京つう

グルメ・スイーツ・お酒  |洛中

新規登録ログインヘルプ


QRコード
QRCODE
インフォメーション
【京つうからのお知らせ】
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 27人
プロフィール
こやまあきゆき
こやまあきゆき
YUKI(ニックネーム)こやまあきゆきは、本名小山晶之 
京都東山の泉涌寺の登り窯のあった陶芸の家「黒門」で誕生。
世界の食文化の研究家。父はシルクロードの工芸研究家で陶芸家の小山喜平。「京都国際学生の家」の同期8人と「くいしんぼうの会」を結成。会員15カ国150名。京都の伝説の無国籍料理店カプリチョース初期の責任者 現在200店舗の外国料理店で、「京都国際レストランネットワーク」を作る。(会長イゴールライラ・スロベニアレストラン「ピカポロンツア」事務局ロシア料理「キエフ」「グリーン」「フィゲラス」「バリバリインドネシア」他11店舗。)代表世話人。「京都国際食文化研究所」代表 京都エスニック50年記念出版「定番にしたい異国料理店」(教材研究所)は、約400冊が、京都の図書館・医療機関・大学・国際交流機関に無償配布されている。京都府農業会議「ダーチャプロジェクト」立案・NPO「ふるさとテレビ」顧問・NPO「京都環境21」理事・「北野創生会議」・「京都プロデュース協会」会員・「民族芸術学会」会員・「ワールドミュージックネットワーク」世話人 幼小中の教育大附属桃山の同級生とのお誕生会以来、人生で出会った沢山の仲間達と、今も様々なご飯食べ会を楽しんでいる。

著者 「定番にしたい異国料理店」教材研究所 刊
共著 「はらはらと」円山公園東観荘で吉川女将を囲む100人畑岡先生編集
陶芸出品 「京展」「日展」他 約200回
個展   「アートスペース八源」「しまだい」他
特別制作 「京都市中央市場65周年市長賞場長賞副賞制作
     「大乗寺200天目茶碗」「円山公園東観荘織部の間&庭園」
     「京都大学医学部茶道部茶会の為の天の岩戸の水差し」
     「同じく 平安神宮茶会の為平安神宮白砂の水差し」
代表作  「母なる大地」(第3回チェラミスタ池坊と花器展 買上)
     「砂漠の蜃気楼 バーミヤン」(現代工芸展)「ペトラ砂漠の神殿」
     「心のブラックホール」(チェラミスタ 近鉄百貨店)「塔・ボロブドゥール」
     「回想」「宙」(日展)「勾玉伝説」(炎の陶芸展)
展覧会企画「アートスペース八源」(二年)「美食器展」(14回)
     「ホテルフジタ京都平安京ギャラリー」(1年)
     「京都市美術館チェラミスタ展」
     「京都国際ホテル35周年記念日本庭園舞台に浮遊群」
     「京都歴史都市博チェラミスタ展 七つの島企画担当」
     「京都府陶磁器組合連合会青年部六団体新世代 inしまだい」
陶芸指導 「京都市公立小学校」「京都市保健所リハビリ陶芸」
     「長尾谷高校」「つくば開成高校」と五つの陶芸倶楽部
      などでこれまでに約3千名に陶芸指導(円山陶芸協会)
出版物紹介「作務衣の手ざわり」あさかよしこ 京都の百人の職人の1人
     「日本の陶芸」共著陶芸実技小山喜平 実技写真モデル
現在   「京都国際食文化研究室」代表。
     「幸せの100円パン生地工房」にて、現役のパン生地職人。
オーナーへメッセージ

スポンサーリンク

上記の広告は、60日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by 京つう運営事務局 at

2009年01月26日

中国料理「桂花林」の「坦々麺」

中国料理「桂花林」はホテル「フジタ」の地下にある。
入ったことがある人は、まず絶景の景色に驚かれるだろう。

今回、このホテルの正面のディスプレーを、お手伝いさせていただくことのなった。
その打ち合わせを兼ねて、フラワーアーティストの富田洋子さんと福井支配人と3人で、「坦々麺」と「気まぐれデザート」をいただいた。

昔東急ホテルに当時あった「中国飯店」に2年間、中国料理の勉強をかねて手伝いに行った時、おいしい中国麺の秘訣で教えていただいた3つが、ここに生かされていた。

ただ辛さが強調された他のものと違い、上品な味わい。
そう、これだったんだ。

  


Posted by こやまあきゆき at 23:13中華料理

2009年01月26日

ラーメン「天天有」30年前

私のブログでラーメン店は、日常の和洋中華のカテゴリーに分けている。
しかし中国料理店で食べると中華のカテゴリーになる。

ラーメンがこれほど発展したのは、「カレーライス」と同様に、日本文化である。
それが、最近中国に逆進出して、巨大チェーン展開しているお店も有る。牛丼より展開が速い。

そんなラーメン店で、最初にはまったのが学生時代の「天天有」だった。
先代の頃で、奥の座敷と呼んでいた茶の間。

きっと、唯一のプライベート空間が、人気と共に客席に変貌し始めた頃、いつも「奥空いてる?」といって、京産大の大塚ら、元々京都産業大学グリークラブに同期入団した連中と、練習の後とかに、行きだしたのがきっかけだった。

繁昌して、昼の仕込やらが親父さん。夜はお母さんと、まだ若かった今のご主人が2人でやりはじめた頃の事を思い出す。
夜中4時ごろだったか、もうお店もほとんど空いてないある日、洛北高校前の「吉野家」に立ち寄ったら、2人でご飯食べておられた。こんな時間まで働いて、大変な仕事だと思った。

今、有名になっても、しっかり現場で仕事をしている。大きくなったら現場を離れて社長になってしまうのが常なのに。
たくさんいいお店が出来ているけど。
ここにくると、昔、茶の間で食べた時と、なんもかわってへん。

姉妹店の器も内装も変わっておしゃれになったけど。
本店のここで食べると、30年の自分とこのお店の歴史を楽しんでいる気がする。  


Posted by こやまあきゆき at 02:26食堂・日常の和洋中華