2011年03月22日
京都のレストラン家族愛情物語
・松永ユリおばあちゃんの「タルトタタン」を守り続けるお孫さん・・・フランスで高い評価を受けた「La Voiture」の素敵なスィーツの歴史とお味を、岡崎のお店で味わってください。京都会館の北にあるバスターミナルと疎水の間の道を北へ。外国の方が買い物される「アミタ」さんから南へ。もともとこのお店の姉妹店として出来たのが、スペイン料理店として嵐山「ボデゴン」の次にナガサキヤ「パティオ」の次に出来た老舗の「フィゲラス」。ちなみに、私は高島屋「パティオ」で仕込みを2年間程担当していました。おばあちゃんとお孫さん。1人飛んでませんか?建築家の若林さんご夫妻が。とても仲良しご夫妻ですね!
・AランチBランチが人気だった近衛通りの「円居」さんが、百万遍にお店を開き、その後京大・東大からスィーツの専門店まで出店するフレンチレストラングループになるサクセスストーリー。そこには、伊藤兄弟の強力な結束が垣間見られる。グループを陣頭指揮する長男社長。まるで突撃舞台のごとく、新しいお店には、弟さんが現場の指揮監督に。東大店と時にはまるで単身赴任のビジネスマン状態。そんな努力の甲斐あって、今では押しも押されもせぬ「円居グループ」に。
実は、1番最初の近衛通りのお店時代から行ってます。その店に通っていた京大生が、今では京大・東大の教授に!また、偶然にも「高島屋」での世界の料理の催事でも、並びでお店を出した事も。そして、1番うれしいのは、こんなに大きくなっても、「円居」のランチは今でも格安なのです。今の店長にもよくお話をお伺いしました。伸びるお店は、伸びるだけのことやってるね。エルラッティーノのご主人も、ゴルフしながら思ったそうです。これ、わかる人にだけわかる話。
・京都生まれの2人が、戦前・戦中生きた「ハルビン」。そのロシアが開いた街が、後に東京にロシアレストラン「スンガリー」を生む事に。更に故郷京都がロシア連邦時代の古都「キエフ」と姉妹都市になったのを受けて開いたのが「キエフ」。そして、20周年を目前に、一条戻り橋で事故に。東京「スンガリー」は、元バイオリニストの長女が、そして京都は財界人でもある長男に代わって元々大学の金属の結晶の研究者だった加藤智恵子現代表が就任。12年間店を守った。後継者がいなければ閉めるとまで、言い切ったものの、すでにこの店は、加藤家の食卓。全国から連日多くの方が来れれて満席の盛況。そして3代目にして長男幹雄社長の時代に。代表と社長は、「らくご仲間」といっても落語ではない。洛北高校5期。あの北山荘を守る山岳部の北山の会の面々他、気が付けば3000名を越す会員が。今では長女の美知世さんが見せの看板になりつつある。初代の意思を母・父・長女と3人がスクラム組んで守っている。更に、ここ数日おおまま事初代の奥様の同窓会(96歳)もあって、3兄弟の次女登紀子さんと後2人の社長の息子さんもその後家族も全員揃った。この家族の絆は崩れない。4月10日日曜日には、その登紀子さんのディナーライブもキエフで開催される。40周年には、再び大家族終結の日が来るのだろう。
・兄弟は、いい意味でライバル。
京都には、今宮神社あぶり餅に代表されるように、兄弟で負けずにがんばっているお店もあるが、インド料理店の中にも兄弟で、がんばっているお店もある。
すでに13店舗を越えた「ラジュ」と3店舗の「ニュデリー」である。この2つ店もまったく別。コンセプトも別。聞くところによると滋賀県から山科。更に今日と各地に展開している「ラジュ」のラジャスさん。ニューデリーからとはいえ、バングラディシュが、元々の故郷と聞いたことがある。スタッフもイスラム教の方がほとんどだとか。「ニューデリー」のカシムさん。インドの国旗は、ヒンデゥー教イスラム教仏教の3つの宗教が共存している意味とメニューに書き込む程の平和共存主義者。本人はヒンデゥー教徒だそうだ。実は、この2人はインドから来た時、同じ店で働いていた。そして2人の奥様は姉妹に。つまり、2人は義兄弟になったのだ。もちろん、それぞれに努力していい意味でのライバルとしてがんばっている。
・姉妹はいい意味でライバル。
アイリッシュパブといえば、大丸北の「フィールド」が京都の草分けだそうです。続いて「ヒルオブタラ」(今の「ブルックリン」)このお店のメンバーが独立したのが祇園の「ゲイル」。オーナーはマイケルさん。更にこのお店の料理人タイグスさんが独立してライブハウス「ラグ」の上の8階に「マクラクランズ」をOPEN。「ゲイル」の頃にスタッフだった素敵な姉妹は、それぞれのお店を別々にサポートする事に。まさにドラマです。いい意味でのライバル。いいですね。ちなみに、アイリッシュを音楽の面から入って京都の二条河原町にアイリッシュパブ「ノーム」を開いたのは、私の同級生ですが、ご主人は大阪の劇場のマネージャーだったそうです。FM大阪で音楽番組を担当するT君ら同級生と「ノーム」で飲んだ時に、「こんなところにいたんか」とお互いに再開を喜んで、男同士で抱き合っていました。(深い意味はありません)
・父の志を妻が、そして息子が。
京都のインド料理の3大老舗の一つ「ケララ」(私的には、「アショカ」「ケララ」「ムガール」「アジャンタ」「DiDi」が、だいたいその順位で古いのでは)。このお店の創業者が、胡椒の最大の貿易港などがあるインド南西部ケララ州出身だった事からついた名前。この地から来たケラートの創業者の意思を奥様が受け継いだものの、息子さんはコンピューターが専門で、私の代で終わると思っていたら、今井Jr.が、ご両親の意思を受け継ぎ「ケララ」を守っていく決心をされました。以来、「キエフ」の美知世さんもそうですが、新しく立ち上がった『洋食会』の若手の勉強会に参加。広く外国料理について熱心に勉強しておられます。何故か、日本の洋食に英国式カレーが入って定番になりましたが、今では、本物のインド料理の味を知った日本人にとって、洋風カレーでも、香辛料をしっかり使ってないと食べられないものになっています。本物を知る今井さんの今後が楽しみです。
・イタリア料理の老舗「フクムラ」さん。私が一番今でも忘れられないのは、新大宮通りにおいしいパスタのお店があると聞いて食べに行った大学生の頃。まだ京都に本格的なイタリア料理店がなかった。『今息子がイタリアで修行中なので、帰ってきたらイタリア料理店を開きますから、それまで待っててくださいねと、お母さんがいっしょうけんめい息子さんの事を話された。やがて京都の老舗のイタリア料理店「フクムラ」が誕生した。今や京都の洋食の世界でも顔。もちろん「タントタント」や「イルギオットーネ」などが作った『イタリア料理研究会』にも参加。そんなある日、私の陶芸の教え子が開いたお店にいたとき、ビルのオーナーご夫妻が来られた。いろいろお話しすることに。お二人の1番の話題は、しっかりしている娘さんのお話。知らずに相槌打っていると、隣のレストランの奥様だそうだ。「え?福村さん?」京都って本当に狭いね。残念ながら、そのきっかけを作ってくれたジュエリーデザイナーで教え子でもあった麻ちゃん、急病で他界した。いつもどんなに苦しい時でも笑顔を絶やさなかった麻ちゃんのお店は、いつしか当事、ご近所の溜まり場になっていたのに。最近減ってない?そんな店。皆、人間関係希薄か淡白になってた。でも、今、日本が、世界が、気持ちを1つにしてきているように思う。
レストラン それは、食事の場。しかし、実は社交の場。
京都の外国料理店のネットワーク仲間が200軒近くになってきている。
いろんなお店が、今回の震災でも、時には国際的な情報交換の場になっている。
2時頃仕事が終わって帰る私は、3時4時頃までニュースを見ていた。朝も5時6時に起きて、すぐに新聞とニュースを見ていた。完全に寝不足。色々考えると寝られない。そしてついに・・・・・
今朝、自分が被災地の避難所にいる夢を見た。
財布がない。
なにもない。
どうしよう。朝病院に仕事に行かないといけないのにと、必死で財布を探しても見つからない。
朝、7時頃から3回位目が醒めてももう1度寝ようとした。眠たいからではない。財布を見つけないと病院に行けない。と、夢の現場に戻ろうとしたのだ。ようやく現実に戻って、自宅にいて財布もあるのがわかって、あわててシャワーを浴びて仕事に出た。
京都は、まったく天災の被害を受けていない都市です。
街には、関東など他府県ナンバーの車ばかりになってきました。かなり避難してこられている方が増えてきました。
私の周りにも、普段の4倍に家族が増えたお宅もあります。
支援物資のおにぎりが1万個京都から運ばれたそうですが、どこのレストランにも募金箱が置かれています。
どこにいても、そこには日本の家族の絆がある。世界の家族の絆がある。今、それを強く感じています。
天災を受けていないからこそ、いろんな意味で2倍は働こうとがんばっています。
すべてのお亡くなりになられた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。
1日も早く、東日本の方々の生活が、回復される事を祈ります。
・AランチBランチが人気だった近衛通りの「円居」さんが、百万遍にお店を開き、その後京大・東大からスィーツの専門店まで出店するフレンチレストラングループになるサクセスストーリー。そこには、伊藤兄弟の強力な結束が垣間見られる。グループを陣頭指揮する長男社長。まるで突撃舞台のごとく、新しいお店には、弟さんが現場の指揮監督に。東大店と時にはまるで単身赴任のビジネスマン状態。そんな努力の甲斐あって、今では押しも押されもせぬ「円居グループ」に。
実は、1番最初の近衛通りのお店時代から行ってます。その店に通っていた京大生が、今では京大・東大の教授に!また、偶然にも「高島屋」での世界の料理の催事でも、並びでお店を出した事も。そして、1番うれしいのは、こんなに大きくなっても、「円居」のランチは今でも格安なのです。今の店長にもよくお話をお伺いしました。伸びるお店は、伸びるだけのことやってるね。エルラッティーノのご主人も、ゴルフしながら思ったそうです。これ、わかる人にだけわかる話。
・京都生まれの2人が、戦前・戦中生きた「ハルビン」。そのロシアが開いた街が、後に東京にロシアレストラン「スンガリー」を生む事に。更に故郷京都がロシア連邦時代の古都「キエフ」と姉妹都市になったのを受けて開いたのが「キエフ」。そして、20周年を目前に、一条戻り橋で事故に。東京「スンガリー」は、元バイオリニストの長女が、そして京都は財界人でもある長男に代わって元々大学の金属の結晶の研究者だった加藤智恵子現代表が就任。12年間店を守った。後継者がいなければ閉めるとまで、言い切ったものの、すでにこの店は、加藤家の食卓。全国から連日多くの方が来れれて満席の盛況。そして3代目にして長男幹雄社長の時代に。代表と社長は、「らくご仲間」といっても落語ではない。洛北高校5期。あの北山荘を守る山岳部の北山の会の面々他、気が付けば3000名を越す会員が。今では長女の美知世さんが見せの看板になりつつある。初代の意思を母・父・長女と3人がスクラム組んで守っている。更に、ここ数日おおまま事初代の奥様の同窓会(96歳)もあって、3兄弟の次女登紀子さんと後2人の社長の息子さんもその後家族も全員揃った。この家族の絆は崩れない。4月10日日曜日には、その登紀子さんのディナーライブもキエフで開催される。40周年には、再び大家族終結の日が来るのだろう。
・兄弟は、いい意味でライバル。
京都には、今宮神社あぶり餅に代表されるように、兄弟で負けずにがんばっているお店もあるが、インド料理店の中にも兄弟で、がんばっているお店もある。
すでに13店舗を越えた「ラジュ」と3店舗の「ニュデリー」である。この2つ店もまったく別。コンセプトも別。聞くところによると滋賀県から山科。更に今日と各地に展開している「ラジュ」のラジャスさん。ニューデリーからとはいえ、バングラディシュが、元々の故郷と聞いたことがある。スタッフもイスラム教の方がほとんどだとか。「ニューデリー」のカシムさん。インドの国旗は、ヒンデゥー教イスラム教仏教の3つの宗教が共存している意味とメニューに書き込む程の平和共存主義者。本人はヒンデゥー教徒だそうだ。実は、この2人はインドから来た時、同じ店で働いていた。そして2人の奥様は姉妹に。つまり、2人は義兄弟になったのだ。もちろん、それぞれに努力していい意味でのライバルとしてがんばっている。
・姉妹はいい意味でライバル。
アイリッシュパブといえば、大丸北の「フィールド」が京都の草分けだそうです。続いて「ヒルオブタラ」(今の「ブルックリン」)このお店のメンバーが独立したのが祇園の「ゲイル」。オーナーはマイケルさん。更にこのお店の料理人タイグスさんが独立してライブハウス「ラグ」の上の8階に「マクラクランズ」をOPEN。「ゲイル」の頃にスタッフだった素敵な姉妹は、それぞれのお店を別々にサポートする事に。まさにドラマです。いい意味でのライバル。いいですね。ちなみに、アイリッシュを音楽の面から入って京都の二条河原町にアイリッシュパブ「ノーム」を開いたのは、私の同級生ですが、ご主人は大阪の劇場のマネージャーだったそうです。FM大阪で音楽番組を担当するT君ら同級生と「ノーム」で飲んだ時に、「こんなところにいたんか」とお互いに再開を喜んで、男同士で抱き合っていました。(深い意味はありません)
・父の志を妻が、そして息子が。
京都のインド料理の3大老舗の一つ「ケララ」(私的には、「アショカ」「ケララ」「ムガール」「アジャンタ」「DiDi」が、だいたいその順位で古いのでは)。このお店の創業者が、胡椒の最大の貿易港などがあるインド南西部ケララ州出身だった事からついた名前。この地から来たケラートの創業者の意思を奥様が受け継いだものの、息子さんはコンピューターが専門で、私の代で終わると思っていたら、今井Jr.が、ご両親の意思を受け継ぎ「ケララ」を守っていく決心をされました。以来、「キエフ」の美知世さんもそうですが、新しく立ち上がった『洋食会』の若手の勉強会に参加。広く外国料理について熱心に勉強しておられます。何故か、日本の洋食に英国式カレーが入って定番になりましたが、今では、本物のインド料理の味を知った日本人にとって、洋風カレーでも、香辛料をしっかり使ってないと食べられないものになっています。本物を知る今井さんの今後が楽しみです。
・イタリア料理の老舗「フクムラ」さん。私が一番今でも忘れられないのは、新大宮通りにおいしいパスタのお店があると聞いて食べに行った大学生の頃。まだ京都に本格的なイタリア料理店がなかった。『今息子がイタリアで修行中なので、帰ってきたらイタリア料理店を開きますから、それまで待っててくださいねと、お母さんがいっしょうけんめい息子さんの事を話された。やがて京都の老舗のイタリア料理店「フクムラ」が誕生した。今や京都の洋食の世界でも顔。もちろん「タントタント」や「イルギオットーネ」などが作った『イタリア料理研究会』にも参加。そんなある日、私の陶芸の教え子が開いたお店にいたとき、ビルのオーナーご夫妻が来られた。いろいろお話しすることに。お二人の1番の話題は、しっかりしている娘さんのお話。知らずに相槌打っていると、隣のレストランの奥様だそうだ。「え?福村さん?」京都って本当に狭いね。残念ながら、そのきっかけを作ってくれたジュエリーデザイナーで教え子でもあった麻ちゃん、急病で他界した。いつもどんなに苦しい時でも笑顔を絶やさなかった麻ちゃんのお店は、いつしか当事、ご近所の溜まり場になっていたのに。最近減ってない?そんな店。皆、人間関係希薄か淡白になってた。でも、今、日本が、世界が、気持ちを1つにしてきているように思う。
レストラン それは、食事の場。しかし、実は社交の場。
京都の外国料理店のネットワーク仲間が200軒近くになってきている。
いろんなお店が、今回の震災でも、時には国際的な情報交換の場になっている。
2時頃仕事が終わって帰る私は、3時4時頃までニュースを見ていた。朝も5時6時に起きて、すぐに新聞とニュースを見ていた。完全に寝不足。色々考えると寝られない。そしてついに・・・・・
今朝、自分が被災地の避難所にいる夢を見た。
財布がない。
なにもない。
どうしよう。朝病院に仕事に行かないといけないのにと、必死で財布を探しても見つからない。
朝、7時頃から3回位目が醒めてももう1度寝ようとした。眠たいからではない。財布を見つけないと病院に行けない。と、夢の現場に戻ろうとしたのだ。ようやく現実に戻って、自宅にいて財布もあるのがわかって、あわててシャワーを浴びて仕事に出た。
京都は、まったく天災の被害を受けていない都市です。
街には、関東など他府県ナンバーの車ばかりになってきました。かなり避難してこられている方が増えてきました。
私の周りにも、普段の4倍に家族が増えたお宅もあります。
支援物資のおにぎりが1万個京都から運ばれたそうですが、どこのレストランにも募金箱が置かれています。
どこにいても、そこには日本の家族の絆がある。世界の家族の絆がある。今、それを強く感じています。
天災を受けていないからこそ、いろんな意味で2倍は働こうとがんばっています。
すべてのお亡くなりになられた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。
1日も早く、東日本の方々の生活が、回復される事を祈ります。
2011年03月22日
京都の素敵なご夫婦でおいしいお料理のお店
・チャイニーズエスニック料理「TEARS」・・・もともと中国各地の特色がわかるように構成された料理店。更にアジアンがメニューに入っているので、日替わりA・B 各800円 3月15日、オイスターソースの香りに誘われて、ランチしました。並びのタイ料理パクチーもそうですが、女性のグループが目に付きます。アジアンなスィーツもいろいろ楽しめます。
・ハワイアンカフェ「ALOHANA cafe」・・・・ハワイアンカフェ 京都府立大学附属病院がある荒神口西側。若くてすごく感じのいい仲良しご夫妻のお店。3月15日に、スィーツを食べるつもりで行きましたが、メニューを見て、お魚のバーガーを頼みました。
パンプキンもあったのですが。
・カナダ人の奥様と町屋で「生ショコラ」・・・京都の岡崎・平安神宮の東。洋食の「小宝」の南の筋を東へどんつきが「生チョコ」専門店のその名の通り「生ショコラ」。アメリカの領事館の料理人だった中西さんと奥様のシェリーさん。ごく普通の京町屋に遊びに行く感覚で、ランチもあります。よく着物を着ておられる奥様がいらっしゃいませ。
・フランス料理「パリビス」・・・・フランス人の奥様とフランスで修行されたご主人が、大阪から京都に移られてたのは、子供さんがフランス人学校に入れたかったから(?)とか。河原町二条西のお店で、「京都映画センタ」と同じビルです。いろんな講座も。
・四川料理「老安記」・・・水餃子が名物のこのお店は、ご夫妻共に四川出身の画家。店には、ご主人の水墨画が。奥様は、清水寺で個展をする洋画家。とにかく超安い四川の家庭の味。
・世界のモダン焼き?「パーラーフジ」は、出町柳から百万遍までの間にある。トロピカルモダン・シチュウモダン・・・・昔コノ店で京大生の頃に、バイトしていた弟分のシリキャットは、なんとアメリカべり研の研究員に。バイトが各地で活躍しているこのお店は、中のいい荒川さんご夫妻のお店です。
・フランス創作料理「SHIN」太秦映画通りにある名店。お父様が育てた野菜と鴨をいただける。おいしいこと間違いなし。
・モロッコ料理「ラバラカ」は、モロッコ人のご主人がつくる仲良しレストラン。高島屋の駐車場より少し南に昨年末に出現した。アットホームなお店として女性に人気のお店。人気のタジン鍋。本物をどうぞ。
・スペイン料理「アントニオ」・・・シャイなご主人に代わって時に子供さんと店にいる素敵な奥様。夫婦の絆がなければ、この世界やっていけませんなぁ。料理の美味しい事は、間違いありません。
*スペシャルがんばるご夫妻
・「中川酒店」出町柳店と沖縄料理「ゴーヤ」は、店が増えたのと、奥様がジャマイカから沖縄にはまった結果。別の姉妹店でがんばってます。「ゴーヤ」は、吉田神社北参道入り口より東。
・ラーメン「千の風」とにかくすごい。最初はご夫婦で。今では2人の娘さんも。奥様は御蔭橋店。ご主人は「新京極店」。
・ラーメン「来来亭」年上の奥様が支えた事で有名なお店。
・「いやいやえん」お昼は着物姿の奥様がランチ。夜は、ご主人の和食。
・「すみや」ご夫婦でがんばる人気店。平山さんがスペイン料理からエスニック・奄美大島鶏飯まで。御前御池
・アメリカンスタイルの「スピークイージー」アメリカから帰国した藤本さんが、自分のお店を持とうと、渡米前にお世話になった「スピークイージー」に挨拶に行くと、なんと店を閉める話が。それなら、自分が店の看板守りますといったかどうかはしりませんが、音羽川の橋の北側にあったお店と別に、現在の修学院に自分のオリジナルのスピークイージーを作られた。京都のバーテンダー協会の代表として、お酒を研究し後進の指導にも。ある時期大丸北側に出店されたが、そんな時もしっかり本店を守ってこられたのが奥様。やっぱりいっしょにと、今は修学院でがんばってます。
「ホンキートンク」の矢谷さんが、昔はやった頃に五軒まで店を増やしたけれど、結局馬が好きで、馬の景色のある宝ケ池乗馬倶楽部の中が1番自分が居心地がいいとか。やっぱり本人が1番居心地のいい思い入れのあるお店が、お客さんにもいいのでは。
・太平洋のスキューバーダイビングスポットの料理を集めた「バラクーダ」は、いつもご夫婦2人で行動しておられます。2人が離れている姿が思い浮かびません。お母様も2人仲良しだからとおっしゃってました。山科西友向かい上がる。
・ベトナム料理「スワン」さんは、ご主人が料理人。奥様がアオザイを着こなすまるでお人形さんのような素敵な方。お洒落な女性たちの溜まり場です。どことなくカフェっぽい入りやすさと。御幸町四条上るというう今の京都の1番若者に人気スポット。
・タイ料理「バンコックガーデン」は、やはりタイ大好き人間のご夫妻が作られた、とってもタイ的な空間のお店。セレブな方でもお勤めの方でも。
・タイカフェ「カティー」は、夷川通りにあるタイ料理カフェ。タイ出身のご主人が作る母国のお味はいかが。若い方に支持されています。
・バリ島大好きなご夫妻の素敵なカフェ「バリガシ」は、バリスィーツのお店です。地下鉄北山駅北へ。
・ハワイアンカフェ「ALOHANA cafe」・・・・ハワイアンカフェ 京都府立大学附属病院がある荒神口西側。若くてすごく感じのいい仲良しご夫妻のお店。3月15日に、スィーツを食べるつもりで行きましたが、メニューを見て、お魚のバーガーを頼みました。
パンプキンもあったのですが。
・カナダ人の奥様と町屋で「生ショコラ」・・・京都の岡崎・平安神宮の東。洋食の「小宝」の南の筋を東へどんつきが「生チョコ」専門店のその名の通り「生ショコラ」。アメリカの領事館の料理人だった中西さんと奥様のシェリーさん。ごく普通の京町屋に遊びに行く感覚で、ランチもあります。よく着物を着ておられる奥様がいらっしゃいませ。
・フランス料理「パリビス」・・・・フランス人の奥様とフランスで修行されたご主人が、大阪から京都に移られてたのは、子供さんがフランス人学校に入れたかったから(?)とか。河原町二条西のお店で、「京都映画センタ」と同じビルです。いろんな講座も。
・四川料理「老安記」・・・水餃子が名物のこのお店は、ご夫妻共に四川出身の画家。店には、ご主人の水墨画が。奥様は、清水寺で個展をする洋画家。とにかく超安い四川の家庭の味。
・世界のモダン焼き?「パーラーフジ」は、出町柳から百万遍までの間にある。トロピカルモダン・シチュウモダン・・・・昔コノ店で京大生の頃に、バイトしていた弟分のシリキャットは、なんとアメリカべり研の研究員に。バイトが各地で活躍しているこのお店は、中のいい荒川さんご夫妻のお店です。
・フランス創作料理「SHIN」太秦映画通りにある名店。お父様が育てた野菜と鴨をいただける。おいしいこと間違いなし。
・モロッコ料理「ラバラカ」は、モロッコ人のご主人がつくる仲良しレストラン。高島屋の駐車場より少し南に昨年末に出現した。アットホームなお店として女性に人気のお店。人気のタジン鍋。本物をどうぞ。
・スペイン料理「アントニオ」・・・シャイなご主人に代わって時に子供さんと店にいる素敵な奥様。夫婦の絆がなければ、この世界やっていけませんなぁ。料理の美味しい事は、間違いありません。
*スペシャルがんばるご夫妻
・「中川酒店」出町柳店と沖縄料理「ゴーヤ」は、店が増えたのと、奥様がジャマイカから沖縄にはまった結果。別の姉妹店でがんばってます。「ゴーヤ」は、吉田神社北参道入り口より東。
・ラーメン「千の風」とにかくすごい。最初はご夫婦で。今では2人の娘さんも。奥様は御蔭橋店。ご主人は「新京極店」。
・ラーメン「来来亭」年上の奥様が支えた事で有名なお店。
・「いやいやえん」お昼は着物姿の奥様がランチ。夜は、ご主人の和食。
・「すみや」ご夫婦でがんばる人気店。平山さんがスペイン料理からエスニック・奄美大島鶏飯まで。御前御池
・アメリカンスタイルの「スピークイージー」アメリカから帰国した藤本さんが、自分のお店を持とうと、渡米前にお世話になった「スピークイージー」に挨拶に行くと、なんと店を閉める話が。それなら、自分が店の看板守りますといったかどうかはしりませんが、音羽川の橋の北側にあったお店と別に、現在の修学院に自分のオリジナルのスピークイージーを作られた。京都のバーテンダー協会の代表として、お酒を研究し後進の指導にも。ある時期大丸北側に出店されたが、そんな時もしっかり本店を守ってこられたのが奥様。やっぱりいっしょにと、今は修学院でがんばってます。
「ホンキートンク」の矢谷さんが、昔はやった頃に五軒まで店を増やしたけれど、結局馬が好きで、馬の景色のある宝ケ池乗馬倶楽部の中が1番自分が居心地がいいとか。やっぱり本人が1番居心地のいい思い入れのあるお店が、お客さんにもいいのでは。
・太平洋のスキューバーダイビングスポットの料理を集めた「バラクーダ」は、いつもご夫婦2人で行動しておられます。2人が離れている姿が思い浮かびません。お母様も2人仲良しだからとおっしゃってました。山科西友向かい上がる。
・ベトナム料理「スワン」さんは、ご主人が料理人。奥様がアオザイを着こなすまるでお人形さんのような素敵な方。お洒落な女性たちの溜まり場です。どことなくカフェっぽい入りやすさと。御幸町四条上るというう今の京都の1番若者に人気スポット。
・タイ料理「バンコックガーデン」は、やはりタイ大好き人間のご夫妻が作られた、とってもタイ的な空間のお店。セレブな方でもお勤めの方でも。
・タイカフェ「カティー」は、夷川通りにあるタイ料理カフェ。タイ出身のご主人が作る母国のお味はいかが。若い方に支持されています。
・バリ島大好きなご夫妻の素敵なカフェ「バリガシ」は、バリスィーツのお店です。地下鉄北山駅北へ。