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プロフィール
こやまあきゆき
こやまあきゆき
YUKI(ニックネーム)こやまあきゆきは、本名小山晶之 
京都東山の泉涌寺の登り窯のあった陶芸の家「黒門」で誕生。
世界の食文化の研究家。父はシルクロードの工芸研究家で陶芸家の小山喜平。「京都国際学生の家」の同期8人と「くいしんぼうの会」を結成。会員15カ国150名。京都の伝説の無国籍料理店カプリチョース初期の責任者 現在200店舗の外国料理店で、「京都国際レストランネットワーク」を作る。(会長イゴールライラ・スロベニアレストラン「ピカポロンツア」事務局ロシア料理「キエフ」「グリーン」「フィゲラス」「バリバリインドネシア」他11店舗。)代表世話人。「京都国際食文化研究所」代表 京都エスニック50年記念出版「定番にしたい異国料理店」(教材研究所)は、約400冊が、京都の図書館・医療機関・大学・国際交流機関に無償配布されている。京都府農業会議「ダーチャプロジェクト」立案・NPO「ふるさとテレビ」顧問・NPO「京都環境21」理事・「北野創生会議」・「京都プロデュース協会」会員・「民族芸術学会」会員・「ワールドミュージックネットワーク」世話人 幼小中の教育大附属桃山の同級生とのお誕生会以来、人生で出会った沢山の仲間達と、今も様々なご飯食べ会を楽しんでいる。

著者 「定番にしたい異国料理店」教材研究所 刊
共著 「はらはらと」円山公園東観荘で吉川女将を囲む100人畑岡先生編集
陶芸出品 「京展」「日展」他 約200回
個展   「アートスペース八源」「しまだい」他
特別制作 「京都市中央市場65周年市長賞場長賞副賞制作
     「大乗寺200天目茶碗」「円山公園東観荘織部の間&庭園」
     「京都大学医学部茶道部茶会の為の天の岩戸の水差し」
     「同じく 平安神宮茶会の為平安神宮白砂の水差し」
代表作  「母なる大地」(第3回チェラミスタ池坊と花器展 買上)
     「砂漠の蜃気楼 バーミヤン」(現代工芸展)「ペトラ砂漠の神殿」
     「心のブラックホール」(チェラミスタ 近鉄百貨店)「塔・ボロブドゥール」
     「回想」「宙」(日展)「勾玉伝説」(炎の陶芸展)
展覧会企画「アートスペース八源」(二年)「美食器展」(14回)
     「ホテルフジタ京都平安京ギャラリー」(1年)
     「京都市美術館チェラミスタ展」
     「京都国際ホテル35周年記念日本庭園舞台に浮遊群」
     「京都歴史都市博チェラミスタ展 七つの島企画担当」
     「京都府陶磁器組合連合会青年部六団体新世代 inしまだい」
陶芸指導 「京都市公立小学校」「京都市保健所リハビリ陶芸」
     「長尾谷高校」「つくば開成高校」と五つの陶芸倶楽部
      などでこれまでに約3千名に陶芸指導(円山陶芸協会)
出版物紹介「作務衣の手ざわり」あさかよしこ 京都の百人の職人の1人
     「日本の陶芸」共著陶芸実技小山喜平 実技写真モデル
現在   「京都国際食文化研究室」代表。
     「幸せの100円パン生地工房」にて、現役のパン生地職人。
オーナーへメッセージ

2008年02月15日

京都くいしんぼうの会って?

「京都くいしんぼうの会」ってどんな組織?どんな団体?ってよく聞かれます。

基本的には、現在は私こやまあきゆきのくいしんぼうな仲間達。といった方が正確なのでしょう。
世話役は、私を含めて4人います。小山晶之・中尾悦子・吉村良一・坂口貴司 

私は、京都の登り窯のある陶芸家一族の家で生まれました。
幼稚園に行く前から、近所の幼馴染とお菓子を持ち寄ってあそんでいました。
幼稚園が京阪東福寺から丹波橋まで通わなければならなかったので、その後の小中学校も同じですが、同級生の家が皆ばらばらでした。結果的に、お菓子を持ち寄ってが、料理を一人分各自持ち寄ってのお誕生パーティーのように、集まる家の負担にならないルールを作って、同級生が誰かの家に集まるのは、けっこう日常の事になり、高校でバラバラになっても、中学時代の友人が、時々誰かが呼びかけて集まりました。必然的に小さいころは、3人から5・6人。中高生になると8人~12人位。この頃の仲間が、後の「円遊会」や「桃源郷の集い」のメンバーとして今でも参加してくれています。

大学では、「京都産業大学外国語学部ドイツ語学科」に入学し、フランス語が第2外国語で、国際関係コースの選択でした。
入学と同時に『京都産業大学グリークラブ』に入団。3回舞台に立ちますが、専攻の外国語学部の勉強についていくのが大変で休部。この時勉強重視、留年したら大変と言う事で、外国語学部でグリークラブに入団した11人の内10人が休部。結局退団します。この中に退学して料理の道に進もうと熱く語り合った群馬と青森の旅館の息子の牧野と武井のうちの武井。更に後に「京都産業大学国際交流倶楽部」の中核メンバーの英米語科の三好・インドネシア語科の三ケ森もグリー仲間で、ドイツ語研究会で出会った岩田と4人が創立メンバーでした。
私は、グリークラブ退団後「ドイツ語研究会」に所属して、『ドイツ文化研究班』『ドイツ語弁論大会への参加』を提案し、ドイツ人のDr.バウワー先生にかわいがっていただき、先生宅でしばしばドイツ料理を皆といただくようになります。
更に前述の「国際交流クラブ」の設立には、アメリカ人のサケット先生・フランス人のレルー先生・イタリア人のロマノ先生・スペイン出身の茨木先生・ドイツのDr.バウワー先生他オーストリア・NZなどの8人の外国人の先生にもご参加いただき、英語・仏語・独語・西語・露語・言語学・インドネシア語の24名の学生と京都の各国文化センター・国際交流機関・留学生寮などとも交流を深め、様々な料理や文化に接する機会を持つようになります。

その一つが、『財団法人京都国際学生の家』です。

京大生が90%以上を占め、同志社が1~2人。他に工繊・府大・芸大などもいますが、京産大は、過去に面接で通った事がない。と明言されていました。後輩の為に、落ちてもどんな面接するのか体験してくる。と4回生で受けた面接。すでに働いていた料理の世界で、ボーナスもいただき、就職確定の中で面接に合格してしまいます。

毎週60人位で、夕食会「コモンミール」が開かれ、この世話ができる。京都の伝統的陶芸の家で生まれ育っているので、京都の文化を伝えられる。いろいろなハンディーが、逆に有利に働いて、入寮する事に。結局コモンミールは金曜日。残したつもりの1科目2単位のフランス語中級(出席日数不足で取れてなかった1科目)。ちなみに上級を先にとって、4回生で160単位以上取っていたが、仕事を休む金曜日にその科目の授業がない!結局3年暮らした寮を出た翌年、授業のある曜日を、休みにしていただいて無事卒業。

この寮の3年間に外国料理の本は300冊を超えた。寮で出会ったたくさんの友人達の協力のおかげ。ちなみにハンガリーの料理本が、入寮最初のハンガリーの友人のプレゼント。中国・香港・台湾の本も揃った。現在のスロベニアレストラン「ピカポロンツァ」のオーナーイゴールが、東欧料理の本を買ってきてくれた。スイスHMがスイス料理の本を、後にイゴールと共に「苦胃辛抱の会」を結成する笹沼は、自転車で2星・3星レストランを食べ歩き、フレンチの本をプレゼント。他にもアラビア語のイラクの料理所は、カリムから。韓国の程さん。タイのシララット。シンガポールのラオ。・・・

料理を教えてくれたメキシコ・チリ・ブラジル・キプロス・イタリア・カナダ・オランダ・エジプト・インド・パキスタン・バングラディシュ・ベトナム・マレーシア・インドネシアベルギー・・・・・世界中の仲間達。そして苦胃辛抱に参加したスロベニア・キプロス・香港・ポルトガル・南米・アジア・ヨーロッパの仲間達。

『苦胃辛抱』は、その中でも特別3つの事が好きな人を、私が個別にスカウトした7人と自分の8人からスタートした。
当時、会長を10年間勤めてくれたのが、何度もご紹介しているイゴール・ライラ(「ピカプロンツァ」オーナー)
事務局は、京大卒業後フレンチのコック・支配人を勤め世界の民族料理「パピルス料理店」を北白川に開いた笹沼英司。
最初にスカウトしたのが、当時大阪の石油大手の広報課で、社内報を担当していた北島悦子。彼女の親友が後のメンバーキプロス出身で、サウジアラビアの都市計画の仕事をしている、学生の家出身のニコスの奥さんで、京都出身の貴子。彼女達もニコスも同会のメンバーだった。北島は仕事柄、京都のおいしいお店をくまなく食べ歩き、その記録をビッシリ手帳に書き込んでいた。いいお店を社内報で紹介する為に。その手帳を見せてもらって是非京都で会を作るときには参加してほしい。そうお願いした。この時、できれば北白川別当町に、みんなで世界の料理のレストランを開きたい。それが、当時の私の夢だと語った。

北島悦子から、会結成の直前に電話が入った。転職してオープンしたばかりの「センチュリーホテル」の事務職になったと。
引っ越して北白川別当町の北側に住んでいる事。更に彼女は、その後、現在のルネッサンスビルの前進のセンチュリーの姉妹ホテルの解体に際し、捨てられる古い寸胴など様々な調理道具を我々の活動拠点、北白川山ノ元町に当時あった、イゴール邸に運び込んだ。
更に、我々のメンバーの中で彼女が、最初に自分の店「ちゃらん」を家の近くにオープン。後に、別当町に笹沼が開く世界の民族料理「パピルス料理店」の先駆けになった。

この会が月1回の会合を欠かさず開いた10年間に。8人の仲間は130人に。
「あまから手帳」の太田美代。辻静雄さんの出版も手伝った辻調スタッフの外山温子。「プラナ」を開いた北村夫妻。「ポルトガリア」のオーナーエドワルド・ミラ・バティスタ。ローマ大の教授から京都の研究所の所長の就任したシルビオ・ビタ「いやいやえん」の大槻一之。ほんとに気が付けばなんと15ケ国130人が参加。

しかし、個人宅で料理を作って集まるのは、20人くらいが限度。便宜上レギュラーを創設会員を中心に、そのつど毎月参加できる20名をレギュラー会員としながらも、多い時には、参加が30人を超え、2日続くようになった。
参加者が多いので、料理を作る量も多くなる。一応夕食会だが、かならずあまる。そこで泊まれる連中は、泊まる。
奥の部屋を女性部屋と呼び、眠くなると女性は、女性部屋で寝てしまう。男は、勝手に寝る。風呂に入りたい人は勝手に入る。
皆、レギュラーはパジャマを置いていた。不思議なことに、この会で1組もカップルが誕生しなかった事。もちろん彼女を連れてきた私は、例外。最初からのカップル以外は、皆、まるで家族のような関係で、後結婚したりしていく中で、家族のように結婚式に参加したり世話役したり。本当に宗教団体?て聞かれるほど、家族以外の何物でもない関係だった。
膨張する「苦胃辛抱」は、1ケ所に集まる限界を超えていった。

そんな中、メンバーの北村夫妻がイタリア輸入家具・日本の手作り家具にこだわったお店「プラナ」を六地蔵のイトーヨーカド」の対面にオープン。北村るみが社長になる。北村稔は立命館大学教授。隣接地が兄のお店「北村自動車」で、間に小さな広場のような空間がある。

新しいプログラムとして、私の立案で参加型の食べて・手作りを楽しむ『六市楽座』を開いた。すでにクラシンク音楽を聴きながらイゴールの料理を楽しむ「四季の会」と「イゴール博士のカレー研究会」を開いていたイゴールのお店を中心に、大槻一之の手打ちそば屋。「ギバニッツア」などのケーキ屋。私は、陶芸教室。今の家内も当時自分の作った服のお店と似顔絵書き。(マンガや日本画で入選していた)テントを張ってのイベントは、毎月の例会になり、終わってからスタッフ30人くらいでイゴールの料理でビアパーティーが定番になった。

北島悦子は、自分が開いた「ちゃらん」でインド料理とチタールの演奏会とか、民族音楽とジョイントの活動へ。
笹沼は「パピルス壁のギャラリ」を設立して、芸術家との交流に。更に72席あった「パピルス」では、リビング新聞社にいたメンバーの企画で、イゴールや私の講演会も企画された。

私は、「無国籍料理カプリチョース」2店舗。の責任者のあと「がんこ寿司三条本店」のマネージャーに転出。これは、パピルスがまだ2人の夢として、笹沼と計画中の頃。もっとマネージメントを、若い間に勉強したいと考えたからだ。

このときの上司、東川支配人が、現がんこ寿司副社長。今も御案内をいただく。

陶芸家としての活動も始めた。

私の新しい仲間が、祇園酒店に集った「八源会」の8人。木村隆・岡田保博・加古勝巳・浅田博道・木村展之・小垣オーナー夫妻。奥さんは「松屋籐兵衛」の娘。ここは、若手陶芸展の舞台でもあり、酒もあり、出前で祇園の料理もあり。お茶・お花・料理・祇園に和ができ始めた。

陶芸界では、近藤高弘・長谷川展弘が提唱した京都で勉強した当時の若手陶芸家の親睦団体「チェラミスタ」。
役員の猪飼祐一・山田晶・市野雅彦・西貞幸・故佐藤巧らとは、親交を深めていく。
最後の代表幹事が私と木村隆・影山明・・・最大200名がさんかした「チェラミスタ」運動。
陶磁器業界では、「五条青年会」のメンバーとして、五条・日吉・泉涌寺・清水焼団地・炭山・絵付・卸の150名の仲間。
「京焼き清水焼連絡協議会」の副議長を務めた。「しまだい」の合同の陶芸展の後「しまだい」を皆と酌み交わした。
福井県「キノコの森」陶芸館に登り窯を作った仲間。近藤をリーダーに先の猪飼・市野・山田・木村の面々。
更に訓練校・工業試験場の仲間。どこでも食べる会ができた。
チェラミスタの代表幹事を勤める木村・蔭山私と代表の西やその有志は、いまも「チェラミスタ」を親睦会として開いている。

もう一つ、私の大きな仲間は、数年間陶芸倶楽部を開いていた円山公園『東観荘』の仲間。
これは、当時の女将吉川妙佳さんが、提唱して開いた『逢月サロン』の活動の一部として「円山陶芸倶楽部」が開かれた事。
「也阿弥ホテル」ゆかりの井上さんが参加された事で、円山で遊ぶ「円遊会」が結成される。
円山公園奥にある「安養寺」が法然上人・親鸞聖人ゆかりのお寺で、号を「円山」という。井上さんの兄が檀家総代。

「左阿弥」「也阿弥」など6つのお寺があった。円山で遊ぶから名付けられた『円遊会』
こやまあきゆきの器で、こやまの料理を食べる会。会長は井上さん。
この活動に円山陶芸倶楽部のメンバー・『苦胃辛抱』から大槻・野沢・糊田らが参加。更に北野天満宮の松吉真幸。淡交社の森田真司は、共に幼稚園時代からの「桃源郷」の仲間。

こうして私の周りには、たくさんの食べる事を通して、いろいろな集まりが形成されている。
京都の町を楽しく活性化させる藤田観光でお世話になった坂下さんが京都の世話役で集う「ふるさとテレビ」の仲間。

お祭り大好きな島田崇志さんの下に集まる「京まつり研究会」。

更に、私のいるロシアレストラン「キエフ」には、23ものいろんな会が作られている。
シルクロードの「玉乃光酒造」が再現するミルク酒クムイスを飲む会からスタートした「シルクロード」の会は、探検のお話なども聞きながらの会になって100名を超える会員がいる。

バルカン半島のブルガリアなどからワインが輸入され始めた時に、バルカンのワインを飲んで、歌って踊っての「バルカン会」にもやはり100名以上の会員がいる。京都の老舗の旅館や料亭のご主人がたくさん参加しておられる。

こうしてご紹介したのは、すべて食べる事を楽しむ事の和から広がった会で、正確に私の身近にいくつあるのか把握していないが、かなり頻繁に集まっている会だけでも30以上あるだろう。延べ3000名を超えるメンバーがいる。



更に、私には2つのグループの仲間がいる。
一つが、「京都国際レストラン・カフェ&バーネットワーク」の仲間である。
組織ではなく、お互いに情報交換や相談しあって、更にいい店にする為にがんばっている現場の仲間達である。ホテルにも多くの友人がいるが、たとえば「リンデンバウム」や「エルゴビバームス」・「アシャンティ」や「シャンディーズ」などはその一部。
特に組織ではなく同じ現場でがんばっている仲間としていい店にしていきたいとがんばる仲間達。
できれば、京都中が「世界の食の都京都」を育てる仲間のネットワークになれば、それが、私の夢。
「京都イタリア協会」がいい例で、個別の利害を超えて、いい店にしていく為のネットワーク。

もう一つが「京都国際食文化研究会」。私自身、「民族芸術学会」に登録されている数少ない「食文化」の専門家。学会には、様々な専門家がおられ、大阪万博内の「民族学博物館」。阪大の研究機関に事務局があるが、世界の料理文化は繋がっているというのが、私の持論なので、どこでどう結ばれているかを研究中。
すでに、150民族が住むロシア文化圏を研究するなかで、欧米・中近東・アジアとの関係はかなり明白になってきており、今後アフリカ・中南米との関係をもう少しつめれば、私なりの研究が完成する。
家森幸男先生という国連WHO研究機関の所長で、60数カ国の研究指導をしておられる先生や、シルクロードの研究者の父や入澤先生他様々な先生との出会いが、1つ1つの疑問を解き明かしてくださっている。これらは、「キエフ」の加藤夫妻のおかげである。

アシャンティーという京都にはすばらしいアフリカ料理のお店が西京極にあり、中欧に詳しいリンデンバウムの吉田君。南スラブ・ハンガリー圏にくわしいイゴール。京都には、たくさんのユニークな人材がいる。

京都が「世界の食の都」と呼ばれる日が来るのは近い。

私は、そう信じて日夜京都で食を楽しんでいる。

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Posted by こやまあきゆき at 03:00 │くいしんぼうな人たち