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プロフィール
こやまあきゆき
こやまあきゆき
YUKI(ニックネーム)こやまあきゆきは、本名小山晶之 
京都東山の泉涌寺の登り窯のあった陶芸の家「黒門」で誕生。
世界の食文化の研究家。父はシルクロードの工芸研究家で陶芸家の小山喜平。「京都国際学生の家」の同期8人と「くいしんぼうの会」を結成。会員15カ国150名。京都の伝説の無国籍料理店カプリチョース初期の責任者 現在200店舗の外国料理店で、「京都国際レストランネットワーク」を作る。(会長イゴールライラ・スロベニアレストラン「ピカポロンツア」事務局ロシア料理「キエフ」「グリーン」「フィゲラス」「バリバリインドネシア」他11店舗。)代表世話人。「京都国際食文化研究所」代表 京都エスニック50年記念出版「定番にしたい異国料理店」(教材研究所)は、約400冊が、京都の図書館・医療機関・大学・国際交流機関に無償配布されている。京都府農業会議「ダーチャプロジェクト」立案・NPO「ふるさとテレビ」顧問・NPO「京都環境21」理事・「北野創生会議」・「京都プロデュース協会」会員・「民族芸術学会」会員・「ワールドミュージックネットワーク」世話人 幼小中の教育大附属桃山の同級生とのお誕生会以来、人生で出会った沢山の仲間達と、今も様々なご飯食べ会を楽しんでいる。

著者 「定番にしたい異国料理店」教材研究所 刊
共著 「はらはらと」円山公園東観荘で吉川女将を囲む100人畑岡先生編集
陶芸出品 「京展」「日展」他 約200回
個展   「アートスペース八源」「しまだい」他
特別制作 「京都市中央市場65周年市長賞場長賞副賞制作
     「大乗寺200天目茶碗」「円山公園東観荘織部の間&庭園」
     「京都大学医学部茶道部茶会の為の天の岩戸の水差し」
     「同じく 平安神宮茶会の為平安神宮白砂の水差し」
代表作  「母なる大地」(第3回チェラミスタ池坊と花器展 買上)
     「砂漠の蜃気楼 バーミヤン」(現代工芸展)「ペトラ砂漠の神殿」
     「心のブラックホール」(チェラミスタ 近鉄百貨店)「塔・ボロブドゥール」
     「回想」「宙」(日展)「勾玉伝説」(炎の陶芸展)
展覧会企画「アートスペース八源」(二年)「美食器展」(14回)
     「ホテルフジタ京都平安京ギャラリー」(1年)
     「京都市美術館チェラミスタ展」
     「京都国際ホテル35周年記念日本庭園舞台に浮遊群」
     「京都歴史都市博チェラミスタ展 七つの島企画担当」
     「京都府陶磁器組合連合会青年部六団体新世代 inしまだい」
陶芸指導 「京都市公立小学校」「京都市保健所リハビリ陶芸」
     「長尾谷高校」「つくば開成高校」と五つの陶芸倶楽部
      などでこれまでに約3千名に陶芸指導(円山陶芸協会)
出版物紹介「作務衣の手ざわり」あさかよしこ 京都の百人の職人の1人
     「日本の陶芸」共著陶芸実技小山喜平 実技写真モデル
現在   「京都国際食文化研究室」代表。
     「幸せの100円パン生地工房」にて、現役のパン生地職人。
オーナーへメッセージ

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Posted by 京つう運営事務局 at

2009年07月14日

京都くいしんぼう復活ブログ

京都くいしんぼうの会ブログをお楽しみの皆様へ

しばらくお休みいたしました。
愛用のパソコンが暑さのせいかシステム障害が生じたため
師匠のヒグマン先生に調べてもらっていました。
幸い、データーもそのまま復旧できました、まもなく帰ってきます。

その間、「キエフ」が連日満席の為に連日てんてこ舞い状態でした。

明日は、家族や「くいしんぼう桃源郷」の世話人ら8人で、『ロイヤルホテルスパ』の1階のマレーシアバイキングドリンク付き¥2500に行ってきます。

  


Posted by こやまあきゆき at 16:46くいしんぼうな人たち

2009年06月30日

財団法人『京都国際学生の家』で大食いしました。

教材研究所の枝川さんと『国際学生の家』のフェスティバルに招待していただいて、本も紹介してきましたが、なによりもたくさんいただきました。日本・中国・インドネシア・タイ・スペイン・イタリア・インド・エジプト・・・

枝川さんが、仔細を彼女の「京都くいしんぼう」といううブログで写真入で紹介されました。
http://mixi.jp:80/view_bbs.pl?id=44037311&comment_count=3&comm_id=4224123&mailmagazine=1  


Posted by こやまあきゆき at 14:35くいしんぼうな人たち

2009年06月28日

枝川さんのブログにニコラとこやま登場

京都くいしんぼうの会の仲間
『教材研究所』の枝川女史のブログ「京都くいしんぼう」に
こやまあきゆきといたうたいたイタリア生まれのニコラ君が登場しました。
http://mixi.jp:80/view_bbs.pl?id=43997327&comment_count=0&comm_id=4224123&mailmagazine=1  


Posted by こやまあきゆき at 13:41くいしんぼうな人たち

2009年06月21日

くいしんぼう秘密の・・・

こやまあきゆき
この本は、枝川女史の多大なる努力の賜物でもある
彼女に素顔は?
http://mixi.jp/show_log.pl?mailmagazine=1
  


Posted by こやまあきゆき at 14:45くいしんぼうな人たち

2009年06月13日

京都リビング新聞にこやまあきゆき紹介されました

本日配布された京都リビング新聞に、こやまあきゆきが、大きく紹介されました。
内容は、『京都は世界の食の都』を目標に、京都が好き。料理が好きな仲間達と取り組んできた様々な活動と、今回『教材研究所』のおかげで出版された『定番にしたい異国料理店』についてや『京つう』ブログで発信してきた京都の食の様々な情報。更に『京都国際学生の家』との出会いとその後の活動についてなど。です。

http://www.kyotoliving.co.jp/kyoto_living/living.html

私にとって、新聞社で働く人たちや雑誌関係の人も、ある種皆仲間なのです。

実は、今回の取材に来られたリビング新聞社の方々はご存知なかったのですが、10年間活動hした『京都苦意辛抱の会』の会員の中に、当時リビングで文化事業の企画もしていた桐畑さんがいて、彼女の発案で、当時メンバーの京大卒業後フレンチのコックから支配人になり、北白川別当町に私たちの夢のレストラン「パピルス料理店」を開いた笹沼の店で、会長のイゴールライラ(現在スロベニアレストラン「ピカポロンツァ」オーナーシェフそして実は、京都大学理学博士)と2人で、世界の料理と食文化を知っていただくセミナーを開いていました。(主催リビング新聞社)

更に、リビング新聞やFM放送局の立ち上げにもかかわられた杉本さんと、中国・韓国料理店の法的な行政指導をされている安澤さんと3人で「京都プロデュース協会」を設立。このとき会長に就任してくださった石田先生は、国際芸術交流でも大きな仕事をされたかたですが、『京都イタリア料理研究会』のサポータでもありました。

今回、様々かたからのご推薦で取材してくださった時に、あまりにもたくさんの話をしすぎて、収集がつかなくなるのではと心配hしましたが、さすがに簡潔にまとめてくださり、内容や前後関係も正確で、今までの流れを簡潔にまとめてくださって、さすがと感心しました。

もうすぐ『国際学生の家』のイベントで、たくさんの仲間と再会しますので、ご報告がまた1つ増えました。今日たくさんの方から電話やメールが入ってきました。その中に教材研究所に、この本どこで買うの?というお問い合わせもかかっているようです。

基本的に関西の主要書店には置かれています。
紀伊国屋・ジュンク堂・ブックファースト・大垣書店・丸山書店・・・・・高島屋にもありました。京大・京産大・京都外大・精華大古今烏丸などもちろん関西・東京圏もです。

本当に皆さんの大きなご支援の賜物です。

ありがとうございました。  


Posted by こやまあきゆき at 00:06くいしんぼうな人たち

2009年06月12日

本 続々売り切れありがとう

教材研究所の枝川さんが編集してくださった、こやまあきゆきの
『定番にしたい異国料理店』
関西・関東の主要書店から、発売前に20冊から中には100冊のご注文いただいてました。
うれしいことに、初回導入完売追加が続々入ってきています。

本当にこれは私一人の本ではなく、私の周りにいる 京都と食べることの好きな世界中の仲間達の記録でもあります。

もうすぐ国際食べ物祭りにも参加します。町屋講演会や取材も続々です。

本当に感謝です。枝川さんのくいしんぼうブログもご紹介します。
http://mixi.jp:80/view_bbs.pl?id=42861132&comment_count=5&comm_id=4224123&mailmagazine=1  


Posted by こやまあきゆき at 13:47くいしんぼうな人たち

2009年06月08日

陶芸家こやまあきゆきの素顔

http://www.nagaodani.ed.jp/etc/item_960.html

2つの高校の講師でもあります。

またホテルフジタの表の顔
「フジタ平安京ギャラリー」の企画も担当してます。

6月は『日本刺繍協会』の皆さんの源氏物語と陶芸家加古勝己さんお作品です。
  


Posted by こやまあきゆき at 00:04くいしんぼうな人たち

2009年05月25日

素敵な北白川のマドンナ様へ

5月22日
ロシアレストラン「キエフ」屋上OPENしました。
今日も寒い中駆けつけてくださった皆様ありがとうございます。
うれしいことに、昨日は、くいしんぼうのメンバーのイタリア人ビータファミリーがビヤガーデンに来店。
奥様の久美さんは、イタリアで陶芸を学び、現在我が家で修行中。息子のニコラが来週火曜日からビヤガーデンデビューします。
  


Posted by こやまあきゆき at 00:03くいしんぼうな人たち

2009年05月23日

茂庵・ホンキートンク・そうげんカフェ

今日は、「こやまあきゆきお気に入り京都7大カフェの内の2軒
吉田山山頂の『茂庵』さんと造形芸術大学向かいの『そうげんカフェ』の2軒に、『定番にしたい異国料理店』を、お届けにあがった。実は、その前に宝ヶ池の乗馬倶楽部内の『ホンキートンク』に行きまして、ようやく掲載本をお届けにいったのですが、ここは、私の休みと同じ水曜日が定休日。また2時からキエフにいる私と同じ営業時間。
当然、絶対いけません。
以前も、キエフのビルの定期検査の日が日曜日なので、行きました。カントリーウエスタンの世界に飛び込んだような世界。
私の学生時代の思い出の一コマ。

『茂庵』は、銀閣寺道から『吉田山荘』のある神楽坂を南へ上っていくと右手・西側に『茂案』の看板。
そこから階段を上って、社家の一角の不思議な家並みの前を通って、更に山頂へ上っていくと『茂案』の世界。途中にいくつかのお茶室の前を通る。上がり口で靴を脱いで、階段を上るとそこは、吉田山山頂展望台的空間。オーナーの上品なお出迎えにやっぱりここまで来てよかったと思う。

『そうげんカフェ』は、素材を大切に、丁寧に作った一品を、食事からデザートまで単品で楽しめるカフェ。有る意味今のはやりのスタイルだが、『京都くいしんぼうの会』が選ぶ理由は、リーズナブルなのに驚くほどのおいしさ。


  


Posted by こやまあきゆき at 02:06くいしんぼうな人たち

2009年05月16日

くいしんぼうのお礼行脚

『定番にしたい異国料理店』
掲載店だけでも200軒
ようやく9割ご挨拶に行けました。
まだのお店の方。すみません。
この2日で、祇園の樽のモルトのある「バートランド」・フィィピン料理「アジアティカ祇園」・祇園のインド料理「マハラジャ」・ベルギー料理西院「モニュマンブルー」・ガーナ・タンザニア・エジプト&アフリカ料理西京極の「アシャンティ」・伏見のインド料理「ニューデリー」二条の「よらむ」・正面通りネパール料理「マチャプチャレ」勧修寺のタイ料理「らくちゃん」(ただいまコックサンの関係で休業中)・山科西友向かいの太平洋の「バラクーダ」・北白川「ベリーベリー」・北山「チャンノイ」に行きました。

「エルガー」「プチシャーレ」「ホンキートンク」「ジェリーズパイ」「そうげんかふぇ」「茂庵」「佛沙羅館」近く行きます。

「来週水曜日はブラジル料理エステレーラ」に同級生「桃源郷の集い」のメンバーと食べに行きます。

「アントニオ」さんスタッフ募集中です。

「キエフ」と「フジタホテル」は5月22日ビヤガーデン開始。「キエフ」はキリン「フジタ」はサッポロ。

ちなみに今日OPENした「菊水」はアサヒで「東華菜館」はサントリーです。

今日の小山日誌朝はフジタ「ピエスデゥ」裏方。昼「フジタ京都平安京ギャラリー」の展示の「日本刺繍協会の源氏物語」に立ち会う。(こやま企画担当です)。昼母校大谷高校にあいさつ。午後から「キエフビヤガーデン」の舞台作り。夜はホールで仕事。

その前日も同じただし昼のキエフは「歌声喫茶」。水曜日は昼から高校教師で陶芸指導。明日は朝「フジタ」昼お礼回り「午後キエフ」で登紀子さんライブの準備。日曜日「加藤登紀子ソング&トーク」。こんな毎日です。  


Posted by こやまあきゆき at 00:31くいしんぼうな人たち

2009年05月10日

京都くいしんぼうの会の3つ子の兄弟

いつも聞かれる『京都くいしんぼうの会』に入れますか?のご質問にお答えします。

どなたでもいつからでもご参加いただけます。
入会金も会費もいりません。
ただ、現在の『京都くいしんぼうの会』は、特に会合を開いていませんでした。
実は、この会の原型は、私の本「定番にしたい異国料理店」(教材研究所刊 ¥1300)の巻末付録の京都エスニック200軒リストの前頁に京大名誉教授の内海博司先生が書いてくださっていますが、毎週金曜の夜に約60人が参加して各自の国の料理をいっしょに作って食べます。
世界の文化を知る上で、すばらしいプログラム0ぱこきで、社会人になっても自分たちのコモンキールを続ける為に、わたしが7人スカウトして、結成しました。「苦胃辛抱の会」には、150人以上が10年間に参加しました。
また、この寮には、100カ国以上の寮生&ゲストがくだしています。

「くいしんぼうの会」「京都食文化研究会」「京都国際レストランネットワーク」を3つ子の兄弟。

まず、「京都くいしんぼうの家」に行ってください。

スロベニア料理店「ピカポロンツァ」
大阪のポルトガル料理「ポルトガリア」
ロシア料理「キエフ」
和食「いやいやえん」
などは、仲間のお店です。


「くいしんぼう」は、私たちだけの専用の名称ではありません。
身近な所にいるくいしんぼうさんに、「○○○くいしんぼうの会」
作ろうとこえをかければ、すぐいっぱいになります。

「いやいやえん」は、交流の場です。  


Posted by こやまあきゆき at 00:00くいしんぼうな人たち

2009年05月08日

財『京都国際学生の家』の夕食

京都市左京区聖護院東町

ここに、私たちくいしんぼうを育てた『京都国際学生の家』があります。

日本人と留学生が共同生活を送るこの寮で、これまで70カ国を超える寮生と90カ国近い国々から京都の来られたゲストの合計数千名が、この家で生活しました。世界の国の中で来られてない国を探す方がむずかしい規模です。

寮生は、最低1年から3年。ゲストも以前は男子寮でしたから、女子留学生や家族で滞在する方は、ゲストフロアーや別館に滞在されるために、女子留学生は、やはり1年以上滞在するケースが多く。現在は男女共に寮生となれるようになりました。

京大や同志社大学に留学生が来るようになって、住宅不足が問題になった頃、スイスに出来ていた「国際学生の家」を是非日本の京都にというう動きが両大学の先生方の提案で計画されました。

スイスは永世中立国で、国連関連でも大きな役割を受け持っていましたが、同時に世界的連携の面では、陸の孤島と呼ばれた時代があり、スイスを理解してもらい、またスイスの若者が世界を正しく知る場所として、「国際学生の家」が初めて設立されました。収入の一部を社会還元で寄付するスイスミッションの活動などもあり、この寮は設立しましたが、本当に国際社会でこのようなプログラムが国政平和や相互理解に貢献できるのか?

京都で起こった運動とスイスから投げられた平和と相互理解のプログラムが、大陸の東の端で大きく花開くことになりました。
6000万円相当の資金がスイスでの募金活動から提供され、それに京都の財界など各界の有志が賛同してこの寮は誕生しました。

政治・宗教・国籍・民族・年齢・性別を超えた様々な背景をもった人々が、決められたルールにしたがって共同生活hしています。寮生は、全員ハウスジョブを1つ持ちます。毎週金曜日に寮生の各国の料理を寮のハウスマーザーやスタッフの協力で作って全員で食べます。このコモンミール。半年でジョブが変わるのに、わたしは3年間で1年半担当し、残りが、キッチン当番。会報のイヤーブック編集員。最後が自治会の書記でした。コモンミールマネージャーを一緒にしたのが、最初がマレーシアのヤップ。京大工学部大学院からフランスの石油探査「シュランベルジャー」に入社。各地の砂漠の調査を担当後、退職して現在オーストラリアの大地主です。何度か遊びに来ました。2人目がイゴール。琵琶湖の生態系を数理生態学で研究して京大理学博士。でも皆さんは、「スロベニアレストランピカポロンツァ」のオーナーとか、弘法さんでケーキギバニッツァなどを売ってる叔父さん。
更に、京大農学部で、ラグビー部だった。体力抜群なので、買出し

こんなすばらしい生活を皆さんに味わってほしい。  


Posted by こやまあきゆき at 00:55くいしんぼうな人たち

2009年04月10日

こやまあきゆきの京都の『異国料理店』は月末発売予定

今日、本文の最終チェックをしました。

この本。¥1300の予定

◎京都で世界一周食べ歩きの旅
◎京都のエスニック50年を飾ってきた、98店舗の地図入り一覧表。
◎巻末付録に、今回ご紹介できなかったそのほかの、京都中のエスニックを『京都くいしんぼの会』仲間の情報で、
 まとめてご紹介します。

すでに、100冊単位で大型メイン店からご予約が続々入っています。
ただし、初版は限定の為、最寄の出版社で、  


Posted by こやまあきゆき at 02:58くいしんぼうな人たち

2009年03月20日

こやま本の予告

ようやく、こやまあきゆきの本の全容が煮詰まってまいりました。
4月末全国出版というウことで、最終段階に入っています。

予告

どんな本? ガイドブックではありませんが、この本の編集には、200店舗ほどの京都の外国料理店が協力してくれました。
中には、和食・中華・フレンチ・イタリアンなど、今回の本のエスニックに該当しないお店の方も、いろいろな他のお店の情報を提供してくれました。

本文には、数十店舗のお店を食べながら、50年の京都エスニックの歴史や各地域の料理文化、これらのお店を作ってきた人々の素顔が、様々な角度から描かれています。

読んでいくだけで、世界の料理を知り、京都で世界を楽しむいろいろな楽しみ方を発見していただけるでしょう。
「京都くいしんぼうの会」は、今後、「財団法人京都国際学生の家」のOBが中心となってその輪を全世界に発信していくでしょう。同時に、「京都国際食文化研究会」は、事務局を「いやいやえん2階のKINOKILIMU」に置きます。また「京都国際レストランネットワーク」の事務局は、「キエフ」にあります。アゼルバイジャン料理「シャンディーズ」のレザさん他、いろんなジャンルのレストランが、お互いに助け合うネットワークになります。3つが連携して、各大学や公的機関ともネットワークを進めれば、もうすぐ「京都は世界の食の都」と呼ばれる日が来るのも時間の問題です。

なぜ、和食・京料理の「京都」が、世界の食の都なのか?
世界中から、たくさんの人が、京都の文化に引かれて来日されます。中には留学生や研究者のように長期滞在する人も多いのです。その国籍は、「京都国際学生の家」だけを見ても、全世界から来ています。もちろん在日中は、日本文化や日本食にもなれるでしょう。しかし、イスラムの皆さんのハラール食材やベジタリアンの皆さんの食事も、食べられるお店がたくさんあります。
京都には、東京ほどの高価な外国料理店はありませんが、ほぼ全世界の人々を受け入れる土壌があります。
それが京都です。留学生の方でも食べにいける。それは、日本の学生でも食べにいける。

365日、毎日1食普通の食事の予算で、エスニック料理を食べ歩きましょう。毎日別の店に足を運んで。

この本には、巻末に、文中に出てきたお店や主な専門店が掲載されていますが、今回大きくとりあげなかったお店のリストも掲載しています。基本的にお昼¥1000前後夜¥3000でもOK的なお店ばかりです。
ご参考にしてください。  


Posted by こやまあきゆき at 00:27くいしんぼうな人たち

2009年03月12日

3月11日引っ越しました

一乗寺に引っ越しました

急な引越しで2階も近くのマックで済ませました

久しぶりに入ったお店です

枝川さんの報告で、こやまあきゆきの本が4月末出版予定になりました

今日は、巻末の外国料理店リストです。

老舗のタイ料理「タムサバイ」閉店情報です。
  


Posted by こやまあきゆき at 02:14くいしんぼうな人たち

2008年12月22日

サヤーチカへプレゼント

21日からロシアレストラン「キエフ」はクリスマスライブが入っています。

元「シスターハウス ベラミ」のバンマス石川さんがライブです。MC¥500

それは、さておきサヤーチカは、OL。

・岩倉方面おすすめは、「カウニスマーラ」にハーブティーを飲みに行く。
・「エバンタィユ」の野お3ddddddddddddddddddd菜プレート
・岩倉上ったシャトレーゼは娘がよくケーキを買いに行く
・北山駅方面に抜ける深泥が池の先にも「バリカフェ」「タイ料理チャンノイ」
・ロシア料理「バーバチカ」
・「天使ノカフェ」いいy  


Posted by こやまあきゆき at 00:58くいしんぼうな人たち

2008年12月22日

モリ口・こんどう・まずなし・えみぞう・しずちゃん・サヤーチカ

私が、小学生時代アッケン(今銀行員)のりちゃん(主婦)アックン(今医者)ナンコウヤク(今歯科医)コーチャン(今高校教師)らと持ち寄りパーティーをしていたのが、くいしんぼうのルーツかもしれない。

中学時代に会長と呼ばれた同級の女学生が呼びかけて、高校が別々になってもホームパーティーが開かれた。

大学に進学するとあらゆるクラブ・サークル・バイト先の仲間と御飯食べやパーティーを開いた。特に8人の外国人先生と企画を組んだ「京都国際交流倶楽部」は、たくさんの交流プログラムを組んだ。(発起人は私です)

財団法人「京都国際学生の家」で過ごした3年間に、毎週金曜日60人で食べる「コモンミール」というう夕食会。世界の料理を皆で作った。更にホームパーティーに15日ほど連日連続さんかした記録もある。

「苦胃辛抱の会」は、退寮後8人で結成した。留学生5人、日本人3人。
10年で150人が参加。

円山公園「也阿弥」と「北野天満宮」で活動した「円遊会」には、わたしの「円山陶芸倶楽部」と「プラナ陶芸倶楽部」や「苦胃辛抱」の仲間が参加した。

「京都くいしんぼうの会」がキエフで再結成されたのは、学生の家の仲間が、会いに着てくれたのがきっかけ。またあれやろうよ。でじゅうぶんだ。

今、京都の地域ブログが面白い。・
たくさんのかたのご支援あえいがとうございま

しずさん インド料理もう一軒近所にできているように・・・特殊?  


Posted by こやまあきゆき at 00:43くいしんぼうな人たち

2008年10月31日

不景気は、くいしんぼうのチャンスでも小山は金持ち?

今日、私のいるロシアレストラン「キエフ」に、17年ぶりに再会するくいしんぼう仲間のカズコと今の「京都くいしんぼうの会」の世話人の一人、中尾悦子さんが来店した。
カズコは、チリ出身。日系だったため京都に留学。そのまま京都大学で研究を続けてきた。料理がうまいため、私が創設時にスカウトして創立8人のメンバーの一人。彼女の家でも何度の例会が開かれ、おいしいチリ料理をいただいた。京都にチリ料理店はないが、基本的にスペイン料理。特に魚介類を使った新鮮な料理が母国と共通しているので大好きだそうだ。
今も京大で研究を続けているので、出町近くの「リコリコ」ともうすぐできるマニエルさんの料理が楽しめる「ティオペペ」の東一条西入る。のお店を紹介した。

ところで、世の中不景気。自然と安くておいしいお店に花が咲いた。北山の野菜がおいしいバイキング「天使のカフェ」の東の方のお店がお気に入りだそうです。デザートも並んでいるので。
それなら加茂街道の「カフェショコラ」も安い¥1000ランチバイキングで、野菜がおいしいとバイキング談義。

外国のお客様を京都で接待することが多い彼女は、まず「がんこ二条苑」を1番良く利用するそうです。チリの人は、魚が好きなので、和食や寿司は人気なのと、建物が立派で、鴨川展望など、個室での食事の後建物や景色など見所が多いからだそうです。
皆さんご存知かもしれませんが、私こやまあきゆきは、「がんこ京都三条本店」のOPEN時のスタッフ。一応マネージャーとして、当時の東川支配人と京都の1号店を、立ち上げたメンバーです。店が落ち着いてちょっと気が抜けたのか、突然体調を崩して、休ませていただき、結局ご迷惑をおかけするのはどうもという事で、しばらくして退職したのです。その時の幹部や寿司・和食のスタッフとも仲が良かったので、元気になって早く戻って来いと皆さん行ってくださいましたが、すこし時間がかかる事になったため、残念ながら身を引きました。

それが、実家で療養するきっかけで、陶芸に目覚めるきっかけにもなり、お見舞いに来てくれた友人たちが、陶磁器の工房もある我が家にやがて出入りするようになって、「アトリエドユキ陶芸倶楽部」設立に結びつくのです。

話が飛びましたが、「がんこ」で仕事の後も飲み歩いていたのが原因で、決して仕事だけの問題ではありません。遅くまで仕事して、帰る時間には、2・3人飲み仲間が店の前で待っててくれる。それから飲みにいって、帰って、朝は、7時半に下鴨神社の南側にあった喫茶店で、今の家内と待ち合わせ。いっしょにモーニングセットを食べながら少しおしゃべりが日課でした。毎日睡眠3時間の生活は、やはり無理がいっぱいでした。ご迷惑をおかけした皆様ごめんなさい。でも、東川支配人は、現在副社長。
いつもまじめにがんばっているかたでした。さすが。

それにしても、不景気で、飲食店は大変といいたいのですが、朝お世話になっている「ホテルフジタ」は、紅葉もあって、当分満室。つまり、朝食バイキングに150から300位お食事に来られるのです。ピークが7時半から9時半の二時間。といううと、いかに裏方は大変かわかるでしょう。

おまけに、「キエフ」。本日も、「ヤーマチカ ディナーショー」で、夜は8時まで満席。
ありがたいことです。

ところで、2年で500店舗食べ歩いたと言いますと、必ず、金持ちとか、いろいろいわれますが、実は、こやまあきゆき。現在普段は、本を読んだり・書いたりするワンルームマンションで1り暮らし。家族は近所の1戸建て暮らし。もう1つの家に荷物が。
また、陶芸工房は実家です。

その結果、マンションにエコル生活のために、テレビ・冷蔵庫など家電が「電子レンジ」以外にありません。
冷暖房機能のエアコンもコンセントは抜いてあります。

よく皆さんエコロとかいいますが、私の1ケ月の電気代・ガス代は、なんと¥1000台と¥500以下。
ワンルームなので、家賃も¥40000

昨年まで住んでいたマンションに月15万払っていたのですが、寝に帰って朝6時半に出て行くなに無駄と引越し。

11万も浮いたのです。

なのに、京都の町は、ランチ¥500ぐらいからある街で、¥1000以下はザラにどこにでもあります。
学生の町は、大人になっても抜けないのです。
だから、最高! 夜でも¥3000で、おつりが来るのがうれしい。

もつといっぱい並べてほしいのです。  


Posted by こやまあきゆき at 23:53くいしんぼうな人たち

2008年10月31日

京都くいしんぼうの会続々再結集

京都で生まれた根っからくいしんぼうな私こやまあきゆき。
京都の登り窯のある泉涌寺の陶芸一族の中で生まれました。
名付け親の富本憲吉先生も、父喜平も、シルクロードの探検調査にかかわった事もあって、
富本先生や私の祖父で、生涯先生と行動をともにした鈴木清や父の工房が、鈴木家の登り窯を取り囲む形で立ち並び
私は、この通称「黒門」で、生まれました。
ここには、アメリカ陶芸の草分けのフレッド・オルセンさん他、たくさんの留学生や陶芸を学ぶ外国人が住んでいたり出入りしていて、あのロックフェラーファミリーも遊びに来ています。

そんな環境の中で生まれた私は、幼稚園・小学校・中学校と、同級生や友人とホ-ムパーティーを開くようになり、島田伸介さんの1年後輩で、大谷高校に入学しても、附属中学時代の友人らとHPを続け、京産大外語に入学すると、グリー倶楽部にも在籍しましたが、「京都国際交流倶楽部」を、8人の外国人の先生の協力で発足。「国際交流基金」からいただいた京都の国際交流の資料を基に、在京の各大学や国際交流団体。外国の文化センターの活動に28人の仲間と参加し、楽しい学生生活を送りました。その結果、京大生と一部同志社の学生しかいなかった「財団法人京都国際学生のい家」の寮生として入寮が許可され、3年間を過ごしました。

ここで、出会った8人で「京都食文化研究会」通称「京都苦胃辛抱の会」を結成。その後寮の後輩や料理関係者が続々入会。
10年で160人以上が参加しました。寮には数千人の留学生が住んでいたのでほんの一部ですが、それでも、スロベニア・香港・キプロス・スイス・ポルトガル・イタリア・アメリカ・ブラジル・チリ・イタリア・ドイツ・フランス・イギリス・オランダ・ベルギー・NZ・オーストラリア・アフガニスタン・中国・韓国ほか、日本以外にいろいろな国の仲間が参加しました。活動の流れでそれぞれが別の活動も始めたためにインド・タイ・シンガポール・インドネシアイラク・・・と輪が広がりました。

10年目に、インド料理の研究やクラシック音楽を聴きながらの会などを始めた現スロベニア料理ピカポロンツァ」のオーナーイゴール。インド音楽や中国料理などアジアンな交流にも積極的に取り組んだ中尾悦子。ブラジル料理「カフェジーニョ」などに、一時ケーキを作って配達していた、サンパウロ出身のクララ。世界の民族料理「パピルス」を開いた、京大出身のフレンチ料理人笹沼英司。中近東のキリムの貿易商で、和食「いやいやえん」を開いた大槻一之。中国現代史が専門の立命館大教授北村稔。

海外に行ったものもあり、10年で1度区切りをつけた「苦胃辛抱」。

その後、私が円山公園の「東観荘」の『也阿弥』というう、京都で最初のホテルの跡地(明治に最初のホテルとして開かれた『也阿弥』ホテルは、長崎商人井上喜太郎さんが開いた。分家の『常盤ホテル』が後に『京都ホテル』に改名。現在の『オークラ』)
で、はじめた『円遊会』は、こやまの器でこやまの料理を食べる会。だった。井上家の井上ただよしさん。『琵琶湖グランドホテル』の女将になる金子博美さん。世界のビール『ブラック』を、三条木屋町で経営していた黒川博美さん。北野天満宮神官の松吉真幸。後「淡交社」編集長になった、故 森田真司。「いやいやえん」を開いた大槻。医者で寮の後輩の野沢真司ら25名が参加して、円山公園と天満宮で毎月活動を続けた。

そうして、私が50歳で出版したい「京都は世界の食の都」をテーマにした、京都食の世界旅行の本を出す事を、具体的に考え始めた45歳の時、ロシア文化圏だけ空白な事に気づいた。

そうして、「キエフ」にかけた電話がきっかけで、私は今「キエフ」にいる。

150民族が暮らす、ユーラシア大陸の北半分を占める大国。
そして、続々と友人たちが集まり始めた。私も2年間で500軒のお店を京都で食べ歩いた。
スロベニアの「イゴール」やアゼルバイジャンの「レザ」他・・・
そして、「中尾悦子」が動いた。
寮の後輩の吉村(京大教授)と坂口(三菱電機研究員・異業種交流会主催)

「京都くいしんぼうの会」の名前で、活動が始まった。

長い前置きだったが、明日、中尾悦子が再び、懐かしい仲間を連れてくる。
堀内かずこ。 京都大学医学部に長く勤務した、日系チリ人。

くいしんぼうが、再び動き始める。  


Posted by こやまあきゆき at 01:35くいしんぼうな人たち

2008年10月09日

京都くいしんぼうの会1000記事突破しました。

50歳になったら、京都のエスニック50年史を本にまとめたい。
そんな夢を持っていた私が、45歳の時、ロシア文化圏が空白であることに気づいて、京都のロシアレストラン「キエフ」に1本の電話をした。

「夢は、実現する為に見るもの」がモットーの私は、実現不可能でも、前向きにできる事からどんどん行動する。そんな生き方で、いままで持ったたくさんの夢をたくさん実現してきた。

お金を出せば、本は作れる。しかし、自分が納得して、また、作る事に自分なりの意義を感じられる本にするには、ちょうど私が生まれたころから、京都にエスニックのお店が出来始めた。その歴史といっしょに生きてきて、京都で珍しかったスペイン料理店高島屋「ナガサキヤパティオ」やフレンチの「プチフランセ」他で修行して、また学生時代は、京大南側の「財団法人京都国際学生の家」で3年間留学生と暮らし、金曜日の夕食会「コモンミール」のお手伝いをして、和洋中華の時代に300冊の海外の料理書を集め、「京都食文化研究会」通称「苦胃辛抱の会」を結成。

エスニックの草分け「無国籍料理カプリチョース」2店舗の責任者として4人の仲間の留学生やフィゲラス元料理長平山・フレンチのオーク出身三好や京大出身でフレンチのコックになり、後世界の民族料理「パピルス料理店」を開いた笹沼やたくさんの仲間との活動。

今では、京都の200店舗以上の主に外国料理店のシェフや料理長。オーナーが友人になった私にとって、あとロシアを学べば本にまとめられる。「京都が世界の食の都」になる日も近い。

そんな想いで、「キエフ」で、旧ソビエト連邦150民族の料理文化を学んでいたある日、「Jライン」の小熊ちゃんが、

「『京つう』ブログという、地域ブログ作るんですけど、本に書こうとしていることとか、ブログで書いていかはったらどうですか?」
と、下鴨育ちの上品な京都弁で、声かけてくれました。最初は、ピンと来なかったのですが、アドバイスしてもらって、書いてみると、むっちゃ簡単。これならいくらでもかけると、実は4つまでブログ増やしました。でも、3つがベスト20の常連になっていたとき、ホントにこれでいいの?と感じました。

自分も、他の人のも読みたいし、たくさんの京都が好きな人に『京つう』ブログ書いてほしいし、と、周りの人にも勧めているうち、メインは、『京都くいしんぼうの会』に絞ろう。と決めました。

他の3つも、テーマが違うので、必要に応じてどうしても書きたい時だけ書きます。

そして『京都教材研究所』の皆さんが、このブログを見て私の本を出版してくださる事になりました。これも、皆さんのおかげです。らくたびさんも、取材の時に読んでますよと行ってくださいました。情報はどんどん活用してください。

私が、写真などをほとんど載せないのは、このブログは、私とくいしんぼう仲間のある意味情報交換ブログなのです。その京都中に住んでいるくいしんぼう仲間やお店をやっているたくさんの仲間。そして食文化研究hしているたくさんの仲間。

皆、わたしの仲間であり、家族のように仲のいい友人が世界中にいます。皆国籍問わず、京都が好きで、この町で学生気分で年を重ねている連中です。あるいは、海外と京都を行き来しています。

その食べ歩きの記録、ここ3年程で、1000回突破しました。
1つ前のブログがラーメン『千の風』2号店の話でしたが、私も『千の風』吹かした気分です。

52歳の誕生日が、今月12日にやってきます。55歳で、次は自分の店作りに取り組む計画ですが、「こばらがすいたら」を開いた弟に先を越されました。55歳まで、キエフで働く予定なので、もうしばらくは店にいますので、遊びに来てください。

最後に、年は、1000歳は無理ですが、108歳まで生きる予定で、人生プラン考えています。

50過ぎたら、その歴史を1度本にまとめる。ただし、108歳まで生きるつもりの私は、まだ半分です。
55歳で店作って、その後も10年単位の計画があります。がんばります。しつこいようですが、まだ人生半分弱ですから。  


Posted by こやまあきゆき at 23:00くいしんぼうな人たち

2008年09月30日

くいしんぼうの会新人、御幸町のマドンナさんへ

今、私がよくいっしょに食べに行くのは、20代の若者達がほとんど。
7人が大学生で1人が社会人。なんとここまでは全員男性。
本の編集担当で、大のくいしんぼうの枝川さんだけが女性。

もっとも、今までの私のくいしんぼうな仲間の数は、数百名います。
「京都国際交流倶楽部」「苦胃辛抱の会」「円遊会」「桃源郷の集い」や3000人近い陶芸の教え子の中のくいしんぼうな有志。
そして、現在いる「キエフ」にも「シルクロードの会」や「バルカン会」「カスピ会」ほか23もの会があります。
更に陶芸家有志の「チェラミスタ」の有志。お祭り好きの「京まつり研究会」と「ふるさとテレビ」の仲間。
「ホテルフジタ」や「キエフ」の同じ職場の有志。そして「財団法人京都国際学生の家」OBでもある「京都くいしんぼうの会」の世話人たち。

私が結婚した時、仲間が作った「世界の民族料理パピルス料理店」に200名を越える友人達が集まってくれました。
「無国籍料理カプリチョース」の岡田社長や中原さん(現在の「グランピエ」「丁子屋」代表)レストラン「平わ」の山本社長。元ポルトガル大使で現大阪ポルトガル料理「ポルトガリア」オーナーのエドワルド。司会は、スロベニアレストラン「ピカポロンツァ」現オーナーのイゴルライラと奈良最大の乾物問屋の社長の故松井大。世話役が現在和食&蕎麦「いやいやえん」主人大槻一之
この頃のメンバーには、「あまから手帳」などの記者太田美代や辻静雄先生の料理所出版のアシスタント外山温子。他料理好きな仲間がたくさんいます。

食べる事が大好き。それだけで、だれでもが、国籍・年齢・性別・思想・職業を超えて家族のように交流できるのが、くいしんぼうの何よりの楽しみであり、自分の世界は無限に広がります。1人からでいいのです。ただできれば、本当に食べる事がまず好きな人2人と出会えたら、3人でごはん食べに行こう!
それだけで、そこに新しいくいしんぼうの会が誕生します。何よりも、よく知らない人でもいいのです。ただ条件は1つ。
本当に食べる事が好きな人。そして、自分で働いたりして自分1人ででも食べに行く人。
あと、私はランチや夜でもリーズナブルな¥3000ぐらいでも満足できるお店を選んでいます。それは、人それぞれであって。1食5万・10万それ以上でも気にならない方は、同じ感覚の方と高級店に行かれて楽しんでください。
私は、自分にとって毎日でも無理のない予算で生活の中で楽しんでいます。結果として、20代30代前半の若者の仲間が多いだけです。

女性1人で「キエフ」まで来てくださったことに感謝します。「くいしんぼうの会」の仲間になってくださる事を歓迎いたします。
機会を作ってご一緒しましょう!ニッシなども喜んでいます。ただ普段は、私も最近1人の方が動きやすいので1人で行動しています。いった先のお店の方からお話をお聞きするのが楽しいからです。京都は、安くておいしくて楽しくて個性的で安心して行けるお店が山ほどあります。毎日行っても行ききれません。

普段は、過去の経験も含めて情報をこのブログで流しています。リクエストがあれば流します。

最後に、今、京都で食べ歩きながら世界を旅する本を、教材研究所の枝川さんを中心としたプロジェクトのご支援で、編集にかかっています。無知苦茶世界の料理を楽しみながら理解していただける面白い本になります。200軒ぐらいの京都のエスニック店情報も記載します。別にお住まいの近所でもチェックしていてまだブログに書いてない店がたくさんあります。ヒントは、押小路と姉小路。つまり三条と御池の挟まれた通りに、楽しいお店が並んでいます。(ヒントです)わかりますか?
  


Posted by こやまあきゆき at 00:49くいしんぼうな人たち

2008年06月30日

「京都くいしんぼうの会」に英語版ができます。

以前から、京都の町の様々な食べ物情報を、自ら楽しみながらご紹介してきた、代表世話人のこやまあきゆきですが、現在、東アジアとシルクロードの西の端のイタリア&フレンチを除外した、京都で食べる世界の料理「京都は、世界の食の都」が、現在
「京都教材研究所」の皆さんのおかげで、今、本になろうとしています。西と東の端については、後日考えますが、更にもう一つの課題であった、外国語版のネットジョウホウを、京大生のくいしんぼう仲間。オッギーが、担当してくれる事になりました。別に
写真入のHP版の情報も、阿吽(あうん)仲間のヒッシーが、準備を始めました。

いろいろな事が、動いています。お楽しみに。  


Posted by こやまあきゆき at 23:44くいしんぼうな人たち

2008年04月08日

教材研究所のみなさんありがとうございました。

私の本。本当にできるのか?

でも、今日教材研究所のスタッフ皆で、ロシア料理を食べに来てくださいました。

ロシア・ウクライナの料理。ロシアビール・グルジアワイン・ポーランドのズブロッカ最後にブルガリアのバラの花びらのジャム。
5ケ国競演でした。

今キエフでは、リトアニアウオッカ・モルドバシャンパンなどもドリンクメニューに加えるかもしれません。
ちなみに、純米吟醸『玉乃光』が造られる馬乳酒の仲間「クムイス」は、ベラルーシのミンスクの研究所の指導で造られました。
アルメニアブランディー「アララット」・モンゴルウオッカ・シベリア餃子「ペリメニ」(マンディ・マントゥの仲間)・ウズベキスタンのプロフ・・・ユーラシアの料理とドリンクが揃っています。  


Posted by こやまあきゆき at 23:30くいしんぼうな人たち

2008年03月03日

愛のチュコレート

今日は、おひな祭りの桃の節句
しかし、私が朝1番たべたのは、バレンタインに娘にもらった生チョコだった。
次女の楓は、食べ物を「サクマドロップ」の缶とかに入れて大切に保管する。
原爆をテーマに書かれ「火垂るの墓」http://www.ntv.co.jp/hotaru/
の中で「セツコ」が握り締めている「サクマドロップ」
大切な食べ物は、缶に入れてしまっておく。

バレンタインのチョコレートを、楓は「グリコ」の缶に入れてプレゼントしてくれた。
手作りの生チョコ。
大切に一つ一つ食べていって、最後の一つを残していた。
残念ながら生チョコだから限界。「おひな祭り」は、2人の娘が、毎年友人を呼んで、お雛様を飾ってパーティーを開く習慣。
でも、今年は長女紫の受験で、お祭りは延期。

静かに、朝最後のチョコを感謝しながらいただいた。

数日前、昼から4軒食べ歩いた。帰りに飲み物を買いに、通りがかりの「99円ショップ」に立ち寄った。
入店時からレジ横にある石焼いもの香りが、収まっているはずの食欲を刺激する。
私の部屋には、普段ほとんど食べ物がない。
外食が多いこともあるが、明日の分などといって買ったものも、ほとんどその日に食べつくしてしまう。
朝の分を残しても朝にはきれいに胃袋に吸い込まれていく。

ところが、この日はたくさん在庫がある日。
普段、焼き芋だけでも以前は、二条寺町の川越芋とか、祇園から強制移転(四条通り拡張の時)させられたロフトの並びの店や、松原河原町西のお店、七条七本松の八百屋さんとかで、しっかりしていておいしい焼き芋食べてるのに、レジで2本買ってしまった。しかし、バイクのシートの下に入れたまま忘れて部屋に。風呂に入って焼き芋忘れたのに気づく。寒いし、食べ物いっぱいあるし・・・・ゴロンとなって焼き芋の事いろいろ考えているうち、戦争中は、すごいごちそうやったろうに、そういえば写真家の神田のチーちゃんが、アフリカの食料不足の地域に写真取りに行った時、お金があっても買う食糧がなくて、難民の人から食べられる木の根っこを分けてもらった話を急に思い出した。
翌日、すっかり忘れて夜に1本目をあっという間に食べてしまったが、急に戦争中の食料不足の古い映像が頭によぎって、もう一本は、次の日に残しておいた。少しずつ味わいながら、ゆっくりいただいた。

私は、もちろん戦後生まれの戦後育ち。
バブルの中で育った。
しかし、父は、しっかり食べとけよ。
いつ爆撃始まるかわからん。なんて事を時々言って、食べ残すことをすごく怒った。
そのせいか、食べたい分しか食べない家内とは、出会った時から私が最後きれいに片付ける係り。
でも、子供たちが食べ物を大切にする気持ちを持ってくれた事に感謝。

今日食べた生チョコ。そして先日の焼き芋。
毎日食べ過ぎるほど食べている私にも、食べる事の大切さを、改めて考える2品だった。  


Posted by こやまあきゆき at 22:13くいしんぼうな人たち

2008年03月02日

伊 ビータが帰ってきた。

今日、私の『円山陶芸倶楽部』のある実家に、イタリアンのビータ夫妻が遊びに来た。

京都でも研究所の所長になっているし、奥さんのKUMIも、アメリカやイタリアで陶芸を学んだので、京都でも続けたいとアトリエに遊びに来たのだが、彼らも実は、かつての国際学生の家のOBで、「くいしんぼうの会」仲間。

世界を舞台に活躍しているようだが、学生時代の友人・仲間というのは時間がたってもやっぱりすぐ気持ちが昔に戻ってしまう。
今日話していて、仲間の一人がEUの偉いさんになってる話がでた。でも、大阪の「ポルトガリア」のエドも以前東京の大使館にいたし、スロベニアレストランのオーナーシェフのイゴールも元々京大で博士号をとったコンピューターの専門家。でもやっぱり食べる事が好き。

さっそく今日は、フィンランドパン「キートス」のケーキを用意していっしょに食べた。お土産もキートスの「妖精の枕」といういちじくとか入ったもの。逆にビータも今度家でご馳走するからと・・・やっぱり「くいしんぼう」の話。

昔思った。「くいしんぼう」は、好奇心と行動力・生命力旺盛。・・・確かに。  


Posted by こやまあきゆき at 00:23くいしんぼうな人たち

2008年02月15日

京都くいしんぼうの会って?

「京都くいしんぼうの会」ってどんな組織?どんな団体?ってよく聞かれます。

基本的には、現在は私こやまあきゆきのくいしんぼうな仲間達。といった方が正確なのでしょう。
世話役は、私を含めて4人います。小山晶之・中尾悦子・吉村良一・坂口貴司 

私は、京都の登り窯のある陶芸家一族の家で生まれました。
幼稚園に行く前から、近所の幼馴染とお菓子を持ち寄ってあそんでいました。
幼稚園が京阪東福寺から丹波橋まで通わなければならなかったので、その後の小中学校も同じですが、同級生の家が皆ばらばらでした。結果的に、お菓子を持ち寄ってが、料理を一人分各自持ち寄ってのお誕生パーティーのように、集まる家の負担にならないルールを作って、同級生が誰かの家に集まるのは、けっこう日常の事になり、高校でバラバラになっても、中学時代の友人が、時々誰かが呼びかけて集まりました。必然的に小さいころは、3人から5・6人。中高生になると8人~12人位。この頃の仲間が、後の「円遊会」や「桃源郷の集い」のメンバーとして今でも参加してくれています。

大学では、「京都産業大学外国語学部ドイツ語学科」に入学し、フランス語が第2外国語で、国際関係コースの選択でした。
入学と同時に『京都産業大学グリークラブ』に入団。3回舞台に立ちますが、専攻の外国語学部の勉強についていくのが大変で休部。この時勉強重視、留年したら大変と言う事で、外国語学部でグリークラブに入団した11人の内10人が休部。結局退団します。この中に退学して料理の道に進もうと熱く語り合った群馬と青森の旅館の息子の牧野と武井のうちの武井。更に後に「京都産業大学国際交流倶楽部」の中核メンバーの英米語科の三好・インドネシア語科の三ケ森もグリー仲間で、ドイツ語研究会で出会った岩田と4人が創立メンバーでした。
私は、グリークラブ退団後「ドイツ語研究会」に所属して、『ドイツ文化研究班』『ドイツ語弁論大会への参加』を提案し、ドイツ人のDr.バウワー先生にかわいがっていただき、先生宅でしばしばドイツ料理を皆といただくようになります。
更に前述の「国際交流クラブ」の設立には、アメリカ人のサケット先生・フランス人のレルー先生・イタリア人のロマノ先生・スペイン出身の茨木先生・ドイツのDr.バウワー先生他オーストリア・NZなどの8人の外国人の先生にもご参加いただき、英語・仏語・独語・西語・露語・言語学・インドネシア語の24名の学生と京都の各国文化センター・国際交流機関・留学生寮などとも交流を深め、様々な料理や文化に接する機会を持つようになります。

その一つが、『財団法人京都国際学生の家』です。

京大生が90%以上を占め、同志社が1~2人。他に工繊・府大・芸大などもいますが、京産大は、過去に面接で通った事がない。と明言されていました。後輩の為に、落ちてもどんな面接するのか体験してくる。と4回生で受けた面接。すでに働いていた料理の世界で、ボーナスもいただき、就職確定の中で面接に合格してしまいます。

毎週60人位で、夕食会「コモンミール」が開かれ、この世話ができる。京都の伝統的陶芸の家で生まれ育っているので、京都の文化を伝えられる。いろいろなハンディーが、逆に有利に働いて、入寮する事に。結局コモンミールは金曜日。残したつもりの1科目2単位のフランス語中級(出席日数不足で取れてなかった1科目)。ちなみに上級を先にとって、4回生で160単位以上取っていたが、仕事を休む金曜日にその科目の授業がない!結局3年暮らした寮を出た翌年、授業のある曜日を、休みにしていただいて無事卒業。

この寮の3年間に外国料理の本は300冊を超えた。寮で出会ったたくさんの友人達の協力のおかげ。ちなみにハンガリーの料理本が、入寮最初のハンガリーの友人のプレゼント。中国・香港・台湾の本も揃った。現在のスロベニアレストラン「ピカポロンツァ」のオーナーイゴールが、東欧料理の本を買ってきてくれた。スイスHMがスイス料理の本を、後にイゴールと共に「苦胃辛抱の会」を結成する笹沼は、自転車で2星・3星レストランを食べ歩き、フレンチの本をプレゼント。他にもアラビア語のイラクの料理所は、カリムから。韓国の程さん。タイのシララット。シンガポールのラオ。・・・

料理を教えてくれたメキシコ・チリ・ブラジル・キプロス・イタリア・カナダ・オランダ・エジプト・インド・パキスタン・バングラディシュ・ベトナム・マレーシア・インドネシアベルギー・・・・・世界中の仲間達。そして苦胃辛抱に参加したスロベニア・キプロス・香港・ポルトガル・南米・アジア・ヨーロッパの仲間達。

『苦胃辛抱』は、その中でも特別3つの事が好きな人を、私が個別にスカウトした7人と自分の8人からスタートした。
当時、会長を10年間勤めてくれたのが、何度もご紹介しているイゴール・ライラ(「ピカプロンツァ」オーナー)
事務局は、京大卒業後フレンチのコック・支配人を勤め世界の民族料理「パピルス料理店」を北白川に開いた笹沼英司。
最初にスカウトしたのが、当時大阪の石油大手の広報課で、社内報を担当していた北島悦子。彼女の親友が後のメンバーキプロス出身で、サウジアラビアの都市計画の仕事をしている、学生の家出身のニコスの奥さんで、京都出身の貴子。彼女達もニコスも同会のメンバーだった。北島は仕事柄、京都のおいしいお店をくまなく食べ歩き、その記録をビッシリ手帳に書き込んでいた。いいお店を社内報で紹介する為に。その手帳を見せてもらって是非京都で会を作るときには参加してほしい。そうお願いした。この時、できれば北白川別当町に、みんなで世界の料理のレストランを開きたい。それが、当時の私の夢だと語った。

北島悦子から、会結成の直前に電話が入った。転職してオープンしたばかりの「センチュリーホテル」の事務職になったと。
引っ越して北白川別当町の北側に住んでいる事。更に彼女は、その後、現在のルネッサンスビルの前進のセンチュリーの姉妹ホテルの解体に際し、捨てられる古い寸胴など様々な調理道具を我々の活動拠点、北白川山ノ元町に当時あった、イゴール邸に運び込んだ。
更に、我々のメンバーの中で彼女が、最初に自分の店「ちゃらん」を家の近くにオープン。後に、別当町に笹沼が開く世界の民族料理「パピルス料理店」の先駆けになった。

この会が月1回の会合を欠かさず開いた10年間に。8人の仲間は130人に。
「あまから手帳」の太田美代。辻静雄さんの出版も手伝った辻調スタッフの外山温子。「プラナ」を開いた北村夫妻。「ポルトガリア」のオーナーエドワルド・ミラ・バティスタ。ローマ大の教授から京都の研究所の所長の就任したシルビオ・ビタ「いやいやえん」の大槻一之。ほんとに気が付けばなんと15ケ国130人が参加。

しかし、個人宅で料理を作って集まるのは、20人くらいが限度。便宜上レギュラーを創設会員を中心に、そのつど毎月参加できる20名をレギュラー会員としながらも、多い時には、参加が30人を超え、2日続くようになった。
参加者が多いので、料理を作る量も多くなる。一応夕食会だが、かならずあまる。そこで泊まれる連中は、泊まる。
奥の部屋を女性部屋と呼び、眠くなると女性は、女性部屋で寝てしまう。男は、勝手に寝る。風呂に入りたい人は勝手に入る。
皆、レギュラーはパジャマを置いていた。不思議なことに、この会で1組もカップルが誕生しなかった事。もちろん彼女を連れてきた私は、例外。最初からのカップル以外は、皆、まるで家族のような関係で、後結婚したりしていく中で、家族のように結婚式に参加したり世話役したり。本当に宗教団体?て聞かれるほど、家族以外の何物でもない関係だった。
膨張する「苦胃辛抱」は、1ケ所に集まる限界を超えていった。

そんな中、メンバーの北村夫妻がイタリア輸入家具・日本の手作り家具にこだわったお店「プラナ」を六地蔵のイトーヨーカド」の対面にオープン。北村るみが社長になる。北村稔は立命館大学教授。隣接地が兄のお店「北村自動車」で、間に小さな広場のような空間がある。

新しいプログラムとして、私の立案で参加型の食べて・手作りを楽しむ『六市楽座』を開いた。すでにクラシンク音楽を聴きながらイゴールの料理を楽しむ「四季の会」と「イゴール博士のカレー研究会」を開いていたイゴールのお店を中心に、大槻一之の手打ちそば屋。「ギバニッツア」などのケーキ屋。私は、陶芸教室。今の家内も当時自分の作った服のお店と似顔絵書き。(マンガや日本画で入選していた)テントを張ってのイベントは、毎月の例会になり、終わってからスタッフ30人くらいでイゴールの料理でビアパーティーが定番になった。

北島悦子は、自分が開いた「ちゃらん」でインド料理とチタールの演奏会とか、民族音楽とジョイントの活動へ。
笹沼は「パピルス壁のギャラリ」を設立して、芸術家との交流に。更に72席あった「パピルス」では、リビング新聞社にいたメンバーの企画で、イゴールや私の講演会も企画された。

私は、「無国籍料理カプリチョース」2店舗。の責任者のあと「がんこ寿司三条本店」のマネージャーに転出。これは、パピルスがまだ2人の夢として、笹沼と計画中の頃。もっとマネージメントを、若い間に勉強したいと考えたからだ。

このときの上司、東川支配人が、現がんこ寿司副社長。今も御案内をいただく。

陶芸家としての活動も始めた。

私の新しい仲間が、祇園酒店に集った「八源会」の8人。木村隆・岡田保博・加古勝巳・浅田博道・木村展之・小垣オーナー夫妻。奥さんは「松屋籐兵衛」の娘。ここは、若手陶芸展の舞台でもあり、酒もあり、出前で祇園の料理もあり。お茶・お花・料理・祇園に和ができ始めた。

陶芸界では、近藤高弘・長谷川展弘が提唱した京都で勉強した当時の若手陶芸家の親睦団体「チェラミスタ」。
役員の猪飼祐一・山田晶・市野雅彦・西貞幸・故佐藤巧らとは、親交を深めていく。
最後の代表幹事が私と木村隆・影山明・・・最大200名がさんかした「チェラミスタ」運動。
陶磁器業界では、「五条青年会」のメンバーとして、五条・日吉・泉涌寺・清水焼団地・炭山・絵付・卸の150名の仲間。
「京焼き清水焼連絡協議会」の副議長を務めた。「しまだい」の合同の陶芸展の後「しまだい」を皆と酌み交わした。
福井県「キノコの森」陶芸館に登り窯を作った仲間。近藤をリーダーに先の猪飼・市野・山田・木村の面々。
更に訓練校・工業試験場の仲間。どこでも食べる会ができた。
チェラミスタの代表幹事を勤める木村・蔭山私と代表の西やその有志は、いまも「チェラミスタ」を親睦会として開いている。

もう一つ、私の大きな仲間は、数年間陶芸倶楽部を開いていた円山公園『東観荘』の仲間。
これは、当時の女将吉川妙佳さんが、提唱して開いた『逢月サロン』の活動の一部として「円山陶芸倶楽部」が開かれた事。
「也阿弥ホテル」ゆかりの井上さんが参加された事で、円山で遊ぶ「円遊会」が結成される。
円山公園奥にある「安養寺」が法然上人・親鸞聖人ゆかりのお寺で、号を「円山」という。井上さんの兄が檀家総代。

「左阿弥」「也阿弥」など6つのお寺があった。円山で遊ぶから名付けられた『円遊会』
こやまあきゆきの器で、こやまの料理を食べる会。会長は井上さん。
この活動に円山陶芸倶楽部のメンバー・『苦胃辛抱』から大槻・野沢・糊田らが参加。更に北野天満宮の松吉真幸。淡交社の森田真司は、共に幼稚園時代からの「桃源郷」の仲間。

こうして私の周りには、たくさんの食べる事を通して、いろいろな集まりが形成されている。
京都の町を楽しく活性化させる藤田観光でお世話になった坂下さんが京都の世話役で集う「ふるさとテレビ」の仲間。

お祭り大好きな島田崇志さんの下に集まる「京まつり研究会」。

更に、私のいるロシアレストラン「キエフ」には、23ものいろんな会が作られている。
シルクロードの「玉乃光酒造」が再現するミルク酒クムイスを飲む会からスタートした「シルクロード」の会は、探検のお話なども聞きながらの会になって100名を超える会員がいる。

バルカン半島のブルガリアなどからワインが輸入され始めた時に、バルカンのワインを飲んで、歌って踊っての「バルカン会」にもやはり100名以上の会員がいる。京都の老舗の旅館や料亭のご主人がたくさん参加しておられる。

こうしてご紹介したのは、すべて食べる事を楽しむ事の和から広がった会で、正確に私の身近にいくつあるのか把握していないが、かなり頻繁に集まっている会だけでも30以上あるだろう。延べ3000名を超えるメンバーがいる。



更に、私には2つのグループの仲間がいる。
一つが、「京都国際レストラン・カフェ&バーネットワーク」の仲間である。
組織ではなく、お互いに情報交換や相談しあって、更にいい店にする為にがんばっている現場の仲間達である。ホテルにも多くの友人がいるが、たとえば「リンデンバウム」や「エルゴビバームス」・「アシャンティ」や「シャンディーズ」などはその一部。
特に組織ではなく同じ現場でがんばっている仲間としていい店にしていきたいとがんばる仲間達。
できれば、京都中が「世界の食の都京都」を育てる仲間のネットワークになれば、それが、私の夢。
「京都イタリア協会」がいい例で、個別の利害を超えて、いい店にしていく為のネットワーク。

もう一つが「京都国際食文化研究会」。私自身、「民族芸術学会」に登録されている数少ない「食文化」の専門家。学会には、様々な専門家がおられ、大阪万博内の「民族学博物館」。阪大の研究機関に事務局があるが、世界の料理文化は繋がっているというのが、私の持論なので、どこでどう結ばれているかを研究中。
すでに、150民族が住むロシア文化圏を研究するなかで、欧米・中近東・アジアとの関係はかなり明白になってきており、今後アフリカ・中南米との関係をもう少しつめれば、私なりの研究が完成する。
家森幸男先生という国連WHO研究機関の所長で、60数カ国の研究指導をしておられる先生や、シルクロードの研究者の父や入澤先生他様々な先生との出会いが、1つ1つの疑問を解き明かしてくださっている。これらは、「キエフ」の加藤夫妻のおかげである。

アシャンティーという京都にはすばらしいアフリカ料理のお店が西京極にあり、中欧に詳しいリンデンバウムの吉田君。南スラブ・ハンガリー圏にくわしいイゴール。京都には、たくさんのユニークな人材がいる。

京都が「世界の食の都」と呼ばれる日が来るのは近い。

私は、そう信じて日夜京都で食を楽しんでいる。  


Posted by こやまあきゆき at 03:00くいしんぼうな人たち

2008年01月02日

昨年を、振り返って

昨年は、たくさんのすばらしい出会いがありました。
『中川酒店』の中川さん、「バラクーダ」「ウリウリ」「アシャンティ」「カフェオバオバブ」「生ショコラ」

「シャンディーズ」のレザさん。
弟小山かげひろmp「こばらがすいたら」を三条衣棚にオープン。

なんといっても、『教材研究所』の枝川さんやスタッフの皆さんのおかげで、今秋『京都くいしんぼう』が本になりそうです。

1年ふりかえって、たくさんのすばらしいお店。たくさんのすばらしい出会い。たくさんのおいしい料理をいただきました。

すべての方に感謝しています。

料理にランキングをついける気は、まったくありません。

ただ、良く聞かれるので、最も印象深い1プレートを紹介します。

「エバンタイユ」のランチの、オードブルやスープ・主菜・デザートの間にでてきた

「おやさいのプレート」です。

いかにも地のお野菜を、たくさんの種類、一つ一つ丁寧に料理されていて、味が皆違うのです。
それぞれの、地の味があじわえるのです。

私は、思わず目を瞑って、1つ1つ。1口1口。味わいながら、自然と涙がでてきました。

主役やデザートもよかったのですが、あまりに地味ですが、あまりに印象に残ったので、2007年は、

おいしい野菜。の年でした。  


Posted by こやまあきゆき at 17:04くいしんぼうな人たち

2007年12月07日

大阪のポルトガル料理「ポルトガリア」

大阪で営業しているポルトガル料理店「ポルトガリア」
オーナーのエドワルド・ミラ・バチスタは、「京都国際学生の家」時代の同僚で、「苦胃辛抱の会」のレギュラーも勤めました。

私の結婚式に、当時東京のポルトガル大使館に勤務していて駆けつけてくれました。

大阪の皆さん。是非いってあげてください。
http://portugalia.seesaa.net/article/70672412.html?reload=2007-12-07T00:58:37  


Posted by こやまあきゆき at 01:05くいしんぼうな人たち