最初のお茶菓子

こやまあきゆき

2010年06月11日 00:40

日本のお菓子のルーツは、栗に代表される木の実に始まる。
とはいえ、果実以外に甘いお菓子は、一部の高貴な人々の特別のものであった。

日本に仏教と共に中国からの様々な文化が伝わり、豆腐・味噌が入り、新しい菓子の文化が入り始めた頃、
日本にお茶の文化が持ち込まれた。

お茶の文化が伝わった頃、同じく南蛮文化の流れで、南蛮菓子と呼ばれるカステラに代表される洋菓子文化が伝わる。
お茶の世界が、寺院から貴族・大名へと広がる中で、南蛮菓子は、茶菓子としても貴重なものとして取り入れられた。

お茶の世界が確立されていく中で、この南蛮菓子と味噌文化が融合してできたのが、今日の代表的な銘菓「松風」である。

ただ、先に「松風」があったのではなく、お茶と共に広がり始めた南蛮菓子+味噌の組み合わせは、やがて菓匠の誕生によって洗練されていく。

現在の「松風」伝説には2つの流れがあり、その一つが石山本願寺で誕生した「亀屋陸奥」で、最も古い。その基本や形態からも、米文化と中国菓子文化に南蛮菓子と味噌・ケシなどが加わった組み合わせは、南蛮菓子が持ち込まれた当時の日本の時代背景を考えると、最初に確立されたお茶菓子の日本版完成型ではないだろうか?

これに対して、お茶文化導入に大きな役割を果たした禅宗を中心に、様々な中国伝来の文化が日本に伝わり、寺院を中心に正確に受け継がれていく。その一つが中国納豆を受け継いだ大徳寺納豆であり、これを取り入れたのが「松屋籐兵衛」の「味噌松風」である。歴史的には、本願寺の菓匠となる「亀屋陸奥」に対して、「松屋籐兵衛」の方が後になるが、千利休ゆかりに大徳寺に受け継がれる大徳寺納豆を使った「味噌松風」は、千家にとっても特別の意味がある。成分も複雑。

その他の「松風」が、小麦と味噌主体なのに対して、2軒の銘菓、それぞれの背景をしっかり受け継いで今日も多くの方に支持されている。

そんな「亀屋陸奥」が、京都御所の東側(下切り通し)の「イストワール御所東」に開いたのが「三木都」

信長と戦った石山本願寺以来の伝統を、現在の京都で銘菓とし提供している知る人ぞ知る隠れた名店。

白味噌・ケシの実に黒豆など。お茶菓子の原点を髣髴させる銘菓である。

おすすめは、土日。

最も多くの方が出かけるこの日、現代京都を代表する絶世の美女がお迎えしてくれる。

男女を問わず、お茶と和菓子のお好きな方は、行ってお楽しみください。

少し早くこやまあきゆき、本日いただきました。

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