古川町商店街の思い出

こやまあきゆき

2011年01月18日 23:27

私が、大学生の頃にアルバイトをしたお惣菜のお店が、古川町商店街にある。
華頂大学の学生さんが通ったり、知恩院さんの真下といううこともあって、八坂神社や円山公園から南禅寺や平安神宮・岡崎公園に抜けるかたもよく通る。地下鉄東西線の三条京阪の最も東の出口から出ると西側には、三条京阪の交差点。

このすぐ西には中華料理の「龍門」。南には「マルシン飯店」や「デニッシュパン」のお店が。東の「ウエスティン都ホテル」に向いて歩いていくと、「神戸サンドィッチ」を過ぎてすぐ南に『古川町商店街』がある。

東側には、寺院が並び、その参拝の方が買う道具屋筋の『新門前』『古門前』が、東大路から縄手通りまで続く。
この地域の台所が『古川町商店街』。その中に『惣菜の佃』さんがある。

この店で、私は高野豆腐を戻して水切りしたりしていた。
配達で、知恩院さんにも。
この店のでバイトしていた時にも、くいしんぼうの会の仲間のエッチャンがすぐに買い物に来てくれて、ご主人に「こやまをよろしく」と挨拶するので、後で『あの人彼女?』って皆に聞かれた。

当時、イゴール・ライラ邸を活動拠点にしていた『京都くいしんぼうの会』の創立メンバーのエッチャンは、いつもメンバーに気を配っていたので、どの店で私が働いていても、1番に食べに来てくれて、どこでも「こやまをよろしく」と挨拶していた。ちなみに、笹沼は、錦市場の「井上」さんでバイトしていたので、やっぱりエッチャンは「エイジをよろしく」と言っていただろう。

横を流れる白川にも思い出がある。昔祇園甲部にあったお茶屋さんの関係で、その一部が割烹屋さんにもなっていた。このお店の娘が、大学時代の「ドイツ語研究会」の後輩だった。部活の後、泉涌寺まで帰る私と彼女は、よくいっしょのバスに乗って帰った。祇園が近づくと「先輩、帰りに1杯飲んでいってください。と声をかけてくれる。通り道だしと、祇園で途中下車。彼女の祖母のお茶屋さんの一角の空いている場所で、原価で1杯飲んで帰る。ただし、お客様が来られるとすぐに退散。もちろん事前にお母さんから電話が入る。最高の場所で、格安で学生時代から飲んでいたのだが、お腹が空くと、電話で注文するにも高い店ばかり。お決まりは、祇園のうどん屋さんに玉子どんぶり。

祇園祭の時に、倶楽部の女の子全員に着物を着せると彼女がはりきり、私は浴衣を持って白川の彼女の家に全員集合(男の方が少なかった)祇園祭散策の後、彼女が手料理を用意してくれたのが絶品だった。

私が、世界の外国料理の店を持ちたい夢を常に語っていた頃。
「先輩、和食の料理人になってくれはったらええのに」とその時言われた。
あとから思うと、和食を志していたら、人生変わっていたのかもしれない。

古川町の南側にもおいしい中国料理店。三条には「京都芸際協会」のギャラリー他ギャラリーも多い。

東山三条1筋北に洋食の「福く朗」がある。初心者には、食べ方までうるさいが、まあ、一生懸命なので。

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