2008年10月21日
京都『龍門』の「鶏肉の特製ネギ油汁かけそば」¥550
京都の四川料理で、今大人気のお店が皆知ってる『龍門』。
昨夜は、ここで夕食でした。
龍門が誕生したのは、東山三条少し西の北側。かなり派手な看板なので、正直私は引いてしまってなまなま入りませんでした。しかし空腹に負けて飛び込んだのはもう何年前だったか。現在大宮店や岡崎店など展開中ですが、昨夜は百万遍店でいただきました。
鍋爆肉 ¥850 炒飯 ¥600 鶏肉の特製ネギ油汁かけそば ¥550 小籠包 ¥450
このお店の特色は、すべてが中国から持ってきたまま。という点。
龍門を古くから応援している、スコットランドバーのオーナーの堀江さんによると、昔、今の「龍門の東大路「の反退側に、中国料理店に始まりました。四川料理といううことですが、世界遺産。中国北部の仏教遺跡などがある「龍門」に由来しますが、上記の「小籠包」は、上海料理の名物です。もともと1871年に中国の嘉定県南翔鎮(現・上海市嘉定区南翔鎮)の菓子店「古猗園」の主人・黄明賢が販売した南翔饅頭が広まったと一般的にされていますが、点心ではなく饅頭の1種と考えるべきです。
饅頭というう言葉は、シルクロード全域で古くから食べられており、小麦文化は本来西アジア原産で、その食べ方の一つが、彼らのもうひとつの好物である羊肉を入れたマンディ。これは外見も製法も小籠包そっくりであり、小籠包が作られたのが1900年
饅頭文化は仏教の発症の頃には誕生しており、遊牧民の食文化の主食の1つです。ただ大きく異なるのは、イスラム圏では、豚は食べないので羊が主ですが、中国では、豚を使うようになったのが大きな違いです。また饅頭は、中国では外国人文化であり、外国人の頭を意味してこの文字が当てられたとの説もあります。
また。小籠包が正しい中国の書き方で、真ん中の文字は籠というう文字ですが、中国人の好きな龍に書き換えているところも日本では、よく見かけます。
基本的に中国料理は、漢民族主体の南の米文化と しばしば中国の支配民族になった北西部の遊牧民の食文化の融合であり、「満漢全席」というう言葉は、文字通り遊牧民系の満民族と農耕民の漢民族と融合を意味しています。
これは、中国だけでなく、日本も朝鮮半島も同様であり、私たち日本人の多くに蒙古斑があるが、もっとも多いのが95%以上にこれがみられるのはモンゴル系の人々である。欧米では1%ほででしかない。これは1例だが、餃子文化が中国中に広まったのも清朝になってからであり、これもまた遊牧民文化がルーツである。もっとも、中国を支配した遊牧民系の王朝は、元を除いてほとんどが、すでに中国社会に組み込まれて定住化していた遊牧民系の人々であり、彼らが西域などの防衛を兼ねた役職についていて、中央の体制が混乱した時期に独立して、やがて支配民族になって、自分たちの文化を持ち込んだものだが、人口の大半が漢民族に占められている状況では、多くの場合同化せざるを得なかった。そしてすべてが中国文化に組み込まれたのが現実であろう。
料理は、その国の歴史を物語っている。
昨夜は、ここで夕食でした。
龍門が誕生したのは、東山三条少し西の北側。かなり派手な看板なので、正直私は引いてしまってなまなま入りませんでした。しかし空腹に負けて飛び込んだのはもう何年前だったか。現在大宮店や岡崎店など展開中ですが、昨夜は百万遍店でいただきました。
鍋爆肉 ¥850 炒飯 ¥600 鶏肉の特製ネギ油汁かけそば ¥550 小籠包 ¥450
このお店の特色は、すべてが中国から持ってきたまま。という点。
龍門を古くから応援している、スコットランドバーのオーナーの堀江さんによると、昔、今の「龍門の東大路「の反退側に、中国料理店に始まりました。四川料理といううことですが、世界遺産。中国北部の仏教遺跡などがある「龍門」に由来しますが、上記の「小籠包」は、上海料理の名物です。もともと1871年に中国の嘉定県南翔鎮(現・上海市嘉定区南翔鎮)の菓子店「古猗園」の主人・黄明賢が販売した南翔饅頭が広まったと一般的にされていますが、点心ではなく饅頭の1種と考えるべきです。
饅頭というう言葉は、シルクロード全域で古くから食べられており、小麦文化は本来西アジア原産で、その食べ方の一つが、彼らのもうひとつの好物である羊肉を入れたマンディ。これは外見も製法も小籠包そっくりであり、小籠包が作られたのが1900年
饅頭文化は仏教の発症の頃には誕生しており、遊牧民の食文化の主食の1つです。ただ大きく異なるのは、イスラム圏では、豚は食べないので羊が主ですが、中国では、豚を使うようになったのが大きな違いです。また饅頭は、中国では外国人文化であり、外国人の頭を意味してこの文字が当てられたとの説もあります。
また。小籠包が正しい中国の書き方で、真ん中の文字は籠というう文字ですが、中国人の好きな龍に書き換えているところも日本では、よく見かけます。
基本的に中国料理は、漢民族主体の南の米文化と しばしば中国の支配民族になった北西部の遊牧民の食文化の融合であり、「満漢全席」というう言葉は、文字通り遊牧民系の満民族と農耕民の漢民族と融合を意味しています。
これは、中国だけでなく、日本も朝鮮半島も同様であり、私たち日本人の多くに蒙古斑があるが、もっとも多いのが95%以上にこれがみられるのはモンゴル系の人々である。欧米では1%ほででしかない。これは1例だが、餃子文化が中国中に広まったのも清朝になってからであり、これもまた遊牧民文化がルーツである。もっとも、中国を支配した遊牧民系の王朝は、元を除いてほとんどが、すでに中国社会に組み込まれて定住化していた遊牧民系の人々であり、彼らが西域などの防衛を兼ねた役職についていて、中央の体制が混乱した時期に独立して、やがて支配民族になって、自分たちの文化を持ち込んだものだが、人口の大半が漢民族に占められている状況では、多くの場合同化せざるを得なかった。そしてすべてが中国文化に組み込まれたのが現実であろう。
料理は、その国の歴史を物語っている。