2006年06月17日
ようこそ「がんこへ!」
京都の根を張ってる店でも、他府県からの進出組みは多い。「アショカ」も「キエフ」も。もともと「不二家」や「ドンク」すし屋も多くが進出組み。しかし、「キエフ」のようにオーナーの加藤家が京都の出身だったり、多いのが学生時代京都で過ごした社長は少なくない。その中の一人。「がんこ寿司」の小嶋社長も同志社大学出身。卒業後、寿司職人の修行をして、一代で十三から、巨大な和食事業を起こされた。その京都1号店が「三条本店」当時の東川支配人は、現在なんと副社長の取締役。実は、この三条本店オープンの時、その右腕として、100人近い従業員のマネージャーを勤めるはずだったのが、実は、私です。エスニックの元祖「カプリチョース」2軒の責任者からの大抜擢でしたが、実は、夢中になると不眠症になる性格で、「カプリ」時代も店に泊り込んでいました。(ちゃんと上のマンションに事務所があるので。)「がんこ」でもほとんど寝なかったので(他の人はちゃんと寝ていた)20キロもやせて、医者に行けと言われて、Dr.ストップ。今生きているのは、休ましてくれた皆さんのお陰です。
Posted by こやまあきゆき at
01:13
2006年06月17日
夢は、実現する。
高校時代、コックのなって、将来「シルクロードの料理が食べられるレストランを京都に作る。」決意をした私は、古典的フレンチの老舗「萬養軒」か、ヌーベルクイジンヌ、新しいフレンチで当時数々の金賞を受賞されていた守井料理長のおられる、「ナガサキヤ」で見習いコックに雇ってもらおうと、いきなり問い合わせの電話をいれた。今募集していません。すでにしかるべきルートで採用が決まっています。丁寧だが、即答で断られたが、いろいろアドバイスをしていただいた。実は様々な経緯を経て、下っ端の雑用係にすぎないが、両方の店で働かせていただいた。片方は、就職も内定し、片方では当時若手の清水さんに、「八ちゃん」というニックネームをもらった。時代の変化で、私がお世話になった店は姿を消した。今も伝統を守る老舗の社長とは、別の形で交流がある。しかし、あの時お世話になった、守井さん、藤井さん、皆川さん、清水さん、足立さん、皆どうしてますか?お元気でしたら連絡下さい。会いに行きます。夢の店もできたんですよ。
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00:46
2006年06月17日
パリのマキシムの素敵な話
私が料理の道に進む決心をしたのは、中学生の時によんだ、リーダーズダイジェストの新聞記事からの抜粋の「マキシムの素敵な話」がきっかけだった。要約すると、貧しい若者が、恋人の夢が、マキシムで食事をする事。最高の食事、最高のソムリエが選んだ最高のワインとサービス、最高の個室、外から流れてくる、四重奏の楽団の演奏。・・・・・彼は、貯金を手にして、マキシムに向った。彼女にプロポーズする場所を、マキシムに決めたのだ。支配人に事情を説明し、見積もりを出してもらった。それは、彼の予想をはるかに超える、桁違いの金額だった。彼は、しかたなく自分の出せる精一杯の金額を、提示した。金額を見て支配人は、あわててどのようなご予算でもお料理はご用意できます。と、しかし、個室や楽団は別になるので、お席は柱の陰の静かなお席をご用意いたしますと申し訳なさそうにいった。自分にできる精一杯の事、仕方だない彼は、よやくして帰った。どうなったと思います?
当日「マキシム」は、店を上げて2人を歓待し、個室に楽団、すべてをスタッフ一同のプレゼントとして、用意しました。請求は、彼の精一杯の予算。思い出は、一生心に残ったでしょう。実話です。
当日「マキシム」は、店を上げて2人を歓待し、個室に楽団、すべてをスタッフ一同のプレゼントとして、用意しました。請求は、彼の精一杯の予算。思い出は、一生心に残ったでしょう。実話です。
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00:31