2009年01月26日
中国料理「桂花林」の「坦々麺」
中国料理「桂花林」はホテル「フジタ」の地下にある。
入ったことがある人は、まず絶景の景色に驚かれるだろう。
今回、このホテルの正面のディスプレーを、お手伝いさせていただくことのなった。
その打ち合わせを兼ねて、フラワーアーティストの富田洋子さんと福井支配人と3人で、「坦々麺」と「気まぐれデザート」をいただいた。
昔東急ホテルに当時あった「中国飯店」に2年間、中国料理の勉強をかねて手伝いに行った時、おいしい中国麺の秘訣で教えていただいた3つが、ここに生かされていた。
ただ辛さが強調された他のものと違い、上品な味わい。
そう、これだったんだ。
入ったことがある人は、まず絶景の景色に驚かれるだろう。
今回、このホテルの正面のディスプレーを、お手伝いさせていただくことのなった。
その打ち合わせを兼ねて、フラワーアーティストの富田洋子さんと福井支配人と3人で、「坦々麺」と「気まぐれデザート」をいただいた。
昔東急ホテルに当時あった「中国飯店」に2年間、中国料理の勉強をかねて手伝いに行った時、おいしい中国麺の秘訣で教えていただいた3つが、ここに生かされていた。
ただ辛さが強調された他のものと違い、上品な味わい。
そう、これだったんだ。
2009年01月26日
ラーメン「天天有」30年前
私のブログでラーメン店は、日常の和洋中華のカテゴリーに分けている。
しかし中国料理店で食べると中華のカテゴリーになる。
ラーメンがこれほど発展したのは、「カレーライス」と同様に、日本文化である。
それが、最近中国に逆進出して、巨大チェーン展開しているお店も有る。牛丼より展開が速い。
そんなラーメン店で、最初にはまったのが学生時代の「天天有」だった。
先代の頃で、奥の座敷と呼んでいた茶の間。
きっと、唯一のプライベート空間が、人気と共に客席に変貌し始めた頃、いつも「奥空いてる?」といって、京産大の大塚ら、元々京都産業大学グリークラブに同期入団した連中と、練習の後とかに、行きだしたのがきっかけだった。
繁昌して、昼の仕込やらが親父さん。夜はお母さんと、まだ若かった今のご主人が2人でやりはじめた頃の事を思い出す。
夜中4時ごろだったか、もうお店もほとんど空いてないある日、洛北高校前の「吉野家」に立ち寄ったら、2人でご飯食べておられた。こんな時間まで働いて、大変な仕事だと思った。
今、有名になっても、しっかり現場で仕事をしている。大きくなったら現場を離れて社長になってしまうのが常なのに。
たくさんいいお店が出来ているけど。
ここにくると、昔、茶の間で食べた時と、なんもかわってへん。
姉妹店の器も内装も変わっておしゃれになったけど。
本店のここで食べると、30年の自分とこのお店の歴史を楽しんでいる気がする。
しかし中国料理店で食べると中華のカテゴリーになる。
ラーメンがこれほど発展したのは、「カレーライス」と同様に、日本文化である。
それが、最近中国に逆進出して、巨大チェーン展開しているお店も有る。牛丼より展開が速い。
そんなラーメン店で、最初にはまったのが学生時代の「天天有」だった。
先代の頃で、奥の座敷と呼んでいた茶の間。
きっと、唯一のプライベート空間が、人気と共に客席に変貌し始めた頃、いつも「奥空いてる?」といって、京産大の大塚ら、元々京都産業大学グリークラブに同期入団した連中と、練習の後とかに、行きだしたのがきっかけだった。
繁昌して、昼の仕込やらが親父さん。夜はお母さんと、まだ若かった今のご主人が2人でやりはじめた頃の事を思い出す。
夜中4時ごろだったか、もうお店もほとんど空いてないある日、洛北高校前の「吉野家」に立ち寄ったら、2人でご飯食べておられた。こんな時間まで働いて、大変な仕事だと思った。
今、有名になっても、しっかり現場で仕事をしている。大きくなったら現場を離れて社長になってしまうのが常なのに。
たくさんいいお店が出来ているけど。
ここにくると、昔、茶の間で食べた時と、なんもかわってへん。
姉妹店の器も内装も変わっておしゃれになったけど。
本店のここで食べると、30年の自分とこのお店の歴史を楽しんでいる気がする。
Posted by こやまあきゆき at
02:26
│食堂・日常の和洋中華