2006年07月07日
ロシア料理って何?
簡単に言うと、100以上の民族の料理。北欧・西洋・中央アジアのトルコ系・インド系・更にモンゴル・中国とも共通するユーラシアの料理。
東京ではポピュラーで、主な店だけでも50軒ぐらいすぐ出てくるが、関西にすくなく。特に旧ソビエト連邦時代に設立された「キエフ」は、ロシア領事館出張もあり、主要国の大使や領事も利用される老舗。
それでいて、ランチは、1050円から。アラカルトは、ピロシキ1個からある。ロシア・ウクライナ・グルジア・シベリア・ウズベキスタンなど、各地の代表的料理を並べては?
東京ではポピュラーで、主な店だけでも50軒ぐらいすぐ出てくるが、関西にすくなく。特に旧ソビエト連邦時代に設立された「キエフ」は、ロシア領事館出張もあり、主要国の大使や領事も利用される老舗。
それでいて、ランチは、1050円から。アラカルトは、ピロシキ1個からある。ロシア・ウクライナ・グルジア・シベリア・ウズベキスタンなど、各地の代表的料理を並べては?
2006年07月07日
幻の香港パパ no.004雷 建業(ルイケンギョウ)
ルイは、京大経済学部在学中に、国際学生の家に入寮した。料理が得意でいつもご馳走してくれたので、6畳の部屋に、時には20人以上が入って飲み食いしていた。いつちかルイパパと呼ばれるようになり、小山・タイのシリキャット・甘えたのハヴィが、ルイパパ3兄弟と呼ばれるようになった。
寮を出た時当然彼を「くいしんぼう」の創設メンバーにさそった。彼は、第1回の小山宅の「くいしんぼう」に喜んで参加してくれたが、現在の妻であるイタリア人の彼女が、大阪外大にいたので、大阪へ転居してその後結婚して、「香港オムロン」に就職した。2度京都に来てくれた後、笹沼の「パピルス料理店」の研修で香港に行ったとき、海岸の魚を市場で買って、持ち込んで料理してもらう高級レストランに連れて行ってくれた。奥さんのケーキも最高だった。現在は、貿易商としてシンガポール在住。
ちなみに、シリキャットは、アメリカのベル研に、吉村は、京大理学部教授となっており、現在吉村は、「くいしんぼう」のメンバーである。
寮を出た時当然彼を「くいしんぼう」の創設メンバーにさそった。彼は、第1回の小山宅の「くいしんぼう」に喜んで参加してくれたが、現在の妻であるイタリア人の彼女が、大阪外大にいたので、大阪へ転居してその後結婚して、「香港オムロン」に就職した。2度京都に来てくれた後、笹沼の「パピルス料理店」の研修で香港に行ったとき、海岸の魚を市場で買って、持ち込んで料理してもらう高級レストランに連れて行ってくれた。奥さんのケーキも最高だった。現在は、貿易商としてシンガポール在住。
ちなみに、シリキャットは、アメリカのベル研に、吉村は、京大理学部教授となっており、現在吉村は、「くいしんぼう」のメンバーである。
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01:16
2006年07月05日
会員No003北島悦子初代マドンナ
くいしんぼう3人以外に、最高の食い道楽をスカウトしていく決意をした私は、4人目のメンバーとして、北島悦子をスカウトした。
当時石油会社の広報部で社内報の制作に当たるOL.大阪在住・大阪勤務。たまたま後にメンバーになる、キプロスのギリシャ系の、ニコスの彼女の貴子(現ニコス夫人)の友人として、いっしょに寮のパーティーに来たとき出会った。このとき中国・インドネシア・日本の寮の卓球自慢を相手に彼女が圧勝。学生時代大阪の選抜に選ばれたこともあるとの事。皆に頼まれて時々試合に来てくれた。
「打倒えっちゃん!」を合言葉に、自信の有る連中は、猛特訓してたが相手にはならなかった。
なぜデートの邪魔なのにパーティーに来たの?と率直に質問すると、「料理の資料を集めていると。」手帳には、関西の料理店や料理の情報がビッシリ。そこで研究会設立の話をすると、彼女は、すぐに会社を退職して、別当町に移住してきた。「京都センチュリーホテル」の初期の事務職に転職し、現在の「ルネサンスビル」建設のために取り壊されるホテルから、捨てる古い道具類をいっぱいもらってきてくれた。後に貯金して、一人で「ちゃらん」を設立。会の事務局も勤めてくれて、8つ年下の天文学の先生にくどかれ続けた挙句に結婚。かなりの姉さん女房のはずだが、年齢を感じない。子宝にも恵まれ。店は仲間にゆずったが、実は、「くいしんぼう」が現在も活動するきっかけは、やはり彼女の呼びかけからだった。恐るべしパワー。
当時石油会社の広報部で社内報の制作に当たるOL.大阪在住・大阪勤務。たまたま後にメンバーになる、キプロスのギリシャ系の、ニコスの彼女の貴子(現ニコス夫人)の友人として、いっしょに寮のパーティーに来たとき出会った。このとき中国・インドネシア・日本の寮の卓球自慢を相手に彼女が圧勝。学生時代大阪の選抜に選ばれたこともあるとの事。皆に頼まれて時々試合に来てくれた。
「打倒えっちゃん!」を合言葉に、自信の有る連中は、猛特訓してたが相手にはならなかった。
なぜデートの邪魔なのにパーティーに来たの?と率直に質問すると、「料理の資料を集めていると。」手帳には、関西の料理店や料理の情報がビッシリ。そこで研究会設立の話をすると、彼女は、すぐに会社を退職して、別当町に移住してきた。「京都センチュリーホテル」の初期の事務職に転職し、現在の「ルネサンスビル」建設のために取り壊されるホテルから、捨てる古い道具類をいっぱいもらってきてくれた。後に貯金して、一人で「ちゃらん」を設立。会の事務局も勤めてくれて、8つ年下の天文学の先生にくどかれ続けた挙句に結婚。かなりの姉さん女房のはずだが、年齢を感じない。子宝にも恵まれ。店は仲間にゆずったが、実は、「くいしんぼう」が現在も活動するきっかけは、やはり彼女の呼びかけからだった。恐るべしパワー。
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01:10
2006年07月05日
「京都食いしんぼうの会」誕生秘話
「くいしんぼうの会」の正式名は、「京都食文化研究会」しかし、死ぬほど食べるのが好きで、作るのが好きで、食べ物の話が好き。という3条件を原則として、発起人の私。賛同してくれたイゴールと笹沼の3人によって、笹沼の恒例のフランス2星・3星レストラン、自転車で食べ歩きの夏季休暇からの帰国を待って発足した。創設会員は8名。まさか10年間休まず続いて15ケ国130名が参加し、いくつもの店や関連会社が設立される会になるとは、考えてなかった。3人以外も私が単独で口説いてスカウトしたメンバーだが、最初の3人は、私の世界の民族料理が何でも食べられる、料理以外の内装なども、すべて仲間で作る、クリエイティブなエスニックレストラン「世界の民族料理シルクロード」を、北白川別当町に開く計画の賛同者だった。この近くに「京大人文学研究所」の母体てきな「東方文化研究所」があり、母方の祖父は、中国古陶磁の研究に、父は、芸大や京大の調査隊員として「シルクロード」にいっていた。私は、食文化を実際の料理から研究したかった。「国際学生の家」の出会いが現実の物にしてくれた。
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00:51
2006年07月05日
くだもの・タルト最高!幸せ!
いつも自転車で食べ歩いていたので、三条の一本北の高瀬川に面した。すごく、くだもののおいしいタルとのお店に気づいていなかった。なんと不幸。そして今幸せ。
外からは、あまりよく見えない店内は意外と広い。驚きは、店の半分以上が厨房。素敵なお嬢さんたちが、7~8人でいろんなタルトを作っている。覘くだけで通り過ぎるつもりだったが、圧倒されるおいしそうなタルトがいっぱいガラスのショウケースに並んでいて、一周できる種類の多さ。しかも載ってるフルーツなどの質も量も美しさも半端じゃない。タルトなんてどこにでも売ってると思っていたけど。
あきらかに「おいしそう」。こりゃ、味見しないで通り過ぎるわけにはいかない。
ランチの後だけに、そして、1時間後に昼食の予定の私だが、できるだけあっさりしたのをと、「いちじくのタルト」と「フルーツトマトとチーズのタルト」を注文したら、いちじくの下に最良のカスタードが抜群のハーモニー。フルーツトマトもたっぷりに、甘酸っぱいイチゴとにはまりました。今日は最高に幸せです。
外からは、あまりよく見えない店内は意外と広い。驚きは、店の半分以上が厨房。素敵なお嬢さんたちが、7~8人でいろんなタルトを作っている。覘くだけで通り過ぎるつもりだったが、圧倒されるおいしそうなタルトがいっぱいガラスのショウケースに並んでいて、一周できる種類の多さ。しかも載ってるフルーツなどの質も量も美しさも半端じゃない。タルトなんてどこにでも売ってると思っていたけど。
あきらかに「おいしそう」。こりゃ、味見しないで通り過ぎるわけにはいかない。
ランチの後だけに、そして、1時間後に昼食の予定の私だが、できるだけあっさりしたのをと、「いちじくのタルト」と「フルーツトマトとチーズのタルト」を注文したら、いちじくの下に最良のカスタードが抜群のハーモニー。フルーツトマトもたっぷりに、甘酸っぱいイチゴとにはまりました。今日は最高に幸せです。
2006年07月05日
一之船入
角倉了以が開削した運河で、賀茂川から分流し、京橋で宇治川に合流する運河を荷物を運ぶ高瀬舟の貨物の積卸場。高瀬舟も再現されてるのは有名だが、ここに創作中華の「一之船入」がある。
今日は、¥1500のランチをいただいた。4種類の中から選ぶ。私は、メインをゴーヤなどを炒めたものを選んだが、前菜のサラダ、おいしい点心2種、主菜・ご飯・スープ・香の物最後にデザート。
つめたいお茶が、デカンタで置かれるサービス。おいシューございました。
元お茶屋のお店だけに、すべてのお部屋にいろいろな趣向があるので、楽しく、おいしく、くつろげる。
一人だったので、大きな席で、ごめんなさい。しかし、嫌な顔される事もなく、気持ちの良いおもてなしでした。とても贅沢な気分。
今日は、¥1500のランチをいただいた。4種類の中から選ぶ。私は、メインをゴーヤなどを炒めたものを選んだが、前菜のサラダ、おいしい点心2種、主菜・ご飯・スープ・香の物最後にデザート。
つめたいお茶が、デカンタで置かれるサービス。おいシューございました。
元お茶屋のお店だけに、すべてのお部屋にいろいろな趣向があるので、楽しく、おいしく、くつろげる。
一人だったので、大きな席で、ごめんなさい。しかし、嫌な顔される事もなく、気持ちの良いおもてなしでした。とても贅沢な気分。
2006年07月03日
Very Berry
河原町二条のお店で、お昼を食べました。
もともと、北白川が、最初のお店、若者に人気の、御幸町店も人気ですが、二条のお店は、本当に落ち着けます。ただし、土、日は、一杯なので平日のほうがいいかも。ロコモコ食べましょう。パフェと。
もともと、北白川が、最初のお店、若者に人気の、御幸町店も人気ですが、二条のお店は、本当に落ち着けます。ただし、土、日は、一杯なので平日のほうがいいかも。ロコモコ食べましょう。パフェと。
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12:48
│アメリカ・オセアニア料理
2006年07月01日
会員No002 笹沼英司
彼と出会ったのは、寮にいた頃である。パリの有名レストランを、自転車で食べ歩く男。
自然にフランス語を読み書きできる彼には、パリの2つの2つ星のオーナーシェフ。ジャックカーニャをはじめ、料理関係にも多くの友人がいた。出会ったとき京大生。しかし5歳年上。実は、横浜中華街の近くの大きな電気屋の息子だったが、エリート高校から大学進学するはずが、急な家庭の事情で、家業を継いでいた。たまたまバイクレーサーのモデルも勤める弟が、大学卒業して家業を継ぎたいとの事で、かなり後れて京都に!翌年京大合格。その時の写真には、昼は中華、夜はフレンチで自炊するメニューが書き込んであった。恐るべし、食道楽。いっしょに会を発足後、大学卒業して、フレンチのコックに。しかし、あまりの知識と優秀なために、支配人に抜擢される。そこで一番下っ端のコックに採用されたのが、私であった。2人の店は、彼のアパートに私が居候して、着々と計画が進んで言った。
後彼は、自力で北白川別当町に「世界の民族料理パピルス料理店」を開く。現在は、ニュージーランド在中。元々の夢だった外車のディーラーになっているという。
自然にフランス語を読み書きできる彼には、パリの2つの2つ星のオーナーシェフ。ジャックカーニャをはじめ、料理関係にも多くの友人がいた。出会ったとき京大生。しかし5歳年上。実は、横浜中華街の近くの大きな電気屋の息子だったが、エリート高校から大学進学するはずが、急な家庭の事情で、家業を継いでいた。たまたまバイクレーサーのモデルも勤める弟が、大学卒業して家業を継ぎたいとの事で、かなり後れて京都に!翌年京大合格。その時の写真には、昼は中華、夜はフレンチで自炊するメニューが書き込んであった。恐るべし、食道楽。いっしょに会を発足後、大学卒業して、フレンチのコックに。しかし、あまりの知識と優秀なために、支配人に抜擢される。そこで一番下っ端のコックに採用されたのが、私であった。2人の店は、彼のアパートに私が居候して、着々と計画が進んで言った。
後彼は、自力で北白川別当町に「世界の民族料理パピルス料理店」を開く。現在は、ニュージーランド在中。元々の夢だった外車のディーラーになっているという。
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01:36
2006年07月01日
会員No001 イゴールライラ
何よりも、この会の創設は、3人の秘密結社から始まった。
発起人YUKI 会長イゴール 事務局エイジ 将来北白川別当町に「画期的な世界の民族料理レストラン建設」に向けて、夢はスタートした。三人とも実に奇妙な学生であった。
No.001.にふさわしい男。イゴール・ライラ。数理生態学研究で京都大学で博士号を取得。コンピューターによる生態系の分析は、琵琶湖の研究などでも、形になっていた。そんな彼も、母国で研究時代、レストランでケーキを作る経験をしていた。スイス・オーストリアのようにおいしい母国のケーキを日本人に食べてもらって、母国の事を少しでも知ってもらいたい。「国際学生の家の同期で、年齢は10歳上」退寮後に彼は、夢の場所の近く、北白川山の元町に家を借りた。3人で改装して、20人ぐらいが食事できるようにした。夢実現の第一歩が始まった。現在彼は、独力で開いたスロベニアレストラン「ピッカポロンツァ」のオーナーシェフである。すべては、彼と家族の努力の結晶である。
発起人YUKI 会長イゴール 事務局エイジ 将来北白川別当町に「画期的な世界の民族料理レストラン建設」に向けて、夢はスタートした。三人とも実に奇妙な学生であった。
No.001.にふさわしい男。イゴール・ライラ。数理生態学研究で京都大学で博士号を取得。コンピューターによる生態系の分析は、琵琶湖の研究などでも、形になっていた。そんな彼も、母国で研究時代、レストランでケーキを作る経験をしていた。スイス・オーストリアのようにおいしい母国のケーキを日本人に食べてもらって、母国の事を少しでも知ってもらいたい。「国際学生の家の同期で、年齢は10歳上」退寮後に彼は、夢の場所の近く、北白川山の元町に家を借りた。3人で改装して、20人ぐらいが食事できるようにした。夢実現の第一歩が始まった。現在彼は、独力で開いたスロベニアレストラン「ピッカポロンツァ」のオーナーシェフである。すべては、彼と家族の努力の結晶である。
Posted by こやまあきゆき at
01:22