京都くいしんぼうの会の美女2人

こやまあきゆき

2015年03月21日 20:07

幸せの百円パン職人上賀茂御園橋本店向かいの、私が働くパン生地工房で菓子パン生地の分割をしていて、次のフランスパン生地の準備を始めようとしていた時に、「小山さんお客さんが本店に来ているよ!」とカリスマパン職人の本店店長がわざわざ呼びに来てくれた。外に出るとそこには「京都くいしんぼうの会」のマドンナのエッチャンが立っている。わざわざ大阪から買いに来てくれたの?と驚いていると、ルミさんも来ているよ。とのこと。今や六地蔵の輸入雑貨や家具やさまざまな手作りが勉強できる「プラナ」の社長直々に?

エッチャンなくして「京都くいしんぼうの会」は存在できなかっただろう。
彼女たちは当時ある英会話学校で出会った仲間。そこの先生の1人が私や10年会長を務めた京大理学博士のイゴール・現スロベニアレストラン「ピカポロンツァ」オーナーシェフ。と同じ「財団法人京都国際学生の家」(左京区聖護院)で暮らしていたことから出会い、彼女が当時大手石油会社の広報室に勤務していて、京都の様々な料理店の情報を自分で食べ歩きながら収集していた。いいお店を社内報でも紹介したいからと。しかしその資料は膨大で、実際みんな食べに行ったの?と思わず確認したほどすごかった。彼女はこのブログの写真に写っています。

スロベニアのイゴールやスイスのアントン・横浜中華街近くで生まれ育ち、当時京大現役でフランスなどの3星レストランを自転車食べ歩いていたエイジ(現在NZで活躍中)・ブラジルのクララ・香港のルイ・チリのカズコらと「京都くいしんぼうの会」を結成して、毎月世界の料理を作ったり・食べに行ったりするから参加しないか?と聞いてみた。北白川別当町周辺にみんな住んでいるので、瓜生山に拠点を作るつもりと言うと、なんと彼女は会社を退職して別当町近くに大阪から引っ越してきた。仕事も当時新しかった「センチュリーホテル」の事務職ち転職。やがて、メンバーで最初に「ちゃらん」という自分のお店を御陰通り近くにOPENして「京都くいしんぼうの会」事務局になった。陽気な彼女にはたくさんのファンがいて、インド音楽シタールを聴く会や、中華人民共和国から京都大学への留学生第1号の1人を招いて彼の料理を食べる会。などまさにキーパーソン。そして、私が私たちの仲間の職場にはかならず彼女が挨拶に来るので、私の働いていたレストランなどでも皆彼女と間違われたが、実と彼女(今の家内)も当時からの仲間だけれども人との出会いが苦手な人なので、エッチャンが来ては「こやまをよろしく」と挨拶して帰る。今では立派な天文学者の奥様だが、世話好きの性格は今も変わらない。58歳になった私の職場でも「こやまをよろしく」と言って帰った。

いっしょに同じ釜の飯を食った私たちは、すっかり家族になっている。

皆さんも身近な人と「くいしんぼうの会」を作ってください。
ルールは簡単。食べることの好きな人を集めること。2人からでもいいですが3人からがおすすめ。
昼1000円夜3000円でもたべられる店を選ぶ。
会費はその時集める、実費。
外食の場合は、お酒のむ人と飲まない人でお互い実費に近い支払いにする。
別で会費を集めたりは基本しない。
参加したいときに、参加したい人が参加。
ただし、あらかじめ20人ぐらいはレギュラーができるところまでスカウトしてでも育てる。

個々の宗教などでの食の戒律があれば考慮し誰でも気持ちよく会食(コモンミール)できるように。

はっきり言って、最初の10年のくいしんぼうの会1期目は、女性が多く男性のレギュラーは5人がった。やがて寮のOBのキプロス・ポルトガル・・・・と次々入ってきていまだに続いている。

そんなこと報告したくって、川端清水町(イズミヤカナート」と出町柳の真ん中。ローソンの南路地にある「いやいやえん」
に立ち寄った。「京都食文化研究会」現在の事務局

ノンアルコールビール3本』テンプラ・ハモンセラーノなどで、なんと2000円台

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