2008年01月04日
京都の南熱国料理「VIVA LA MUSICA!」
いってみたいけど、なかなかいけないお店・・・その1
以前から、北白川のマリ料理「カフェ・オ・バオバブ」に行くとき、いつも気になっているのが「VIVA LA MUSICA!」
音楽が楽しめて、アフリカやブラジルなどのお料理やお酒が楽しめるお店と店頭にあるチラシに書かれています。
ブラジルソーセージの写真入の案内をいただいてきて、よだれたらしながら眺めていますが、実は、このお店。私の働いている時間の中で、営業されている為にどうしてもいけません。
何度、店の前まで行って、物欲しげな顔で、チラシなどを眺めた事か。
おかげで「そうげんカフェ」というすばらしいカフェと出会えましたが。
本当にアフリカやブラジルのたべものもあるの?と、失礼ながらメールで問い合わせさせていただいた所、WATARU UEMATU様より、その内容を確認いただく返信をいただきました。造形大の皆さんは、近くでアフリカ料理がハシゴできるなんてうらやましい。京都でアフリカ料理は、6軒ほど確認していますが、いってみたい何とかして。・・・新年初夢その1でした。
詳しくは、直接HPでお調べ下さい。http://www.h3.dion.ne.jp/~watz/moana.index.htm
以前から、北白川のマリ料理「カフェ・オ・バオバブ」に行くとき、いつも気になっているのが「VIVA LA MUSICA!」
音楽が楽しめて、アフリカやブラジルなどのお料理やお酒が楽しめるお店と店頭にあるチラシに書かれています。
ブラジルソーセージの写真入の案内をいただいてきて、よだれたらしながら眺めていますが、実は、このお店。私の働いている時間の中で、営業されている為にどうしてもいけません。
何度、店の前まで行って、物欲しげな顔で、チラシなどを眺めた事か。
おかげで「そうげんカフェ」というすばらしいカフェと出会えましたが。
本当にアフリカやブラジルのたべものもあるの?と、失礼ながらメールで問い合わせさせていただいた所、WATARU UEMATU様より、その内容を確認いただく返信をいただきました。造形大の皆さんは、近くでアフリカ料理がハシゴできるなんてうらやましい。京都でアフリカ料理は、6軒ほど確認していますが、いってみたい何とかして。・・・新年初夢その1でした。
詳しくは、直接HPでお調べ下さい。http://www.h3.dion.ne.jp/~watz/moana.index.htm
Posted by こやまあきゆき at
23:05
│アジア・アフリカ料理
2008年01月04日
今年のおせちはどこでしたか?
年末年始の小山家の年中行事。
12月30日。実家泉涌寺で「恒例のもちつき」。
今年は、両親。3兄弟+義弟の5家族。
3兄弟で、息子2人娘4人(つまり両親の孫6人)。
ちなみに実家は、母の生まれた登り窯を中心に母方の一族が住む通称「黒門さん」と呼ばれた敷地の一角。
私事だが、陶芸一族の母方の私からさかのぼって、
・4代前の鈴木喜三郎の時代に五条坂で陶器の絵付師。元々美濃出身と加藤唐九郎さんの辞典に書かれている。
・3代前の鷹三郎(実は鷹次郎・・・次というのが気に入らなかったらしいので鷹三郎と名乗ったそうです。)
瀬戸で学んだ技術で京都で磁器人形を完成させ、「パリ博覧会」で銀賞受賞。(同じ博覧会で「ティファニーが世界デビューし たそうです」)国際的に高い評価を得て、海外で高く買われたとかで、800坪の泉涌寺と東福寺の間の竹林を買い取り登り窯 を開く。大正7年くらいから徐々に手を入れていって、前面移転は大正13年。
・ここで育った2代前の祖父鈴木清が、陶芸家と同時に彫刻家でもあったため、日本近代陶芸の祖とも呼ばれた東京美術学校 教授で京都芸大(美大)に陶芸科を開いた冨本憲吉先生と生涯4つの美術団体で行動をともにする。晩年東京や実家の奈良 から京都に拠点を移した冨本先生の工房も「黒門」に作られ、その弟子で「京都芸大」の1期生の父も、母と結婚して五条坂か ら移り住む。
という流れで、私は「黒門」で生まれ育ちました。住み込みの留学生や外国からの弟子も時々ここに住んでいました。アメリカ・イスラエル・ドイツ・韓国・・・いろいろ。というわけで、国を超えては、子供の時からの日常でした。
で、本題の今年のおせちは、「大丸さんのお節」「高澤さんのお節」と「母の手作りのお節」の豪華3本立てで卓上がいっぱいでした。「御雑煮」は、白味噌。夜は、「お節」プラス「鋤焼き+キャベツとお肉のたいたん風お袋の味」が加わりました。
ちなみに31日のお昼は、お袋の味+「京やのコロッケ」でした。
以上、年末年始実家で過ごしたこやちゃんでした。
12月30日。実家泉涌寺で「恒例のもちつき」。
今年は、両親。3兄弟+義弟の5家族。
3兄弟で、息子2人娘4人(つまり両親の孫6人)。
ちなみに実家は、母の生まれた登り窯を中心に母方の一族が住む通称「黒門さん」と呼ばれた敷地の一角。
私事だが、陶芸一族の母方の私からさかのぼって、
・4代前の鈴木喜三郎の時代に五条坂で陶器の絵付師。元々美濃出身と加藤唐九郎さんの辞典に書かれている。
・3代前の鷹三郎(実は鷹次郎・・・次というのが気に入らなかったらしいので鷹三郎と名乗ったそうです。)
瀬戸で学んだ技術で京都で磁器人形を完成させ、「パリ博覧会」で銀賞受賞。(同じ博覧会で「ティファニーが世界デビューし たそうです」)国際的に高い評価を得て、海外で高く買われたとかで、800坪の泉涌寺と東福寺の間の竹林を買い取り登り窯 を開く。大正7年くらいから徐々に手を入れていって、前面移転は大正13年。
・ここで育った2代前の祖父鈴木清が、陶芸家と同時に彫刻家でもあったため、日本近代陶芸の祖とも呼ばれた東京美術学校 教授で京都芸大(美大)に陶芸科を開いた冨本憲吉先生と生涯4つの美術団体で行動をともにする。晩年東京や実家の奈良 から京都に拠点を移した冨本先生の工房も「黒門」に作られ、その弟子で「京都芸大」の1期生の父も、母と結婚して五条坂か ら移り住む。
という流れで、私は「黒門」で生まれ育ちました。住み込みの留学生や外国からの弟子も時々ここに住んでいました。アメリカ・イスラエル・ドイツ・韓国・・・いろいろ。というわけで、国を超えては、子供の時からの日常でした。
で、本題の今年のおせちは、「大丸さんのお節」「高澤さんのお節」と「母の手作りのお節」の豪華3本立てで卓上がいっぱいでした。「御雑煮」は、白味噌。夜は、「お節」プラス「鋤焼き+キャベツとお肉のたいたん風お袋の味」が加わりました。
ちなみに31日のお昼は、お袋の味+「京やのコロッケ」でした。
以上、年末年始実家で過ごしたこやちゃんでした。
Posted by こやまあきゆき at
01:21
│京都ふるさと食の再発見