2008年10月09日
京都くいしんぼうの会1000記事突破しました。
50歳になったら、京都のエスニック50年史を本にまとめたい。
そんな夢を持っていた私が、45歳の時、ロシア文化圏が空白であることに気づいて、京都のロシアレストラン「キエフ」に1本の電話をした。
「夢は、実現する為に見るもの」がモットーの私は、実現不可能でも、前向きにできる事からどんどん行動する。そんな生き方で、いままで持ったたくさんの夢をたくさん実現してきた。
お金を出せば、本は作れる。しかし、自分が納得して、また、作る事に自分なりの意義を感じられる本にするには、ちょうど私が生まれたころから、京都にエスニックのお店が出来始めた。その歴史といっしょに生きてきて、京都で珍しかったスペイン料理店高島屋「ナガサキヤパティオ」やフレンチの「プチフランセ」他で修行して、また学生時代は、京大南側の「財団法人京都国際学生の家」で3年間留学生と暮らし、金曜日の夕食会「コモンミール」のお手伝いをして、和洋中華の時代に300冊の海外の料理書を集め、「京都食文化研究会」通称「苦胃辛抱の会」を結成。
エスニックの草分け「無国籍料理カプリチョース」2店舗の責任者として4人の仲間の留学生やフィゲラス元料理長平山・フレンチのオーク出身三好や京大出身でフレンチのコックになり、後世界の民族料理「パピルス料理店」を開いた笹沼やたくさんの仲間との活動。
今では、京都の200店舗以上の主に外国料理店のシェフや料理長。オーナーが友人になった私にとって、あとロシアを学べば本にまとめられる。「京都が世界の食の都」になる日も近い。
そんな想いで、「キエフ」で、旧ソビエト連邦150民族の料理文化を学んでいたある日、「Jライン」の小熊ちゃんが、
「『京つう』ブログという、地域ブログ作るんですけど、本に書こうとしていることとか、ブログで書いていかはったらどうですか?」
と、下鴨育ちの上品な京都弁で、声かけてくれました。最初は、ピンと来なかったのですが、アドバイスしてもらって、書いてみると、むっちゃ簡単。これならいくらでもかけると、実は4つまでブログ増やしました。でも、3つがベスト20の常連になっていたとき、ホントにこれでいいの?と感じました。
自分も、他の人のも読みたいし、たくさんの京都が好きな人に『京つう』ブログ書いてほしいし、と、周りの人にも勧めているうち、メインは、『京都くいしんぼうの会』に絞ろう。と決めました。
他の3つも、テーマが違うので、必要に応じてどうしても書きたい時だけ書きます。
そして『京都教材研究所』の皆さんが、このブログを見て私の本を出版してくださる事になりました。これも、皆さんのおかげです。らくたびさんも、取材の時に読んでますよと行ってくださいました。情報はどんどん活用してください。
私が、写真などをほとんど載せないのは、このブログは、私とくいしんぼう仲間のある意味情報交換ブログなのです。その京都中に住んでいるくいしんぼう仲間やお店をやっているたくさんの仲間。そして食文化研究hしているたくさんの仲間。
皆、わたしの仲間であり、家族のように仲のいい友人が世界中にいます。皆国籍問わず、京都が好きで、この町で学生気分で年を重ねている連中です。あるいは、海外と京都を行き来しています。
その食べ歩きの記録、ここ3年程で、1000回突破しました。
1つ前のブログがラーメン『千の風』2号店の話でしたが、私も『千の風』吹かした気分です。
52歳の誕生日が、今月12日にやってきます。55歳で、次は自分の店作りに取り組む計画ですが、「こばらがすいたら」を開いた弟に先を越されました。55歳まで、キエフで働く予定なので、もうしばらくは店にいますので、遊びに来てください。
最後に、年は、1000歳は無理ですが、108歳まで生きる予定で、人生プラン考えています。
50過ぎたら、その歴史を1度本にまとめる。ただし、108歳まで生きるつもりの私は、まだ半分です。
55歳で店作って、その後も10年単位の計画があります。がんばります。しつこいようですが、まだ人生半分弱ですから。
そんな夢を持っていた私が、45歳の時、ロシア文化圏が空白であることに気づいて、京都のロシアレストラン「キエフ」に1本の電話をした。
「夢は、実現する為に見るもの」がモットーの私は、実現不可能でも、前向きにできる事からどんどん行動する。そんな生き方で、いままで持ったたくさんの夢をたくさん実現してきた。
お金を出せば、本は作れる。しかし、自分が納得して、また、作る事に自分なりの意義を感じられる本にするには、ちょうど私が生まれたころから、京都にエスニックのお店が出来始めた。その歴史といっしょに生きてきて、京都で珍しかったスペイン料理店高島屋「ナガサキヤパティオ」やフレンチの「プチフランセ」他で修行して、また学生時代は、京大南側の「財団法人京都国際学生の家」で3年間留学生と暮らし、金曜日の夕食会「コモンミール」のお手伝いをして、和洋中華の時代に300冊の海外の料理書を集め、「京都食文化研究会」通称「苦胃辛抱の会」を結成。
エスニックの草分け「無国籍料理カプリチョース」2店舗の責任者として4人の仲間の留学生やフィゲラス元料理長平山・フレンチのオーク出身三好や京大出身でフレンチのコックになり、後世界の民族料理「パピルス料理店」を開いた笹沼やたくさんの仲間との活動。
今では、京都の200店舗以上の主に外国料理店のシェフや料理長。オーナーが友人になった私にとって、あとロシアを学べば本にまとめられる。「京都が世界の食の都」になる日も近い。
そんな想いで、「キエフ」で、旧ソビエト連邦150民族の料理文化を学んでいたある日、「Jライン」の小熊ちゃんが、
「『京つう』ブログという、地域ブログ作るんですけど、本に書こうとしていることとか、ブログで書いていかはったらどうですか?」
と、下鴨育ちの上品な京都弁で、声かけてくれました。最初は、ピンと来なかったのですが、アドバイスしてもらって、書いてみると、むっちゃ簡単。これならいくらでもかけると、実は4つまでブログ増やしました。でも、3つがベスト20の常連になっていたとき、ホントにこれでいいの?と感じました。
自分も、他の人のも読みたいし、たくさんの京都が好きな人に『京つう』ブログ書いてほしいし、と、周りの人にも勧めているうち、メインは、『京都くいしんぼうの会』に絞ろう。と決めました。
他の3つも、テーマが違うので、必要に応じてどうしても書きたい時だけ書きます。
そして『京都教材研究所』の皆さんが、このブログを見て私の本を出版してくださる事になりました。これも、皆さんのおかげです。らくたびさんも、取材の時に読んでますよと行ってくださいました。情報はどんどん活用してください。
私が、写真などをほとんど載せないのは、このブログは、私とくいしんぼう仲間のある意味情報交換ブログなのです。その京都中に住んでいるくいしんぼう仲間やお店をやっているたくさんの仲間。そして食文化研究hしているたくさんの仲間。
皆、わたしの仲間であり、家族のように仲のいい友人が世界中にいます。皆国籍問わず、京都が好きで、この町で学生気分で年を重ねている連中です。あるいは、海外と京都を行き来しています。
その食べ歩きの記録、ここ3年程で、1000回突破しました。
1つ前のブログがラーメン『千の風』2号店の話でしたが、私も『千の風』吹かした気分です。
52歳の誕生日が、今月12日にやってきます。55歳で、次は自分の店作りに取り組む計画ですが、「こばらがすいたら」を開いた弟に先を越されました。55歳まで、キエフで働く予定なので、もうしばらくは店にいますので、遊びに来てください。
最後に、年は、1000歳は無理ですが、108歳まで生きる予定で、人生プラン考えています。
50過ぎたら、その歴史を1度本にまとめる。ただし、108歳まで生きるつもりの私は、まだ半分です。
55歳で店作って、その後も10年単位の計画があります。がんばります。しつこいようですが、まだ人生半分弱ですから。
美女2人と東地中海料理ZAMZAMへ
本当に美味しい三条河原町の珈琲専門店六曜社
京都くいしんぼうの会レディース
くいしんぼう集合します
横大路・六地蔵奈良街道 プラナ
METROで京都市長選公開政策討論会
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Posted by こやまあきゆき at 23:00
│くいしんぼうな人たち