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プロフィール
こやまあきゆき
こやまあきゆき
YUKI(ニックネーム) こやまあきゆきは、本名小山晶之東山の泉涌寺の登り窯のあった陶芸の家「黒門」でうまれる。父はシルクロードの工芸研究家で陶芸家の小山喜平。学生の家の同期のイラクのカリムが「あきゆき」は呼びにくいと略して「ユキ」と呼んだのが最初。今でも「くいしんぼう」仲間は、YUKIと呼ぶ。高島屋にあったスペイン料理「ナガサキヤパティオ」やフレンチの「プチフランセ」から本格的に料理の世界へ。京都エスニックの」草分け『無国籍料理カプリチョース』2店舗初期の責任者。現在ロシアレストラン「キエフ」で旧ソビエト連邦圏の料理文化の研究中。 『京都くいしんぼうの会』の代表世話人は「財団法人京都国際学生の家」評議員の吉村ハビ(京大理学部教授)。ただし実務の事務局は、京都市左京区一乗寺出口町2番地。 寮の15期生のこやまあきゆきの時代に寮で出会った料理好き8名が、母体の「京都苦胃辛抱の会」を結成する。10年館で150名が参加。会長は10年間、現スロベニアレストラン「ピカポロンツァ」オーナーシェフ イゴール・ライラが勤めた。その間沢山の研究会やお店が京都に誕生。10年を区切りに各々の設立した会やお店の活動に専念すべく本会は休会。(当時こやまの企画していた食と手作りイベント「六市楽座」も毎月メンバー北村ルミのホームグランドの六地蔵「プラナ」げ開催されており、打ち上げはイゴール博士のスペシャル料理バイキングが定番だった。またこやまは、京都のホテル発祥の地、円山公園「東観荘 也阿弥」に拠点を移しこやまの器でこやまの料理を食べる「円遊会」や附属桃山中学時代の友人らと「桃源郷の集い」など様々な会を作っていく。現在約30の会の会員または世話人。6年前の「苦胃辛抱の会」事務局長を務めた N悦子や寮時代の友人らが「キエフ」に集い「京都くいしんぼうの会」として活動再開。尚、「京都苦胃辛抱の会」には、設立の時から3本柱があった。1、料理人となって料理を作り多くの人に提供する。2、食べることを通して各国の文化習慣の違いなどを理解し国際交流を深める。3、飲食というう人間の生活に不可欠のテーマを「食文化」として研究し、世界の食文化の関係の理解を深める。 現在、1が「京都国際レストランネットワーク」として、多くのお店を理解によって京都が1つに結ばれようとしている。 2は「京都くいしんぼうの会」他の様々な食べる会 3は長年の中核メンバー大槻カズの「いやいやえん」2階「キノキリム」に「京都食文化研究会」事務局を置いている。こやまあきゆき 民族芸寿学会会員(食文化)
オーナーへメッセージ

2008年06月26日

スマトラ・ジャワ料理について「ハティハティ」で

インドネシアンスタイルのブライダル(120名まで)や、ライブスポットでもあるインドネシア料理ハティハティは、西木屋町の三条と四条の間。蛸薬師上がる京都観光ビルB1(黄色い看板のビルが並ぶ南側のビル)

以前、オーナーの出身地のスマトラ料理を中心にいただいたので、今回ジャワ島中心にいただいた。
お供は、京都産業大学ロシア語科のニシヤン。

イスラム教徒が多い同島の料理について、オーナーからお伺いした。同時に京都のインドネシア料理店の歴史なども。
サテひゃ、マトン。他に海老の料理なども。さては、ピーナッツを使った甘いソース。

けっこう鉱物。実は、第1回「京都苦胃辛抱の会」は、東山泉涌寺の私の実家「黒門」で、開かれた。その時インドネシアのチキンサテ。を作った。思い出の1品である。
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