2011年06月09日
京大病院で、YURIちゃんと再会
もうすぐ退職する京大病院で5連勤目の今日、YURIちゃんと再会した。
彼女は、お母さんが京都の保険所で、リハビリの指導をされていたときに、陶芸がリハビリにも有効という事で、私がお手伝いした頃。『高校生の娘が、是非先生に入門したい。』といううことで、「円山公園東観荘也阿弥」の座敷にあった、私の「円山陶芸倶楽部」に入門された。当時30名ほどの会員の最年少。
その後、お母さんを見習って看護婦になると、京大病院で勉強されて今日に至る。
一度お母様と、こんなになりましたと、「キエフ」に食事にきてくださいました。
なにしろ、先生だけでも1000人はおられる病院。
どこかでがんばってるだろう・・・
そして、数日前に最後のつもりで職員食堂「はんなり」で、1人で食事をしたときも、「一度も会わなかったなぁ」と、ふと思い出したばかり。そのころ、彼女は、遠目に私を目撃したらしい。
病院に来ているといえば、患者だとおもっていたようで、まさかここで1年前から働いていたとは、驚くのも当然。
最後にお会いできて、元気な姿を見てよかったです。
狭い京都。
がんばっていたら、どこかで再開するでしょう。
彼女は、お母さんが京都の保険所で、リハビリの指導をされていたときに、陶芸がリハビリにも有効という事で、私がお手伝いした頃。『高校生の娘が、是非先生に入門したい。』といううことで、「円山公園東観荘也阿弥」の座敷にあった、私の「円山陶芸倶楽部」に入門された。当時30名ほどの会員の最年少。
その後、お母さんを見習って看護婦になると、京大病院で勉強されて今日に至る。
一度お母様と、こんなになりましたと、「キエフ」に食事にきてくださいました。
なにしろ、先生だけでも1000人はおられる病院。
どこかでがんばってるだろう・・・
そして、数日前に最後のつもりで職員食堂「はんなり」で、1人で食事をしたときも、「一度も会わなかったなぁ」と、ふと思い出したばかり。そのころ、彼女は、遠目に私を目撃したらしい。
病院に来ているといえば、患者だとおもっていたようで、まさかここで1年前から働いていたとは、驚くのも当然。
最後にお会いできて、元気な姿を見てよかったです。
狭い京都。
がんばっていたら、どこかで再開するでしょう。
Posted by こやまあきゆき at 23:31
│こやまあきゆき