無国籍料理「カプリチョース」
北白川に30年ほど前に一世風靡した、京都で最初に世界の民族料理を集めたお店。私は、2期生の責任者として、北白川と岡崎店を「世界の民族料理店」にした時の責任者です。もともと「グランピエ商会」の岡田社長(今「丁子屋」で陶器焼いて「露瑚」で飲んでる人。)の抜群のセンスで、京都で始めて無国籍料理を名乗ったお店。創業期は、坂本店長・深川チーフ・林野顧問他に若手の橋本・入本・渡辺・大槻2人・合田・林なんてスタッフがいた。私もその頃スペイン料理「パティオ」に籍があったが、最初は、宝ヶ池自動車教習所に行く3ヶ月間休職していたので、夜に3ケ月間「カプリ」でアルバイトしたので、深川チーフから直接教えてもらえた。その後フレンチの「プチフランセ」を経てカプリの2期生として就職。責任者に抜擢された。この時の本店のチーフが「フィゲラス」出身の平山君。岡崎店のチーフが 北白川のフレンチの「オーク」出身の三好君。他にブラジルのクララ・シンガポールのラオ・タイのスイナイと同志社出身の写真家番頭進。京大卒でコックになっていた相棒の笹沼など、私の仲間が続々参加した。長蛇の列のできる人気店になる。その後「セサモ」〔現在、山田さんのお店〕・[プエルタ]・[カプリチョース麺粥〕と続いたが、『鹿ケ谷山荘』のオープン以降、和食のお店に方向転換して、今日京都の新しい和食の風になっている。残念ながら無国籍系は姿を消した。「セサモ」を除いて。