京都イタリアンの先駆者達

こやまあきゆき

2012年11月28日 21:12

今でこそポピュラーになったイタリア料理店だが、私が若いころびはイタリア料理店を名乗っているお店はなかった。まだ学生時代に新大宮にパスタだおいしい店があるというううわさで食べに行ったとき、奥様が「息子がイタリアに勉強に行ってますので、帰ったらイタリアレストランを開くつもりです。」と教えてもらった息子が、今の「フクムラ」のご主人。今ではその息子さんが「イタショク」を開かれた。

「タントタント」「ながぐつ亭」「イルパッパラルド」「カサビアンカ」京都でイタリア料理の普及お応援していた仲間がいたので、新しい店ができると食べに行っていた。

そんな中、「フクムラ」「カサビアンカ」とともに、やはり京都のイタリア料理普及に大きな役割を果たしたのが「タントタント」の存在。「京都イタリア料理研究会」が果たした役割は大きい。当時フランス料理「ベルクール」の松井さんもサポート役になられて、二代目会長になられた「イルギオットーネ」は京都イタリアンの名店として広く認知されている。現在「カサビアンカ」が会長になられている。
http://kyoto-itaken.com/

イタリアで勉強された方が増えたために、今では研究会にさんかしないお店も増えて益々多様化している。

もうひとつ、京都のイタリア料理人気に貢献しているのが、カフェの「セカンドハウス」。イタリアンレストランを看板にするのと違って、「パスタとケーキ」のカフェとして支持されて今では大学にも出展している。食が広がる上では、若い世代に支持されたいと裾野が広がらない。その意味でセカンドハウスは、カフェメニューにパスタ・イタリアンを定着させる上でも果たした役割は大きい。

日本で和風パスタ「タラコスパ」人気を作った「壁の穴」。今もがんばっているが、大ブレイクの後一時広がりすぎて、誰もが和風パスタを取り入れて危機に直面した時期がある。しかし、このとき大阪店の一人の女性オーナーを大抜擢されて、再び人気店になった。この事は過去に何度か書いているので。とにもかくにも、日本のイタリアンも進歩しているが、親しいイタリア政府の方はもっとがんばってほしいと言っている。日本のサッカーではないが、ワールドカップに参加するレベルから優勝するレベルへ。

今。日本の食は世界でも様々な分野で高い評価を受けている。世界的コンクールでも優勝している。京都に世界1のイタリアンシェフがいるといわれる時代も遠くない。

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