亜は、タイ・ベトナム・インドネシアなどの主に東南アジアン。)すっかり入り込んでいます。
世界の食文化は、もともとシルクロードで結ばれているので、更に国際化しただけの事でが。
一乗寺の「いちなん」の孫さんは、すでに私の家族です。
http://www.ichinan.com/cgi-bin/ichinan/siteup.cgi
カナートなどに売店のある「ちゃんだん」は、カエがキャプテンししていたバスケ仲間。
東九条辺りの韓国料理店には、私の陶芸の教え子の実家のお店がたくさんあります。
「大黒屋」さんの筋を東に入ったお店もその一つ。
今、東亜細亜の食の歴史を研究しています。そのためにも、中国料理や韓国料理たくさん食べに行きます。
みんなある意味兄弟だからね。
丸太町河原町上った「TEARS」は、チャイニーズエスニックのお店。
イズミヤカナート下がる四川料理「老安記」も家族のように仲良しのお店。
百万遍の「こうしん」も忘年会に呼ばれるほど。
「龍門」などとも仲良しの青さんや安澤さんというう親友がいるからです。
京都は狭い。
関連記事