2012年11月19日
京都人が一年で食べる野菜と果物
京都に生鮮館という野菜と果物を中心とした食品スーパーがある。基本今出川より北側に約10店舗。
店がどんどんきれいになり、ライバルが増えても、京都北部では絶大な支持を受けている。
勧修寺発のフレスコやハッピー寺田もそうだが、もともと公設市場とかの八百屋 果物屋
なかむらも田中公設市場から誕生した。
なかむらが生鮮館になった年、私は、京都人が一年間に食べる野菜と果物を調べていて、なかむらで朝だけ一年間働かさせていただけた。
京都の市場の素晴らしさは、京都の中央市場ルートがあって、地元の農家や若狭からの鯖街道ルートの契約直売があって、なかむら生鮮館なんか、近所の農家からカゴで本部に畑から直接届く。だから、販売方法が普通のスーパー、と違う八百屋の売り方。キャベツ一個が高かったら半分に切ってとか、タケノコが樽に漬けて灰汁抜きしながら販売してたり、魚をマクロ解体しながら売ったり。
それが百貨店にも誕生し、京都野菜とともに全国展開中なのが八百一グループ。
京都では高島屋 近鉄 伊勢丹 丹波丹後と北海道から自家農園直売も。
年中出回るものより、季節野菜を買ってね。
店がどんどんきれいになり、ライバルが増えても、京都北部では絶大な支持を受けている。
勧修寺発のフレスコやハッピー寺田もそうだが、もともと公設市場とかの八百屋 果物屋
なかむらも田中公設市場から誕生した。
なかむらが生鮮館になった年、私は、京都人が一年間に食べる野菜と果物を調べていて、なかむらで朝だけ一年間働かさせていただけた。
京都の市場の素晴らしさは、京都の中央市場ルートがあって、地元の農家や若狭からの鯖街道ルートの契約直売があって、なかむら生鮮館なんか、近所の農家からカゴで本部に畑から直接届く。だから、販売方法が普通のスーパー、と違う八百屋の売り方。キャベツ一個が高かったら半分に切ってとか、タケノコが樽に漬けて灰汁抜きしながら販売してたり、魚をマクロ解体しながら売ったり。
それが百貨店にも誕生し、京都野菜とともに全国展開中なのが八百一グループ。
京都では高島屋 近鉄 伊勢丹 丹波丹後と北海道から自家農園直売も。
年中出回るものより、季節野菜を買ってね。
2012年11月19日
夢の不思議
不思議な夢を見た
実家の私が子供の頃のまだ登り窯があった時代の工房で
貴婦人に陶芸を教えていたら
東急ホテルの中の中国飯店オーナーの丁さんが遊びに来て
なぜか真夏で汗をかいている
アイスコーヒーでも入れますと言って二人を置いて母屋に
母にアイスコーヒー作るけどまずコーヒー作ると言いかけて
ガムシロ入れたっけ?丁さん辛党で彼女はコーヒー飲まなかったか?確認に戻って二人を見て目が覚めた。
今朝の話だ 夢は不思議だ
彼女は丁さんの奥さん 高島屋にあった中国飯店の責任者だった
今中国飯店はどちらもない。私は、二年程東急ホテルの中国飯店を手伝ったし、私が高島屋の中にあったスペイン料理ナガサキヤパティオで仕込みの仕事をしていた頃、丁が高島屋の中国飯店の責任者をしていた。その後 京都くいしんぼうの会の仲間の北白川にパピルス料理店を作った笹沼や立命館大教授になった北村先生 奥さんがドイツ文化センター館長だった神崎さんらと飲み仲間になり、まほろばやてうれラーメンで一緒に飲み食いした仲間
夢の不思議は、人間の脳に記憶された過去の体験と未来の夢と今考えている事がクロスして全く新しいストーリーになって出てくる事
今朝起きてすぐ気づいた!
二人は夫婦 丁さんは辛党 奥さんはお茶しか飲まなかった 修学院の私の工房で陶芸を習ってたが、ロクロはしなかった。夢の中ではロクロしてた。私の当時の願望でロクロしないの?と言ってたし、丁さんは遊びに来ないのと言ってた。
二年前に息子のカッチャンと再開して今もご自宅でお元気な事、長女サリが結婚してアメリカに、次女マリが北山のお店に就職したら責任者として任されるようになった事。カッチャンがダイズ厨房に就職して今は中央市場店でピザ作ってる事。
一週間前に高島屋に出店している方とお会いした時、共通の知り合いの丁さんの話になり、丁さんの三人の子ども達が皆がんばってる事が話題になった。
今私の人生の将来を考えている また今の仕事を考えている 百貨店だ常にキーワードになってきた。最近2カ月デパートで働き、社員食堂で食べ、社員研修を受けたり、百貨店の方々とばかり話しをしてきた。婦人用品売り場。リビング用品売り場。そして食品売り場の方々。外商の方々も。
昔働いた高島屋時代の事。仕事で出入りした大丸 近鉄 阪急 松坂屋 京王 丸井 三越 西武の事。
夢って不思議。自分が会いたかった人達と、できなかったシチュエーションで再会させてくれる。
睡眠 寝ること 記憶データベースの整理
そして 自分を見失った時 自分が何だったか 何をやるべきか どこに進むべきか教えてくれる道しるべ
自分を見失いそうになったら、ゆっくり休もう。
実家の私が子供の頃のまだ登り窯があった時代の工房で
貴婦人に陶芸を教えていたら
東急ホテルの中の中国飯店オーナーの丁さんが遊びに来て
なぜか真夏で汗をかいている
アイスコーヒーでも入れますと言って二人を置いて母屋に
母にアイスコーヒー作るけどまずコーヒー作ると言いかけて
ガムシロ入れたっけ?丁さん辛党で彼女はコーヒー飲まなかったか?確認に戻って二人を見て目が覚めた。
今朝の話だ 夢は不思議だ
彼女は丁さんの奥さん 高島屋にあった中国飯店の責任者だった
今中国飯店はどちらもない。私は、二年程東急ホテルの中国飯店を手伝ったし、私が高島屋の中にあったスペイン料理ナガサキヤパティオで仕込みの仕事をしていた頃、丁が高島屋の中国飯店の責任者をしていた。その後 京都くいしんぼうの会の仲間の北白川にパピルス料理店を作った笹沼や立命館大教授になった北村先生 奥さんがドイツ文化センター館長だった神崎さんらと飲み仲間になり、まほろばやてうれラーメンで一緒に飲み食いした仲間
夢の不思議は、人間の脳に記憶された過去の体験と未来の夢と今考えている事がクロスして全く新しいストーリーになって出てくる事
今朝起きてすぐ気づいた!
二人は夫婦 丁さんは辛党 奥さんはお茶しか飲まなかった 修学院の私の工房で陶芸を習ってたが、ロクロはしなかった。夢の中ではロクロしてた。私の当時の願望でロクロしないの?と言ってたし、丁さんは遊びに来ないのと言ってた。
二年前に息子のカッチャンと再開して今もご自宅でお元気な事、長女サリが結婚してアメリカに、次女マリが北山のお店に就職したら責任者として任されるようになった事。カッチャンがダイズ厨房に就職して今は中央市場店でピザ作ってる事。
一週間前に高島屋に出店している方とお会いした時、共通の知り合いの丁さんの話になり、丁さんの三人の子ども達が皆がんばってる事が話題になった。
今私の人生の将来を考えている また今の仕事を考えている 百貨店だ常にキーワードになってきた。最近2カ月デパートで働き、社員食堂で食べ、社員研修を受けたり、百貨店の方々とばかり話しをしてきた。婦人用品売り場。リビング用品売り場。そして食品売り場の方々。外商の方々も。
昔働いた高島屋時代の事。仕事で出入りした大丸 近鉄 阪急 松坂屋 京王 丸井 三越 西武の事。
夢って不思議。自分が会いたかった人達と、できなかったシチュエーションで再会させてくれる。
睡眠 寝ること 記憶データベースの整理
そして 自分を見失った時 自分が何だったか 何をやるべきか どこに進むべきか教えてくれる道しるべ
自分を見失いそうになったら、ゆっくり休もう。
2012年11月19日
京都の豆腐は美味しいのだ!
京都で豆腐というと、森嘉の豆腐が有名だが、豆腐食べ比べを書いたブログで、森嘉のは絹ごし以外も絹ごしみたいだから、木綿や他の店の方がそれぞれの味わいがある。と書かれていた。
京都の豆腐は、ほとんど地下水を使っているので、水が美味しく水質からも美味しい豆腐が出来る。豆も亡き湯豆腐の奧丹の社長の石井さんが、世界中の豆を集めて豆腐にして研究されたように、皆さん常に伝統があっても研究を続けている。
特に京都は、湯豆腐の有名店や和食の名店が沢山ある。日本中で豆腐を作っているのに、わざわざ京都で湯豆腐を召し上がる。
理由は、やはり美味しいから。
他の意味はない。
湯豆腐となると、やはり絹ごしが美味しい。
出来たてでいただくなら、木綿や様々な味わいがあっても美味しい。しかし、絹ごしが湯豆腐にする事でできるプリプリ感。
その中に詰まった上品な旨味。食感。
季節の様々な味わいとの相性。
森嘉の豆腐が、有名料亭御用達なのも料理方法もあって選ばれている。醤油持って味比べする時の旨さと、料理人がそれぞれの料理にあった豆腐とでは、多彩多様な京都の季節を生かした料理では、豆腐も多種多様。それぞれのお店が美味しい豆腐を作っている。
京都北野天満宮。
向かいにとようけ茶屋
豆腐を買いに行列
商店街の店にも。
藤野豆腐
やはり天満宮西側にトーフcafeフジノや錦市場で豆乳ドーナツに行列
伝統を受け継ぐ事は、同じ事を同じように続ける事にはならない。
時代と共に材料を作る環境も変わり、生活環境も変わっていく。
常に同じ味を作る事ぐらい難しい事はない。
常に美味しい。
やはりそれぞれの味わいを守り育てた京都の誇れる豆腐も。
誇れる水。誇れる素材。誇れる職人技。
途切れない研究の証。
ちなみに、あの麻婆豆腐の名人も、豆腐をさっとお湯くぐらしてます。これでプリプリの食感になるからと説明されてました。ごわごわの豆腐でプリプリ感でますか?
京都の豆腐は、ほとんど地下水を使っているので、水が美味しく水質からも美味しい豆腐が出来る。豆も亡き湯豆腐の奧丹の社長の石井さんが、世界中の豆を集めて豆腐にして研究されたように、皆さん常に伝統があっても研究を続けている。
特に京都は、湯豆腐の有名店や和食の名店が沢山ある。日本中で豆腐を作っているのに、わざわざ京都で湯豆腐を召し上がる。
理由は、やはり美味しいから。
他の意味はない。
湯豆腐となると、やはり絹ごしが美味しい。
出来たてでいただくなら、木綿や様々な味わいがあっても美味しい。しかし、絹ごしが湯豆腐にする事でできるプリプリ感。
その中に詰まった上品な旨味。食感。
季節の様々な味わいとの相性。
森嘉の豆腐が、有名料亭御用達なのも料理方法もあって選ばれている。醤油持って味比べする時の旨さと、料理人がそれぞれの料理にあった豆腐とでは、多彩多様な京都の季節を生かした料理では、豆腐も多種多様。それぞれのお店が美味しい豆腐を作っている。
京都北野天満宮。
向かいにとようけ茶屋
豆腐を買いに行列
商店街の店にも。
藤野豆腐
やはり天満宮西側にトーフcafeフジノや錦市場で豆乳ドーナツに行列
伝統を受け継ぐ事は、同じ事を同じように続ける事にはならない。
時代と共に材料を作る環境も変わり、生活環境も変わっていく。
常に同じ味を作る事ぐらい難しい事はない。
常に美味しい。
やはりそれぞれの味わいを守り育てた京都の誇れる豆腐も。
誇れる水。誇れる素材。誇れる職人技。
途切れない研究の証。
ちなみに、あの麻婆豆腐の名人も、豆腐をさっとお湯くぐらしてます。これでプリプリの食感になるからと説明されてました。ごわごわの豆腐でプリプリ感でますか?