2011年08月15日
京都のトルコ料理顛末記
京都のトルコ料理店というと、まず思い出すのが、イスタンブールサライ。このお店のオーナーが、カヤ兄弟の兄。京都でトルコ関係の研究者で、知らない人はいない。
やがてカヤ兄を頼って弟やいとこなどが京都にやってきた。
何とか彼らの為に、そして姉妹店カッパドキアが、四条寺町に出来た。同じカヤでも弟。最初は、姉妹店というより兄弟別々のはずだった。
人が足りない、誰か手伝って。と、私も何度か弟に聞かれた。奇しくも、経済低迷期。日本人の失業者が増える中、滋賀県の外食チェーン店が、数百人のトルコ人を、突然解雇した。という情報が入ってきた。彼らがどんなビザを持っていたのか、どんな契約だったかは知らないが、関東や関西に仕事を求めて移っていった。
京都は、受け皿がないのでほとんど来なかったが、仕事がないか?との問い合わせは、殺到したようだ。
堅実派の兄は、慎重に対応したが、弟のもとにはトルコ人が殺到。お客様より訪ねてくる仲間の方が多い事も。訪ねて来たら飲み食いもさせないと、しかし、これでは成り立たないし、カヤ兄も応援できない。ということで、カヤ弟とその仲間たちは、自分たちで、仲間たちが集うお店、ザザを開いた。不思議なことにトルコ料理も何もない、飲み物と水タバコ位。なのにこれが結構繁盛している。結局友達になるのに民族や国籍は関係ない。それに今では、皆、日本人の奥さまに頭があがらないようだ。ハメを外した若い頃と違って、とにかくおとなしくなった。
そんなこんなで、今は、堅実派のカヤ兄が、カッパドキアも先頭に立ってがんばっている。元々弟達の為に作ったはずなのに。そんな言い訳をしないで、2つの店を走り回っている。がんばれカッパドキアとイスタンブールサライ。カヤ兄。
やがてカヤ兄を頼って弟やいとこなどが京都にやってきた。
何とか彼らの為に、そして姉妹店カッパドキアが、四条寺町に出来た。同じカヤでも弟。最初は、姉妹店というより兄弟別々のはずだった。
人が足りない、誰か手伝って。と、私も何度か弟に聞かれた。奇しくも、経済低迷期。日本人の失業者が増える中、滋賀県の外食チェーン店が、数百人のトルコ人を、突然解雇した。という情報が入ってきた。彼らがどんなビザを持っていたのか、どんな契約だったかは知らないが、関東や関西に仕事を求めて移っていった。
京都は、受け皿がないのでほとんど来なかったが、仕事がないか?との問い合わせは、殺到したようだ。
堅実派の兄は、慎重に対応したが、弟のもとにはトルコ人が殺到。お客様より訪ねてくる仲間の方が多い事も。訪ねて来たら飲み食いもさせないと、しかし、これでは成り立たないし、カヤ兄も応援できない。ということで、カヤ弟とその仲間たちは、自分たちで、仲間たちが集うお店、ザザを開いた。不思議なことにトルコ料理も何もない、飲み物と水タバコ位。なのにこれが結構繁盛している。結局友達になるのに民族や国籍は関係ない。それに今では、皆、日本人の奥さまに頭があがらないようだ。ハメを外した若い頃と違って、とにかくおとなしくなった。
そんなこんなで、今は、堅実派のカヤ兄が、カッパドキアも先頭に立ってがんばっている。元々弟達の為に作ったはずなのに。そんな言い訳をしないで、2つの店を走り回っている。がんばれカッパドキアとイスタンブールサライ。カヤ兄。
Posted by こやまあきゆき at 00:31
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