2014年01月20日
はなふさEASTのブレンドとチーズケーキ
昔、私が責任者を勤めていた「無国籍料理カプリチョース」時代の事である。
銀閣寺の「橋本関雪記念館」の敷地内ないにある「パスタのノアノア」の地下にあった輸入民芸「グランピエ商会」の事務所が、京都市左京区岡崎の東天王町に移った後、事務所は2階。お店が1階で隣が「カプリチョースセグンド」だった。最初にできた「カプリチョース北白川店」は、北大路の東の北白川どんつきの地下にあった。
当時の私の生活は、岡崎店「カプリチョースセグンド」1番置くの革張りの席で寝ていた。
朝7時には、お隣の「はなふさ」の準備の水道の音が壁越しに伝わってくる。
私の目覚ましである。毎日ではなかったが、朝起きると顔を洗ってお隣に珈琲を飲みに行く。
それから買い物と仕込み。
昼のランチ営業を1人でして、忙しいと隣のグランピエのスタッフのひでさんがよく手伝ってくれた。
今の家内もそこのスタッフで、ランチを食べ来ていた。
夕方4時に元北山「オーク」のコックだった、三好チーフが出勤すると、私は北白川店の主に厨房スタッフになって、元スペイン料理フィゲラス料理長の平山チーフと仕事。彼は現在御前御池にあるレストラン「すみや」のオーナーシェフである。
鶏飯もあった。
昨日は、グルメで京都の街作りにもたくさん関わっていて、京産大OB会京都支部の世話人でもあるMさんと2人で「はなふさEAST」へ行った。
「はなふさ」の伝統を受け継ぐ3軒の中の1つだそうだ。
2人はそれぞれ「ベークドチーズケーキ」「レアチーズケーキ」とブレンドをいただいた。
モカ・コロンビア・ブラジル・キリマンジャロ・・・いろいろある珈琲店である。
私にとっては目覚ましの思い出のお店である。
ちなみにカプリとセグンド2軒時代にプランができたのが3号店の三条木屋町1筋上がる西入る地下のスペインバル「セサモ」山田さんのお店。また平山くんが担当して当時4号店となったのが「三越エレガンス地下」にあった「プエルタ」。その後セグンドのお店が「プエルタ」になって金子さんが登場して、北白川に「カプリチョース麺粥」が5号店になった。
今ななき「カプリチョース」グループ。あえてゆうなら、宇治植物園の「ちょうちょ」ホテル銀モンド地下の「丁子屋」は縁のお店。
また、カプリ出身のメンバーは個性派が多かったので、皆独立している。
和食に蕎麦やエスニックもある左京区清水町「いやいやえん」。や「すみや」。私が「うどん博物館」館長。
川端今出川東のイタリア料理「フリーゴ」。元田中の中国料理「上海バンド」。熊野神社のベトナム料理「クワトロバーバー」や京大病院南側のカフェ「マルク」。三条新町のメキシコ料理「エル・ポニート」。そしてカプリおケーキはスロベニアケーキ「ギバニッツア」。現在の「京都国際レストランンエットワーク」会長イゴールのケーキだった。ちなみに岡崎店は、当時三条木屋町にあった世界のビール「ブラック」のオ^ーナーの黒ちゃんが焼いていた時代と山科のスイスケーキ「ローヌ」のチーズケーキの時代がある。前者のスタッフのコーちゃんが現在西木屋町で「ブーズK」をやっていて、「ローヌ」のケーキは、当時薬大横の喫茶グリル「モントレー」でも出されていて、4店舗あったモントレーに林野さんが「カプリチョース」の相談役だった。オーナーの岡田さんの同級生だそうだ。そのご縁で私は「モントレー」でも3ヶ月の応援だが働いている。
その時の遠藤チーフと赤石さんや喫茶部の林くんみんな仲良しだった。赤石さんはケンタッキーに行き、遠藤さんは親会社ホンダプリモに行った。
銀閣寺の「橋本関雪記念館」の敷地内ないにある「パスタのノアノア」の地下にあった輸入民芸「グランピエ商会」の事務所が、京都市左京区岡崎の東天王町に移った後、事務所は2階。お店が1階で隣が「カプリチョースセグンド」だった。最初にできた「カプリチョース北白川店」は、北大路の東の北白川どんつきの地下にあった。
当時の私の生活は、岡崎店「カプリチョースセグンド」1番置くの革張りの席で寝ていた。
朝7時には、お隣の「はなふさ」の準備の水道の音が壁越しに伝わってくる。
私の目覚ましである。毎日ではなかったが、朝起きると顔を洗ってお隣に珈琲を飲みに行く。
それから買い物と仕込み。
昼のランチ営業を1人でして、忙しいと隣のグランピエのスタッフのひでさんがよく手伝ってくれた。
今の家内もそこのスタッフで、ランチを食べ来ていた。
夕方4時に元北山「オーク」のコックだった、三好チーフが出勤すると、私は北白川店の主に厨房スタッフになって、元スペイン料理フィゲラス料理長の平山チーフと仕事。彼は現在御前御池にあるレストラン「すみや」のオーナーシェフである。
鶏飯もあった。
昨日は、グルメで京都の街作りにもたくさん関わっていて、京産大OB会京都支部の世話人でもあるMさんと2人で「はなふさEAST」へ行った。
「はなふさ」の伝統を受け継ぐ3軒の中の1つだそうだ。
2人はそれぞれ「ベークドチーズケーキ」「レアチーズケーキ」とブレンドをいただいた。
モカ・コロンビア・ブラジル・キリマンジャロ・・・いろいろある珈琲店である。
私にとっては目覚ましの思い出のお店である。
ちなみにカプリとセグンド2軒時代にプランができたのが3号店の三条木屋町1筋上がる西入る地下のスペインバル「セサモ」山田さんのお店。また平山くんが担当して当時4号店となったのが「三越エレガンス地下」にあった「プエルタ」。その後セグンドのお店が「プエルタ」になって金子さんが登場して、北白川に「カプリチョース麺粥」が5号店になった。
今ななき「カプリチョース」グループ。あえてゆうなら、宇治植物園の「ちょうちょ」ホテル銀モンド地下の「丁子屋」は縁のお店。
また、カプリ出身のメンバーは個性派が多かったので、皆独立している。
和食に蕎麦やエスニックもある左京区清水町「いやいやえん」。や「すみや」。私が「うどん博物館」館長。
川端今出川東のイタリア料理「フリーゴ」。元田中の中国料理「上海バンド」。熊野神社のベトナム料理「クワトロバーバー」や京大病院南側のカフェ「マルク」。三条新町のメキシコ料理「エル・ポニート」。そしてカプリおケーキはスロベニアケーキ「ギバニッツア」。現在の「京都国際レストランンエットワーク」会長イゴールのケーキだった。ちなみに岡崎店は、当時三条木屋町にあった世界のビール「ブラック」のオ^ーナーの黒ちゃんが焼いていた時代と山科のスイスケーキ「ローヌ」のチーズケーキの時代がある。前者のスタッフのコーちゃんが現在西木屋町で「ブーズK」をやっていて、「ローヌ」のケーキは、当時薬大横の喫茶グリル「モントレー」でも出されていて、4店舗あったモントレーに林野さんが「カプリチョース」の相談役だった。オーナーの岡田さんの同級生だそうだ。そのご縁で私は「モントレー」でも3ヶ月の応援だが働いている。
その時の遠藤チーフと赤石さんや喫茶部の林くんみんな仲良しだった。赤石さんはケンタッキーに行き、遠藤さんは親会社ホンダプリモに行った。
Castella do Paulo ようやくゲット
三条会「さらさ3」「ダリK」そして「亜紀」のランチ
立命館・佛教大女子に人気の「CAFE MACHICO」
京都で最低な老舗の喫茶店
女坂の「坂」のみそカツいただきました。
京都のカレー好きは下鴨のカフェ「Verdi」へ!
三条会「さらさ3」「ダリK」そして「亜紀」のランチ
立命館・佛教大女子に人気の「CAFE MACHICO」
京都で最低な老舗の喫茶店
女坂の「坂」のみそカツいただきました。
京都のカレー好きは下鴨のカフェ「Verdi」へ!
Posted by こやまあきゆき at 19:18
│カフェにて