京つう

グルメ・スイーツ・お酒  |洛中

新規登録ログインヘルプ


QRコード
QRCODE
インフォメーション
【京つうからのお知らせ】
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 29人
プロフィール
こやまあきゆき
こやまあきゆき
YUKI(ニックネーム)こやまあきゆきは、本名小山晶之 
京都東山の泉涌寺の登り窯のあった陶芸の家「黒門」で誕生。
世界の食文化の研究家。父はシルクロードの工芸研究家で陶芸家の小山喜平。「京都国際学生の家」の同期8人と「くいしんぼうの会」を結成。会員15カ国150名。京都の伝説の無国籍料理店カプリチョース初期の責任者 現在200店舗の外国料理店で、「京都国際レストランネットワーク」を作る。(会長イゴールライラ・スロベニアレストラン「ピカポロンツア」事務局ロシア料理「キエフ」「グリーン」「フィゲラス」「バリバリインドネシア」他11店舗。)代表世話人。「京都国際食文化研究所」代表 京都エスニック50年記念出版「定番にしたい異国料理店」(教材研究所)は、約400冊が、京都の図書館・医療機関・大学・国際交流機関に無償配布されている。京都府農業会議「ダーチャプロジェクト」立案・NPO「ふるさとテレビ」顧問・NPO「京都環境21」理事・「北野創生会議」・「京都プロデュース協会」会員・「民族芸術学会」会員・「ワールドミュージックネットワーク」世話人 幼小中の教育大附属桃山の同級生とのお誕生会以来、人生で出会った沢山の仲間達と、今も様々なご飯食べ会を楽しんでいる。

著者 「定番にしたい異国料理店」教材研究所 刊
共著 「はらはらと」円山公園東観荘で吉川女将を囲む100人畑岡先生編集
陶芸出品 「京展」「日展」他 約200回
個展   「アートスペース八源」「しまだい」他
特別制作 「京都市中央市場65周年市長賞場長賞副賞制作
     「大乗寺200天目茶碗」「円山公園東観荘織部の間&庭園」
     「京都大学医学部茶道部茶会の為の天の岩戸の水差し」
     「同じく 平安神宮茶会の為平安神宮白砂の水差し」
代表作  「母なる大地」(第3回チェラミスタ池坊と花器展 買上)
     「砂漠の蜃気楼 バーミヤン」(現代工芸展)「ペトラ砂漠の神殿」
     「心のブラックホール」(チェラミスタ 近鉄百貨店)「塔・ボロブドゥール」
     「回想」「宙」(日展)「勾玉伝説」(炎の陶芸展)
展覧会企画「アートスペース八源」(二年)「美食器展」(14回)
     「ホテルフジタ京都平安京ギャラリー」(1年)
     「京都市美術館チェラミスタ展」
     「京都国際ホテル35周年記念日本庭園舞台に浮遊群」
     「京都歴史都市博チェラミスタ展 七つの島企画担当」
     「京都府陶磁器組合連合会青年部六団体新世代 inしまだい」
陶芸指導 「京都市公立小学校」「京都市保健所リハビリ陶芸」
     「長尾谷高校」「つくば開成高校」と五つの陶芸倶楽部
      などでこれまでに約3千名に陶芸指導(円山陶芸協会)
出版物紹介「作務衣の手ざわり」あさかよしこ 京都の百人の職人の1人
     「日本の陶芸」共著陶芸実技小山喜平 実技写真モデル
現在   「京都国際食文化研究室」代表。
     「幸せの100円パン生地工房」にて、現役のパン生地職人。
オーナーへメッセージ

スポンサーリンク

上記の広告は、60日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by 京つう運営事務局 at

2006年07月07日

ロシア料理って何?

簡単に言うと、100以上の民族の料理。北欧・西洋・中央アジアのトルコ系・インド系・更にモンゴル・中国とも共通するユーラシアの料理。
東京ではポピュラーで、主な店だけでも50軒ぐらいすぐ出てくるが、関西にすくなく。特に旧ソビエト連邦時代に設立された「キエフ」は、ロシア領事館出張もあり、主要国の大使や領事も利用される老舗。
それでいて、ランチは、1050円から。アラカルトは、ピロシキ1個からある。ロシア・ウクライナ・グルジア・シベリア・ウズベキスタンなど、各地の代表的料理を並べては?  


Posted by こやまあきゆき at 01:23ロシア料理

2006年07月07日

幻の香港パパ no.004雷 建業(ルイケンギョウ)

ルイは、京大経済学部在学中に、国際学生の家に入寮した。料理が得意でいつもご馳走してくれたので、6畳の部屋に、時には20人以上が入って飲み食いしていた。いつちかルイパパと呼ばれるようになり、小山・タイのシリキャット・甘えたのハヴィが、ルイパパ3兄弟と呼ばれるようになった。
寮を出た時当然彼を「くいしんぼう」の創設メンバーにさそった。彼は、第1回の小山宅の「くいしんぼう」に喜んで参加してくれたが、現在の妻であるイタリア人の彼女が、大阪外大にいたので、大阪へ転居してその後結婚して、「香港オムロン」に就職した。2度京都に来てくれた後、笹沼の「パピルス料理店」の研修で香港に行ったとき、海岸の魚を市場で買って、持ち込んで料理してもらう高級レストランに連れて行ってくれた。奥さんのケーキも最高だった。現在は、貿易商としてシンガポール在住。
ちなみに、シリキャットは、アメリカのベル研に、吉村は、京大理学部教授となっており、現在吉村は、「くいしんぼう」のメンバーである。  


Posted by こやまあきゆき at 01:16

2006年07月05日

会員No003北島悦子初代マドンナ

くいしんぼう3人以外に、最高の食い道楽をスカウトしていく決意をした私は、4人目のメンバーとして、北島悦子をスカウトした。
当時石油会社の広報部で社内報の制作に当たるOL.大阪在住・大阪勤務。たまたま後にメンバーになる、キプロスのギリシャ系の、ニコスの彼女の貴子(現ニコス夫人)の友人として、いっしょに寮のパーティーに来たとき出会った。このとき中国・インドネシア・日本の寮の卓球自慢を相手に彼女が圧勝。学生時代大阪の選抜に選ばれたこともあるとの事。皆に頼まれて時々試合に来てくれた。
「打倒えっちゃん!」を合言葉に、自信の有る連中は、猛特訓してたが相手にはならなかった。
なぜデートの邪魔なのにパーティーに来たの?と率直に質問すると、「料理の資料を集めていると。」手帳には、関西の料理店や料理の情報がビッシリ。そこで研究会設立の話をすると、彼女は、すぐに会社を退職して、別当町に移住してきた。「京都センチュリーホテル」の初期の事務職に転職し、現在の「ルネサンスビル」建設のために取り壊されるホテルから、捨てる古い道具類をいっぱいもらってきてくれた。後に貯金して、一人で「ちゃらん」を設立。会の事務局も勤めてくれて、8つ年下の天文学の先生にくどかれ続けた挙句に結婚。かなりの姉さん女房のはずだが、年齢を感じない。子宝にも恵まれ。店は仲間にゆずったが、実は、「くいしんぼう」が現在も活動するきっかけは、やはり彼女の呼びかけからだった。恐るべしパワー。  


Posted by こやまあきゆき at 01:10

2006年07月05日

「京都食いしんぼうの会」誕生秘話

「くいしんぼうの会」の正式名は、「京都食文化研究会」しかし、死ぬほど食べるのが好きで、作るのが好きで、食べ物の話が好き。という3条件を原則として、発起人の私。賛同してくれたイゴールと笹沼の3人によって、笹沼の恒例のフランス2星・3星レストラン、自転車で食べ歩きの夏季休暇からの帰国を待って発足した。創設会員は8名。まさか10年間休まず続いて15ケ国130名が参加し、いくつもの店や関連会社が設立される会になるとは、考えてなかった。3人以外も私が単独で口説いてスカウトしたメンバーだが、最初の3人は、私の世界の民族料理が何でも食べられる、料理以外の内装なども、すべて仲間で作る、クリエイティブなエスニックレストラン「世界の民族料理シルクロード」を、北白川別当町に開く計画の賛同者だった。この近くに「京大人文学研究所」の母体てきな「東方文化研究所」があり、母方の祖父は、中国古陶磁の研究に、父は、芸大や京大の調査隊員として「シルクロード」にいっていた。私は、食文化を実際の料理から研究したかった。「国際学生の家」の出会いが現実の物にしてくれた。  


Posted by こやまあきゆき at 00:51

2006年07月05日

くだもの・タルト最高!幸せ!

いつも自転車で食べ歩いていたので、三条の一本北の高瀬川に面した。すごく、くだもののおいしいタルとのお店に気づいていなかった。なんと不幸。そして今幸せ。
外からは、あまりよく見えない店内は意外と広い。驚きは、店の半分以上が厨房。素敵なお嬢さんたちが、7~8人でいろんなタルトを作っている。覘くだけで通り過ぎるつもりだったが、圧倒されるおいしそうなタルトがいっぱいガラスのショウケースに並んでいて、一周できる種類の多さ。しかも載ってるフルーツなどの質も量も美しさも半端じゃない。タルトなんてどこにでも売ってると思っていたけど。
 あきらかに「おいしそう」。こりゃ、味見しないで通り過ぎるわけにはいかない。
ランチの後だけに、そして、1時間後に昼食の予定の私だが、できるだけあっさりしたのをと、「いちじくのタルト」と「フルーツトマトとチーズのタルト」を注文したら、いちじくの下に最良のカスタードが抜群のハーモニー。フルーツトマトもたっぷりに、甘酸っぱいイチゴとにはまりました。今日は最高に幸せです。  


Posted by こやまあきゆき at 00:35スイーツ

2006年07月05日

一之船入

角倉了以が開削した運河で、賀茂川から分流し、京橋で宇治川に合流する運河を荷物を運ぶ高瀬舟の貨物の積卸場。高瀬舟も再現されてるのは有名だが、ここに創作中華の「一之船入」がある。
今日は、¥1500のランチをいただいた。4種類の中から選ぶ。私は、メインをゴーヤなどを炒めたものを選んだが、前菜のサラダ、おいしい点心2種、主菜・ご飯・スープ・香の物最後にデザート。
つめたいお茶が、デカンタで置かれるサービス。おいシューございました。
元お茶屋のお店だけに、すべてのお部屋にいろいろな趣向があるので、楽しく、おいしく、くつろげる。
一人だったので、大きな席で、ごめんなさい。しかし、嫌な顔される事もなく、気持ちの良いおもてなしでした。とても贅沢な気分。  


Posted by こやまあきゆき at 00:21中華料理

2006年07月03日

Very Berry

河原町二条のお店で、お昼を食べました。
もともと、北白川が、最初のお店、若者に人気の、御幸町店も人気ですが、二条のお店は、本当に落ち着けます。ただし、土、日は、一杯なので平日のほうがいいかも。ロコモコ食べましょう。パフェと。  


Posted by こやまあきゆき at 12:48アメリカ・オセアニア料理

2006年07月01日

会員No002 笹沼英司

彼と出会ったのは、寮にいた頃である。パリの有名レストランを、自転車で食べ歩く男。
自然にフランス語を読み書きできる彼には、パリの2つの2つ星のオーナーシェフ。ジャックカーニャをはじめ、料理関係にも多くの友人がいた。出会ったとき京大生。しかし5歳年上。実は、横浜中華街の近くの大きな電気屋の息子だったが、エリート高校から大学進学するはずが、急な家庭の事情で、家業を継いでいた。たまたまバイクレーサーのモデルも勤める弟が、大学卒業して家業を継ぎたいとの事で、かなり後れて京都に!翌年京大合格。その時の写真には、昼は中華、夜はフレンチで自炊するメニューが書き込んであった。恐るべし、食道楽。いっしょに会を発足後、大学卒業して、フレンチのコックに。しかし、あまりの知識と優秀なために、支配人に抜擢される。そこで一番下っ端のコックに採用されたのが、私であった。2人の店は、彼のアパートに私が居候して、着々と計画が進んで言った。
後彼は、自力で北白川別当町に「世界の民族料理パピルス料理店」を開く。現在は、ニュージーランド在中。元々の夢だった外車のディーラーになっているという。  


Posted by こやまあきゆき at 01:36

2006年07月01日

会員No001 イゴールライラ

何よりも、この会の創設は、3人の秘密結社から始まった。
発起人YUKI 会長イゴール 事務局エイジ 将来北白川別当町に「画期的な世界の民族料理レストラン建設」に向けて、夢はスタートした。三人とも実に奇妙な学生であった。
No.001.にふさわしい男。イゴール・ライラ。数理生態学研究で京都大学で博士号を取得。コンピューターによる生態系の分析は、琵琶湖の研究などでも、形になっていた。そんな彼も、母国で研究時代、レストランでケーキを作る経験をしていた。スイス・オーストリアのようにおいしい母国のケーキを日本人に食べてもらって、母国の事を少しでも知ってもらいたい。「国際学生の家の同期で、年齢は10歳上」退寮後に彼は、夢の場所の近く、北白川山の元町に家を借りた。3人で改装して、20人ぐらいが食事できるようにした。夢実現の第一歩が始まった。現在彼は、独力で開いたスロベニアレストラン「ピッカポロンツァ」のオーナーシェフである。すべては、彼と家族の努力の結晶である。  


Posted by こやまあきゆき at 01:22