2007年01月23日
2007年01月23日
2007年01月23日
「キエフ」の質問3、なぜロシア料理店を開いたの?
加藤家は戦前・戦中。現在中国のハルビンで三人の子供が生まれました。ロシア人が作った町です。白系ロシア人が多かった。戦後日本にいるロシア人を使って、成長してきた。50周年の東京の姉妹店「スンガリー」の名は、松花口のロシア語から来た。
2007年01月23日
「キエフ」の質問2、加藤家はなぜ、京都に店を開いたの?
初代「加藤幸四郎」社長は、上賀茂の社家の一角に実家があった。妻淑子は、京都の呉服屋の娘で、堀川高女の卒業生。京都が故郷です。三人の子供も、京都で小学校や中学・高校時代を過ごしました。京都市とキエフ市が姉妹都市になったのを記念して、京都に店ができました。
2007年01月23日
「キエフ」での質問1、ロシア料理?ウクライナ料理?
キエフは現在ウクライナの首都です。しかし、同時にキエフ辺りにもともと住んでいたスラブ系の人々が周囲に広がり、現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシ(東スラブ系)。ポーランド・チェコ・スロバキア(西スラブ系)ブルガリア・セルビア・モンテネグロ・スロベニア・クロアチア(南スラブ系)へと広がりました。西はカソリックの影響が、ベラルーシは北欧の影響が、南スラブは、トルコ系の影響も強く、スロベニア・クロアチアは、ウィーン・ハンガリーなどの影響が。他にも様々な民族の文化がいりみだれています。150以上の民族の文化を人くくりには出来ません。
2007年01月23日
千の風
オリコン1位になった方もおられますが、世間がこんなに騒ぐ前に、千の風にふかれての詩に感動して、「千の風」と名付けられた「ラーメン店」の素敵なご夫妻が、昨日私のいる店に訪ねてきてくださいました。「キエフ」の屋上は、京都有数の絶景ポイント。三人で屋上に上った時には、天から涙が降り注ぐような霧雨。そしてにわかに強風が吹き始めました。6階の店に私が傘を取りに戻って屋上に上ると、不思議なぐらいに雨は止み、風に吹かれながら三人で、西は鴨川沿いに、端から端まで見える夏に床の出る二条から五条。北は妙法。東は三十六峰を眺めながら、京都の街の魅力について語り合いました。東山には、比叡山・大文字・吉田山・黒谷・知恩院・安養寺・本願寺の大谷廟・高台寺・清水寺・八坂の塔・歌舞練場・・・と見渡せます。特にキエフの加藤家の菩提寺でもある大谷廟の万灯会の話をしている内に、風の流れが変わりました。いろいろなことを、感じながらの一日の始まりでした。
Posted by こやまあきゆき at
00:53
│食堂・日常の和洋中華