2010年11月24日
西本願寺と島原
11月24日夜
「島原」周辺を散策
「おいらん最中」や商店街をうろうろ。
今も太夫がおられる歴史的建物は、若い頃に連れて行ってもらった想いでも場所。
しかし、この日の目的は「西本願寺」で法話を聞く事。
「くいしんぼうの会」仲間のご尊父様が、実はこの日に法話をされているといううので、夜の7時からお話を伺った。
ロシアレストラン「キエフ」にいると、仏教などは、縁がないと想われるかもしれませんが、「キエフ」には、「シルクロードの会」に、過去、奈良薬師寺の安田順恵様や龍谷大学シルクロードの仏教遺跡の調査で有名な入澤先生などシルクロード研究の先生方には、やはり仏教と関係の深い方が多い。次の「シルクロードの会」もモンゴル研究の松川先生の研究をお伺いするが、大谷大学の先生である。キエフでは悩み相談で有名な東本願寺の女性のご住職、川村妙恵さんの法話もある。
いろんな方から、すばらしいお話を聞くと、いつも毎日を一生懸命生きようと思う。
ちなみに、私はご承知の通り現在5つの仕事を持っている。
朝、「京大病院」で、入院患者さんの食事の片付けの裏方のスタッフである。
昼からロシアレストラン「キエフ」のスタッフである。夜の「キエフ酒房タイム」も夏の「キエフビヤガーデン」も責任者である。
実家の東山の東福寺と泉涌寺の間に、私の生まれた「黒門」がある。私の時代は400坪だったが、昔は800坪あったそうだ。
母方の一族が暮らす。陶芸家一族である。この中に私の「円山陶芸倶楽部」がある。今も、プラスティックデザイナーの佐藤孝4代目会長や、ご主人がイタリアの東方文化研究の第1人者の奥様などが、この倶楽部で陶芸を楽しんでいる。普段は、京都芸大名誉教授で、京都大学西アジア調査隊隊員だった父小山喜平が指導している。基本的に私が過去3000人以上指導してきた陶芸倶楽部である。この黒門には、私の名付け親の富本憲吉先生の工房もあった。現在その工房は、母方鈴木家当主の叔父鈴木爽司の工房の一部であるが、先生が使っておられた道具や絵の具は、遺族の方に返却されたものの、ご遺族のご意志で、改めて、大学と工房の公私共に助手を務めた父、小山喜平に受け継がれた。その結果父は京都芸術大学と京都教育大学の両方で、恩師から学んだ近代陶芸の基礎を、多くの学生に指導して来た。そのすべてを受け継いだ為に、私が京都に4つの陶芸倶楽部を開いて、陶芸を学びたい一般の方にも円山流の自由な創作陶芸を教えている。
円山流創作陶芸は、現在2つの高校で、正式科目にもなっている為に、私は2つの高校の非常勤講師でもある。
教えるのは。「円山創作陶芸実技」。
そして、もう一つの仕事は、昨年まで4年間朝ホテルのレストランや和食の裏方として働いてきた事。
限られた時間であるが、経験者という事で、年末年始少しお手伝いに行く予定。ただし、かなりスケジュールが過密なので、月に数日しか行けないだろう。それでも、手伝ってと頼まれるとうれしい限りである。
私は食いしん坊な人間である。
どんな料理が一番好きかとよく聞かれる。
しかし、まず、一生懸命動いた後、一生懸命働いた後の食事は、やはり格別である。
人が動くと書いて「働」となる。
私は、お金に執着がない。
いつも食べ過ぎてなくなってしまう。それでも、手伝いに来てと言ってくれる人がいて、一緒に汗水流した仲間がいて、美味しいもの作ってくれる仲間がいる。
それが、私の1番の宝物であり、幸せである。
「島原」周辺を散策
「おいらん最中」や商店街をうろうろ。
今も太夫がおられる歴史的建物は、若い頃に連れて行ってもらった想いでも場所。
しかし、この日の目的は「西本願寺」で法話を聞く事。
「くいしんぼうの会」仲間のご尊父様が、実はこの日に法話をされているといううので、夜の7時からお話を伺った。
ロシアレストラン「キエフ」にいると、仏教などは、縁がないと想われるかもしれませんが、「キエフ」には、「シルクロードの会」に、過去、奈良薬師寺の安田順恵様や龍谷大学シルクロードの仏教遺跡の調査で有名な入澤先生などシルクロード研究の先生方には、やはり仏教と関係の深い方が多い。次の「シルクロードの会」もモンゴル研究の松川先生の研究をお伺いするが、大谷大学の先生である。キエフでは悩み相談で有名な東本願寺の女性のご住職、川村妙恵さんの法話もある。
いろんな方から、すばらしいお話を聞くと、いつも毎日を一生懸命生きようと思う。
ちなみに、私はご承知の通り現在5つの仕事を持っている。
朝、「京大病院」で、入院患者さんの食事の片付けの裏方のスタッフである。
昼からロシアレストラン「キエフ」のスタッフである。夜の「キエフ酒房タイム」も夏の「キエフビヤガーデン」も責任者である。
実家の東山の東福寺と泉涌寺の間に、私の生まれた「黒門」がある。私の時代は400坪だったが、昔は800坪あったそうだ。
母方の一族が暮らす。陶芸家一族である。この中に私の「円山陶芸倶楽部」がある。今も、プラスティックデザイナーの佐藤孝4代目会長や、ご主人がイタリアの東方文化研究の第1人者の奥様などが、この倶楽部で陶芸を楽しんでいる。普段は、京都芸大名誉教授で、京都大学西アジア調査隊隊員だった父小山喜平が指導している。基本的に私が過去3000人以上指導してきた陶芸倶楽部である。この黒門には、私の名付け親の富本憲吉先生の工房もあった。現在その工房は、母方鈴木家当主の叔父鈴木爽司の工房の一部であるが、先生が使っておられた道具や絵の具は、遺族の方に返却されたものの、ご遺族のご意志で、改めて、大学と工房の公私共に助手を務めた父、小山喜平に受け継がれた。その結果父は京都芸術大学と京都教育大学の両方で、恩師から学んだ近代陶芸の基礎を、多くの学生に指導して来た。そのすべてを受け継いだ為に、私が京都に4つの陶芸倶楽部を開いて、陶芸を学びたい一般の方にも円山流の自由な創作陶芸を教えている。
円山流創作陶芸は、現在2つの高校で、正式科目にもなっている為に、私は2つの高校の非常勤講師でもある。
教えるのは。「円山創作陶芸実技」。
そして、もう一つの仕事は、昨年まで4年間朝ホテルのレストランや和食の裏方として働いてきた事。
限られた時間であるが、経験者という事で、年末年始少しお手伝いに行く予定。ただし、かなりスケジュールが過密なので、月に数日しか行けないだろう。それでも、手伝ってと頼まれるとうれしい限りである。
私は食いしん坊な人間である。
どんな料理が一番好きかとよく聞かれる。
しかし、まず、一生懸命動いた後、一生懸命働いた後の食事は、やはり格別である。
人が動くと書いて「働」となる。
私は、お金に執着がない。
いつも食べ過ぎてなくなってしまう。それでも、手伝いに来てと言ってくれる人がいて、一緒に汗水流した仲間がいて、美味しいもの作ってくれる仲間がいる。
それが、私の1番の宝物であり、幸せである。